第19日-1 事前調査の準備
実家の食堂に来ていたときに見たマーティアスは、その好奇心旺盛そうな碧色の目をキラキラ輝かせていて、熱心に研究について語っていた。
そうかと思えばどこか抜けていて、それを友人のアヤ・クルトにたしなめられて凹んでいたり。
表情がくるくると変わる、どちらかといえば愛嬌のある人柄だったように思う。
なのにそのアヤが死んで、違法な研究に手を出すとは。
そしてまさか、自らを追い詰め焼身自殺してしまうとは。
そういう激しさは、確かにあったと思う。だけど……。
『マーサ』は単なる常連客の一人。忘れ物を届けたことがあるだけで、それ以外の接点は全くない。
なのに『マーサ』が『マーティアス・ロッシ』だと知って、どうして俺はこんなにショックを受けているのだろう。
「リュウライ? 聞いていますか?」
ミツルの声で、我に返る。
休暇明けの夕方。俺は局長控室のミツルのところに来ていた。
グラハムさんとの約束は明日。しかしどうやらカミロの正体は突き止められていないらしい。今日の夜にモーリスという警察官と会う約束らしいが、どこまで情報が得られるかは分からない。明日の夜にサルブレア製鋼に潜入捜査をすることになるのはほぼ確実だろう、という結論になった。
となれば、今夜のうちに事前調査をしなければならない。
「ああ、うん。これが見取り図だね」
ミツルから渡されたのは、サルブレア製鋼全景と、工場区画、研究棟、実験施設の各階の見取り図。
俺がコピーして渡したものに、8×8、64マスとなるように線が引かれている。
南から北に1から8の数字、西から東にA~Hのアルファベット。
チェスが得意なミツルは、このチェス盤になぞらえた図面を使って指示を出すのだ。
ただし見取り図はこれらの建物が建設された当時の物だから、恐らく現在の状態とは違っているはず。
研究棟は細かく部屋が分かれていてその分多くの窓があったはずだが、確か以前に見た感じでは殆どの窓が潰されていた。必然的に、侵入経路、逃走経路は限られてくる。
昨日の今日だが、ミツルはサルブレア製鋼と取引している警備会社からしっかりと情報を入手していた。
建物内部に取り付けられているカメラは十四年前にオーラス財団からサルウィン鉄鋼とキリブレア精工に下げ渡しされた際に取り付けられたもの。九十日分の映像が保管でき、古いものから消えていく。
ただし、警備会社はカメラの設置のみで映像の管理はしていない。撮った映像を見ることができるのは、サルブレア製鋼の管理者だけ。
「法人向け防犯サービスとなると、映像の管理は警備会社に依頼する方が一般的だと思うけど」
「中小企業では設置のみでリース契約をする形もありますが……これだけの規模の会社にしては、というのはありますね」
「赤外線センサーは?」
「夜中も研究者達が研究を続けていることが多い、ということで取り付けられていません」
「だから外の警備員が多かったのか……」
一般の会社の場合、赤外線センサーで侵入者を発見するようなシステムを取り付けていることが多い。施錠時に起動し、館内を隈なく監視できるシステムだ。
ましてや研究施設なのだから、情報の漏洩には敏感になっているはず。通常ならば、侵入者だけでなく内部の人間の入退室管理や勤務管理、設備管理なども含めて依頼するべきだろう。
「内部は見られてマズいものが多いので外部の守りを固めるしかない。……そういう風には見えますね」
ミツルは机の上にサルブレア製鋼全景の地図を広げた。
「警備員は合計八名。そのうち四名が四つの施設を時計回りに回る形で巡回。これはリュウライの報告の通りです」
「うん」
「一名が正門の前。一名が入口――実験施設事務所にいて、残り二名が館内の巡回、となっています」
「たった二名!?」
「はい」
今度は研究棟の地図。一階から三階と地下がある。
目の字の形の通路が走っていて、中央にエレベータ、東西に階段があった。一階北東部には、さらに地下へと降りる階段も。
「しかも機密保持の観点から研究棟の中央エレベータより奥、つまり北側三分の一には入らないように、と言われているようです」
「随分粗いね」
「こちらとしては助かりますが」
となると、オーパーツに関して何かを隠しているとしたら研究棟の北側三分の一のエリアにある部屋、ということになるか。
「後は、現場で確認しながら調査しましょう。前にリュウライが侵入した場所はどこですか?」
「工場区画の二つの建物の間……H5だね。死角が多かったし。ただ二メートル以上の塀の上にさらに有刺鉄線が張り巡らされているから、グラハムさんもいることを考えるともう少し侵入しやすい場所を探した方がいいかもしれない。研究棟からは遠いし」
「分かりました。では後は、現場で情報を収集しましょう。前は通信機器を切って侵入したとのことですが、この警備状況だと通信は問題ないように思います」
確かに、かなりアナクロな警備だ。自社管理をしているとなると外の電波を拾って傍受、なんて真似はできないに違いない。
「問題はオーパーツか……」
「リルガも同行するということですから、オーパーツを装備せずにという訳にはいきませんね。違法オーパーツが眠っているアジトかもしれない訳ですし」
ミツルは少し考え込むと「ちょっと待っていてください」と言ってどこかに電話をかけ始めた。どうやら技術部のようだ。
多分、イーネスさん達のところだろう。今日はどっちが出勤してるのかな。
「ええ、オーパーツレーダーに検知されない方法です。……はい……ええ、分かりました」
