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第18日-3 綴じられていた記憶

 ディタ区にある俺の実家の定食屋『ディタ・プロスペリータ』は、比較的繁盛していた。

 近くには研究機関が数多くあり、遺跡発掘に関わる研究者が客として多く訪れていた。安くてボリュームもあって短時間ですぐに出せる日替わり定食が人気だったようだ。


 七年前――俺が十三歳のときか。まだオーパーツ監理局に入る前で、実家にいた頃のこと。

 愛想よく振舞うことはできないしどう考えても俺は客商売には向いていないのだが、あまりにも忙しい時には両親の店を手伝っていた。

 応対は苦手だったが、店に訪れる客を眺めているのは嫌いではなかった。


 一度見た顔はすぐに覚えるから、

「この人はいつも大盛りを頼む人だ」

とか

「あの人はいつも夕方に一人で来てあっという間に食べて帰っていく」

とか、客の特徴をよく覚えていたのでその点だけは両親にも重宝がられた。


 そんな客の中に、いつも決まった曜日にやってきて、日替わり定食を頼む女の人達がいた。

 確か近くの大学に通っている研究生じゃなかったか。二十歳過ぎの若い女性だった。この辺りの研究者というと男性が多く年齢層も高目だから、彼女たちは店の中でも目立っていたように思う。


 いつも二人で食事もそこそこに熱心に討論していて、それが強く印象に残っている。

 難しい話をたくさんしていたし、きっと立派な研究者を目指しているんだろう、と子供心に尊敬の念を抱いていた。



   * * *



 長い金髪をポニーテールにしている女性は、碧色の瞳をキラキラと輝かせていた。切れ長の吊り目を大きく見開き、フォークを振り回しながら何やら熱弁している。


「ひたすら基本データばかり取ってても埒があかないじゃない? だから……」

「大事よ、データ取得は」


 まだ何か言いたそうな金髪の女性の言葉を鋭く遮ったのは、その向かいに座るまっすぐな長い黒髪を背中に垂らした女性。胸の前で組んでいた両腕はそのまま、じっと向かいの女性を見つめる。

 しばらくは微かに頷きながらその熱弁を聞いていたが、こちらも「埒があかない」と思ったようだ。


「そうだけど、もう十分よ」

「それは、あなたの主観だから」


 黒髪の女性が、またもやバッサリと切り捨てる。

 菫色の瞳で童顔気味な、パッと見は可愛らしい雰囲気なのだが、口から出てくる言葉はかなり容赦がない。顎をくいっと上げ、向かいの金髪の女性をどこか見下ろす風だ。


「主観じゃない、データから得た客観よ!」

「でも現に他の了承は得られてない。懸念材料をたとえ百個潰したとしても、百一個目の可能性が残されているならその実験は押し進めるべきじゃないわ」


 食堂にやってくる研究者はおじさんが多い。だから二人はきっと、その中でもかなり若い方なのだろう。特に金髪の女性の方は試したいことが色々とあるのだろうが、周りに止められているのか。

