第18日-4 わずかな猶予 ★
「とにかく、カミロとサルブレアだ」
ラキ局長の声で、俺の意識が現実に引き戻される。俺の方へやや訝し気な顔を向けるグラハムさんと目が合い、慌てて姿勢を正した。俺とグラハムさんを交互に見るラキ局長と、しっかりと視線を合わせる。
「人体実験をしていることから、犠牲者が出ることが予想される。その前に、早急に突き止める必要があるだろう」
犠牲者……彼女たちは、あの爆発事故の犠牲者だったんだろうか。
でも、名前が違う。金髪のポニーテールの女性は、黒髪の女性に『マーサ』と呼ばれていた。
だけど……『Matthias』の愛称が『Martha』というのは、考えられないこともない。
「了解です。無駄骨になる気はしますが、オーラス社を訪ねてみます。リュウライは?」
爆発事故のただ独りの生き残り――禁じられた研究にのめり込み、最後は発狂して焼身自殺をしたマーティアス・ロッシは、彼女だったんだろうか……。
「リュウ?」
「あ、はい」
グラハムさんに肩を掴まれて、またもや自分が半分トリップしていたことに気づく。
そうだ、今は過去の思い出に囚われている場合じゃない。
「僕は……」
まず、現実を見つめよう。今のままでは推測だらけで、どうにも先に進めない。
サルブレア製鋼では確かに危険な実験が行われている。まずはその真相を突き止めなくては。
「サルブレアの建物内部に忍び込んでみようかと思っていまして。実は、その許可を頂きに来ました」
「忍び込むって……」
グラハムさんがギョッとしたように俺の肩から手を離す。しかしラキ局長にとっては想定内だったようだ。
「状況を考えると、多少強引な手段もやむを得ないか……」
と一瞬だけ考え込み、
「良いだろう」
とあっさり許可をくれた。
多くは語らずとも、俺が感じた緊迫感は伝わったらしい。
よし、これまで得られた情報をもとに入念な準備をして……。
「ちょ、ちょーっと待ったぁ!」
急にグラハムさんがニョキッと視界に現れて、少々驚く。思わず何度も瞬きをしてしまった。
勢いよく右手を上げ、俺とラキ局長の間に割り込んでいた。随分と慌てている。いったいどうしたと言うのだろう。
「一応言わせてもらいますけどね? 駄目でしょう、それ! 入った奴が危ないし、バレたときO監が危ういし、なにか見っけても正式な証拠にはならないし! リスクが大きすぎますよ!」
正式な証拠を見つけるために押さえる『ウラ』なんだから、何も問題はないんだけどな。
表の捜査を、より安全に確実に遂行するための『ウラ』。もともと特捜は、そういう役割だ。
「だが、確証は得られる。現在、あらゆる仮説ばかりが宙に浮いている状態だ。これをどうにかしなければ、我々は前に進むことができない。実際、手詰まりに近いだろう」
ラキ局長の言葉に、ミツルが軽く頷いている。さすがに俺は、必死なグラハムさんに悪い気がして何もリアクションしなかったが。
「でも――」
「君の掴んだカミロという男の存在も、まだ具体的なことは何もわかってはいない」
まだ言い募ろうとするグラハムさんの言葉を、ラキ局長がズバッと遮る。グラハムさんがグッと喉を詰まらせるのが見えた。
「そちらを突き止めるのは良い。それは君に任せる。だが、先程も言ったように、あまり猶予はない状況だ。こちらはこちらでやらせてもらう」
頷きそうになって、慌てて自分の首を止める。
グラハムさんには申し訳ないが、これに関してはラキ局長の判断に完全に賛成だった。
表と裏では、やるべきことが違うのだ。表の理屈は、裏には通じない。
「……分かりました」
ラキ局長とミツルと俺――三対一ではやはり分が悪かったのか、グラハムさんは不承不承、頷いた。
よかった、納得してくれて……とホッと息をついたのだが。
「だったら、そのとき俺も行きます」
「えっ、グラハムさんも!?」
驚きすぎて心の声がそのまま出てしまう。
しかしグラハムさんは何ら怯むことはなく、そのモスグリーンの瞳は真っすぐラキ局長を見据えていた。ラキ局長は「何を言い出すんだか」とでもいうような顔をしている。
「……違法だぞ?」
「そうですね。でも、俺だって情報が欲しいのは変わりません」
それがどうして俺の潜入捜査についてくる、という話になるのかがよく分からない。
ただ、グラハムさんにとってはどうしても譲れない線らしい。いつものおどけた表情は消え、腹から覚悟を決めたような、恐ろしく真面目な顔をしていた。
「でも、今晩にもってわけじゃないんですよね?」
グラハムさんの言葉に、ラキ局長が俺の方に「どうなんだ?」とでも言わんばかりに視線を投げかける。
「……そうですね。さすがに今すぐには難しいです」
どう考えても〈クリスタレス〉が関わっているだろうし、多少危険でも手っ取り早く、という訳にはいかない。
相手はオーラス財団に関わる可能性が高い会社。グラハムさんが言うように、O監だとバレるとかなりマズいことになる。
「だったら、それまでの間に俺がカミロの正体を掴んだら――中止してもらう」
えっ、そういうこと!?