ほんの数ラリーで電話を切る。この感じだと、キアーラさんの方だろうか。受話器を置いたミツルがくるりと振り返る。
「どうやらオーパーツの出す波長と言うのはかなり繊細で、性質としては電波に近いそうです。ゴム等で遮断できるだろう、とのことでした」
「分かった。でも直接話を聞きたいから、技術課に行ってみる。キアーラさんだった?」
「はい。しかしもう終業時刻ですが」
言われて時計を見ると、五時を回っている。
「じゃあ、マンションまで送るがてら話を聞くよ」
夜の十時過ぎに現場から連絡を入れることをミツルに約束し、見取り図のコピーを持って俺は局長控室を後にした。
角を曲がり中央エレベーターの前まで来て……ふと『来賓室』のプレートが目に入る。
ひどく疲れた様子のアルフレッドさん、アロン・デルージョの血走った目、アヤ・クルトの几帳面な文字――そして、マーティアス・ロッシの意志の強そうな口元を思い出した。
* * *
オーパーツ監理局は、『監理棟』『技術棟』『拘置棟』の三つからなっている。
正面出入口から見て最も手前にある、一番広い五階建てのビルが監理棟。俺の席がある警備課、グラハムさんの席がある捜査課、そして局長がいる局長室はすべてこのビルの中だ。
拘置棟は監理棟の背後にあり、正面からは見えなくなっている。監理棟と同じく五階建てで、取り調べ中の被疑者や特別犯罪者が留置されている場所。
監理棟の二階から連絡通路が付けられていて、被疑者はここを通って拘置棟二階にある取調室へと連れて行かれる。そのため捜査官は拘置棟に出入りすることが多いようだが、俺は警備課でしかも内勤ではなく外回り専門だったため、まだ入ったことは無い。
技術棟は監理棟の北西、やや奥まった場所にある。監理棟からは二階と四階に連絡通路がつけられていて、一階は業務用の搬入口以外に出入り口は無い。
オーパーツの研究、実験をしている部署なので、その管理徹底のためだ。だから技術部の人間は監理棟の入口にあるセキュリティーゲートを取って館内に入り、二階の連絡通路を通って技術棟に出社する、という形になっている。
一年前、特捜に引き抜かれた際に《クレストフィスト》が与えられることになって、そのときに初めて技術棟に入った。熱放射実験室、動作実験室など厳めしい字面のプレートがずらりと並んでいて、圧倒された覚えがある。監理棟は通路から各部署が見渡せるようになっていて、どちらかというと開放的だから。
今は《クレストフィスト》の調整依頼をするときに二階窓口に行くぐらいで、そう頻繁には訪れていないが。
監理棟五階にある局長控室を出て、真っすぐに伸びた廊下を直進。西階段を使って四階に降り、技術棟への連絡通路を渡る。
イーネス姉妹の研究室は技術棟四階の一番奥だったな、と思いながら建物の中に入ると、ちょうどエレベーターの前にキアーラさんが立っていた。
二階までエレベーターに乗り、二階連絡通路を使って帰るつもりだったらしい。行き違いにならなくてよかった。
こちらに気づいたキアーラさんに手を上げて近寄り、
「オーパーツについて話を聞きたいので、帰り道ご一緒していいでしょうか」
と聞くと
「まぁ、いいわよ」
というあっさりとした返事が返ってきた。
技術棟エレベーターで二階に降り、連絡通路を抜けて監理棟へ。西階段から一階へ降り、ガラス越しのピロティを右手に眺めながらぐるりと回り、広々としたエントランスを横切る。
キアーラさん一人だと、かなり早足だ。
「レーダーの話よね」
セキュリティゲートを抜けて正面玄関からピロティに出たところで、キアーラさんが唐突に話し始めた。これからする話は特捜案件なので、O監内ではやめておいた方がいい、と考えたのだろう。
「あ、はい」
「要はO監のオーパーツだと分からなければいいんでしょ?」
「そうですね。恐らく建物内にはオーパーツはあるはずですから」
でないと、あの不気味な実験の説明がつかない。
とすると、オーパーツレーダーを機能させているかどうかは微妙だ。建物内に保管しているありとあらゆるオーパーツが反応してしまうだろうし。
しかし敵は、未調整オーパーツとO監のオーパーツを識別するだけの技術はあるのだ。念には念を入れた方がいい。
「だったらゴム製の袋にでも入れれば大丈夫だと思うわ。仮にオーパーツを検出しても、細かな波形の違いまでは判らないはずよ」
「ゴム製の袋、ですか……」
自分の左手を見る。黒い指ぬきグローブで、手の甲にシールドを発生させる薄い板状のオーパーツがあり、手首の腕輪部分に結晶を填め込む仕組みになっている。
「とすると、上からゴム手袋をするだけでも防げますね」
「いいけど、何だか間抜けじゃない?」
キアーラさんが、たしなめるように言う。
「しかもどうしたって感覚は鈍くなるし」
「それもそうですね」
「危険な任務の危険度を自ら上げるのはバカよ」
「……もっともですね」
口調は厳しいが、キアーラさんは心配してくれているのだろう。
ゴム手袋さえ外せばすぐに、という状態の方が楽かと思ったが、慣れないことはしない方がいい。
ゴム膜で包んでポケットにでも入れておくか。いざとなったらすぐに填められるように。
「いろいろと、ありがとうございます」
きっちりと頭を下げて礼を言うと、キアーラさんは
「別にそこまで言われるほどのことじゃないわよ」
とつっけんどんに返した。
機嫌を損ねた訳ではなくて、照れ隠しみたいなものかな、とは思う。