 若輩者の身では皆の前で自由な意見なんて言えない、だから友人と二人の時だけは自由に喋っているのかもしれない。


 ランチ時間も終わりに近づき、ちょうど客も空き始めた頃だった。水を入れるタンブラーを磨きながら、そんなことを考えていた。

 その頃、俺は基礎学校に在籍していたが、基礎学校だけでなくその上の高等学校のカリキュラムも自主的に終わらせてしまっていた。

 特に親しい友人もおらずとても退屈していて、時々学校を休んで食堂の手伝いをしていたのにはそういう事情もある。


 もともと喋る方ではないし、自分のことは特に同級生にも先生にも言わず大人しくしていたが、それで正解だったな、と二人のやりとりを聞いていて思った。

 変に悪目立ちして真っ向からぶつかって、それが認められず歯痒い思いをするのはとても疲れそうだ、と。

 でも逆に、一向に研究への熱は冷めずこうして議論し続け、食い下がり続ける彼女はすごいな、そのエネルギーはどこから来るのだろう、とも思ったのだが。


「研究において、『絶対』ほどあてにならない言葉は無いわ」


 俺がそんなことを考えながらタンブラー磨きに勤しんでいた間も、彼女達の議論は続いていたらしい。

 黒髪の女性が淡々と言葉を紡ぐ。可愛らしい風貌には似合わず眉間に皺を寄せ、やや首を傾げて向かいの金髪の女性を見上げる。

 しかしその菫色の瞳は、どこか優しい。


「九十九回失敗して、初めて一回の成功が得られるというでしょう」

「わかってるけど……でも、まだ理論だけだし……」

「理論が完成されたら、実証したくなる。それが研究者の性じゃない? だからきちんと戒めないといけないのよ。特に、あなたはね」

「……」

「発展した科学は、諸刃の剣。決められた領域を超えた科学は、全てに――自分にも向けられた兵器だということを」

「……まぁ、ね」


 言われていることは分かるけど、とでも言うように金髪の女性が軽く頷く。しかし不満が消えたわけではないらしく、ぷいっと顔を横に向けた。


「だから余計なこと言わないようにしてるじゃない。ここならいいでしょ」

「まぁね」

「で、どう思う、私のこの解釈?」

「理解できなくはないけど、ちょっと根拠に乏しいわね」


 金髪の女性が笑顔で身を乗り出したものの、黒髪の女性はまたもやバッサリと切り捨てた。


「根拠が無ければ、それはアイディアではなくただの妄想よ」

「厳しいなあ、もう」


 金髪の女性は唇を尖らせるが、基本的には黒髪の女性の言うことに反論しない。


 二人の女性の会話は、いつもこんな感じだった。金髪の女性が研究に関する何らかの持論をぶちまける。そして黒髪の女性は黙ってそれを聞いたあと、バシバシと疑問点を突いていく。

 最後は金髪の女性が黒髪の女性にたしなめられて、終わり。


 そして今日も同じ結末を迎えたようだ。

 ややしょぼんをしている金髪の女性を見下ろしながら、黒髪の女性が椅子を引いて立ち上がった。

 

「ほら、早く出ましょ。研究は待ってはくれないのよ」

「あ、待ってよ!」


 金髪の女性が慌てて残っていたパンを口に放り込み、黒髪の女性を追いかける。どうやら会計は黒髪の女性がさっさと済ませたらしく、二人はそのまま急ぎ足で店を出て行った。


 残った皿を片付けようと彼女たちのテーブルに近づくと、椅子の下に何かが落ちていることに気づいた。

 拾い上げてみると、白いハンカチ。金髪の女性の落とし物のようだ。


 いつも来る客だし、今度来た時に渡せばいい。……のだが、俺の足は反射的に外への扉と向かっていた。

 まだ遠くには行ってないはず、と慌てて追いかける。


 店を飛び出し、彼女達が歩いていった方角へ駆けてゆく。予想通り、俺の走る速さより彼女たちの歩みはゆっくりだったようで、すぐに追いついた。


「あ、あの……!」


 名前も知らないし、どう話しかけたらいいかわからない。とりあえず大声で呼びかけると、声に気づいた金髪の女性が振り向いた。ポニーテールの毛先が彼女の細い肩の上で弾む。

 

「あ、それ!」


 俺が手にしているハンカチを指差す。忘れ物を届けたあの店の店員だと、すぐに気づいたようだ。


「あら。あのお店の息子さんよね」


 俺に気づいた黒髪の女性がわずかに微笑む。

 二人のやりとりを聞いていたときも思ったが、熱っぽく語る金髪の女性と比べ、この黒髪の女性はあまり感情を表に出さないタイプのようだ。

 俺は返事をする代わりに、コクリと頷いた。


「忘れたハンカチを届けてくれたの」

「もう、マーサったら本当に落ち着きがないわね」


 黒髪の女性にたしなめられ、金髪の女性は少し恥ずかしそうな顔をしていた。

 どう声をかけたらいいか分からず、黙ってハンカチを差し出す。金髪の女性が「あ」と声を上げ、両手を出した。


「届けてくれてありがとう、ボク!」


 その碧色の吊り目が、三日月になった。笑うと急に可愛らしい表情になる。

 とは言え、いったい俺は何歳に見えているんだろうかと少し複雑な気持ちにもなったが、黙って頷いた。


 ハンカチを受け取ると、金髪の女性はもう一度「ありがとう」と言い、

「また今度、お店に行くわね」

と言って、黒髪の女性とともに歩いていった。



   * * *



 ……だけど、その『今度』は訪れなかった。

 一週間後のその日、例の発掘現場の爆発事故があったからだ。

 かなり大規模で、この辺りは騒然となっていた。発掘に関わった作業員や研究員もみんな死んだらしい、と噂で聞いた。


 そして……その次の週も、さらにその次の週も、彼女たちは現れなかった。

 爆弾事故の後処理が終わり、街の喧騒が収まり、かつて来ていた常連の研究者たちがこの店に再び通うようになっても。

 忘れ物のハンカチを届けたあの日を最後に、二度と彼女たちの姿を見ることはなかった。 


 ――爆弾事故で亡くなった研究者というのは、彼女達だったのかもしれない。


 そう感じて、俺は漠然とショックを受けた。

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 森陰五十鈴様作:
『FLOUT』オーパーツ監理局事件記録 ~SideG:触れたい未知と狂った運命~

こちらで共同制作の創作裏話をしています。よろしければ合わせてどうぞ。
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