予想もしない言葉が飛び出してきて、また驚いてしまった。
グラハムさんは、そんなに俺のサルブレア潜入調査を止めたいのか……。まぁ、非合法手段だし。
「確証が得られれば、その必要もない。違いますか?」
「……ふん。素直に言えばいいものを」
「……」
ラキ局長が何やら意味ありげにそう言うと、グラハムさんはちょっと言葉に詰まったが視線は逸らさなかった。
「良いだろう。その条件、飲もうじゃないか。こちらにはなんの不都合もない」
「局長!」
意外な決定に思わず異を唱えたが、ラキ局長は
「足手まといにはなるまいよ」
と軽く流してしまった。
いや、グラハムさんが足手まといだとはさすがに思ってないけど。
ただ不慣れだとは思うし、それに俺は独りで潜入したことはあっても誰かを引き連れてなんてやったことはない。どういう事態になるのか、予測がつかない。
それに、グラハムさんが一緒に行くというなら、慎重に慎重を期さないと。
「それじゃあ、そういうことで。リュウライ、下調べにどのくらい掛かる?」
どうやら本当にそういうことになってしまったらしい。思わず溜息が出る。
だとすると、まずオーパーツが持ち込めるかどうかは調べないと。それと、潜入経路、脱出手段、ミツルとの連絡手段。
警備状況、人の出入りの様子ももう少し詳細に調べて、何時頃がいいかも考えなければならない。
「今日を入れて……三日。明後日の夜には、実行に移したいところです」
今日と明日で調査、明後日が予備日、といったところだろうか。
あまりグズグズしている訳にもいかない。
「分かった。その間に、俺はカミロとサルブレアのことを調べます」
「では、リュウライはミツルと連携して、サルブレア施設潜入に注力せよ」
「了解しました」
そう答えたものの、情報量が多すぎて眩暈がしそうだった。
半分夢の中にいるようだ。ややふらつきながら、局長室を出る。
俺の記憶の中の女性二人組は、本当にアヤ・クルトとマーティアス・ロッシなのだろうか。
確かに二人とも研究熱心な印象だった。特に『マーサ』と呼ばれていた金髪の女性は感情豊かに持論を展開していて、黒髪の女性に駄目出しされていたっけ。
好きなことをしているんだな、だからあんなに一生懸命でめげずに努力し続けているのかな、と眩しく感じた覚えがある。
アルフレッドさんの部屋に行って、二人の資料を探した方がいいだろうか。
「リュウくん、さっきからボーッとしているけど、どうかした?」
声をかけられて、ギョッとして顔を上げる。
そうだ、グラハムさんと一緒にいたんだった。
「いえ、別に、何も……」
一応そう答えたが、明らかに怪しかったんだろう。グラハムさんがじーっと俺の顔を見つめる。
そんなので俺様が誤魔化されるわけないでしょ、と目が口ほどに物を言っている。
今回の案件と全くの無関係、というわけでもないので、俺は諦めて口を開いた。
「僕の実家が定食屋を営んでいることはご存知ですよね」
「ああ。今でもたまーに行くし」
「えっ!?」
「向こうに用があるときだけだけどな。……それで?」
「……さっき、局長からマーティアス・ロッシが大学院生だったって話を聞いて……もしかして、僕はその人を知っているかもしれない、と思っただけです」
「ふぅん……」
とりあえず言ってはみたものの、現時点では俺が見た彼女達がそうとは限らないな、と思った。
それに、だからどうした、という話ではある。彼女達はもう、この世にはいないのだから。
仮にそうだとしても、今回の事件の捜査には何の役にも立たない。ただ定食屋で二人をよく見ていた、という情報だけでは、誰がマーティアスの研究を引き継いだのかは分からないのだから。
「それはともかく、本当に良いんですか? グラハムさん。はっきり言って、危険ですよ?」
「だから行くんだよ、お馬鹿さん。お前さんばっかりに無茶させられるか」
いやだから、部署が違うんだから役割も違うし、だいたい俺は……。
「おっと、『僕は慣れてます』はなしだぜ。そういう問題じゃないんだよ」
考えたことを見透かされて、思わず黙り込む。
グラハムさんは「ふう」と鼻息を漏らすと腕を組み、じっと俺を見下ろした。
「リュウ。前に俺がお前に言ったこと、ちゃんと覚えているか」
――テメェの身も守れねぇ奴が、他人を守れるわけねーだろ。
あのときの光景が脳裏に浮かぶ。今と全く同じ表情で、グラハムさんが俺に言った。
「……はい」
「ちゃんと守れよ。直接だろうが、間接だろうが、俺ら警察は守るお仕事だ。O監だって変わらねぇ」
自分の身の安全を疎かにしているつもりはないのだが、グラハムさんから見るとまだまだ俺は危なっかしいのだろうか。
やはり潜入前の事前調査をしっかりとやらなければ、と改めて思う。何しろ、グラハムさんも付いてくると言っているし。
「……はい、肝に銘じます」
グラハムさんが言っていることは間違ってはいないので、しっかりと返事をする。
一応納得はしてくれたのか、グラハムさんの肩からふっと力が抜けた。目つきが優しくなり、口の端が上がり、いつものおどけた表情になる。
「じゃ、明後日に。俺がその間に手掛かりを掴んでやるから、期待してろよ~?」
俺の肩をポンポンと軽く二回叩くとその手を上げ、グラハムさんは足早に去っていった。
その背中を見送りながら、思わず深い溜息が漏れる。
昨日から今日にかけてあまりにもいろいろなことが起こりすぎて、まだ午前中だと言うのにかなり疲れてしまった。




