第12日-1 アロン・デルージョの家
赤茶色の髪に、黒縁眼鏡。少しよれた上着に、膝に穴が開いたズボン。
やっとの思いでこの地に辿り着いたアロン・デルージョの孫というとこんな感じだろうか、と思いながら、俺はバルト署で調べたアロン・デルージョの自宅付近にやってきた。
バルト区では特に山側エリアの過疎化が問題になっているとは聞いていたが、こうして歩いてみると本当に空き家だらけだった。
工場で働いていてある程度の収入がある人間は、交通の便もよく住みやすく環境が整えられたセントラルに引っ越していったらしい。
この辺は引っ越すこともできず、かといってまともな職につくこともできない人達が細々と生活しているという。
アロン・デルージョの自宅がある場所は、グラハムさんの言っていたペッシェ街からは少し外れているが、それでもかなり荒んでいる印象は拭えなかった。
これで本当に誰もいないようならこっそり侵入するつもりだったが、あいにく隣人がいた。白髪交じりの髪をひっつめた小太りのおばさんだ。俺の方をチラチラと見ている。
「こんにちはー」
玄関の扉を叩きながら声をかけてみる。いないのは分かっている……いても勝手に棲みついている人間だろうが、はるばる大陸からやってきたアロン・デルージョの孫、というテイなので仕方がない。
「こんにちはー! 誰かいませんかー?」
「そこはずっと空き家だよ!」
うるさい、迷惑だ、とでも思ったのか、小太りのおばさんが吐き捨てるように言った。
とは言っても、教えてくれるだけ親切だ。
「空き家?」
「そうさね、十年ぐらいずーっと空き家だよ」
「え……。あの、ここに僕のおじいちゃんが住んでるはずなんですけど」
「はぁ?」
おばさんが胡散臭そうな顔で俺を見る。俺は心細そうな、できるだけ同情を引けそうな顔を作ると、おずおずとしわくちゃの写真を取り出した。
オーパーツ研究所のファイルから見つけたアロン・デルージョの写真を複製、加工したものだ。
「おじいちゃん、研究所やめてここに越してきたって……」
「んー?」
おばさんはクチャクチャの写真と俺の顔を見比べる。
「……ああ、あの一瞬だけ住んでたオッサンかい。あんたみたいな髪の色した」
「おじいちゃんを知ってるんですか?」
「知ってるってほどじゃあないが。訳のわかんないことをブツブツ言いながらこの辺を歩き回ってたねぇ。あの、シャル火山を眺めながらね」
「ブツブツ……」
とすると、アロン・デルージョは意気消沈してこの地に訪れた訳ではなく、独自に研究をするつもりでここに来たということだ。アルフレッドさんの話とも一致するな。
そう言えば、ワットが〈クリスタレス〉を入手したのはペッシェ街にいるときと思われる、と報告書にはあったな。
だとすると、バルト区北東部に何かある可能性が高いということに……。
「だけど、十日もしないうちにいなくなっちまったよ」
「え?」
「この辺にはいなさそうな、ビシッとした格好の人間が何日か出入りしていた気もするけどねぇ。あのオッサンが珍しく大笑いしていたよ」
「……じゃあ、もうここには……」
「いないね」
「……」
ガクーッと肩を落とし、あからさまにショックを受けたようにしてみせると、おばさんの表情がちょっと緩んだ。
このおばさんは色々喋ってくれるし根は悪い人ではなさそう、という読みは当たっていたようだ。
「何だい。あんた、あのオッサンの孫かい? どこから来たんだい?」
「ナータス大陸から……」
「えっ!? わざわざ列車を乗り継いできたのかい!?」
「お母さんが死ぬ前に話を聞いてたから……」
「えっ!」
アロン・デルージョの別れた妻子がどうなっているか、それこそ孫がいるかどうかも分からないのだが、ここは利用させてもらうことにする。
勝手に死んだことにしてしまったので、申し訳ないが。
おばさんが
「そりゃ大変だったね」
と言って深い溜息をついた。
「とは言っても、本当にちょっとしか住んでなかったから、あたしは何も知らないのさ」
「そうですか……」
「確か、家財道具は一切合切置きっぱなしだったけど、金目の物はとうの昔に無くなってるだろうしね。玄関の鍵、壊れてるだろ?」
確かに、玄関の扉は誰かが乱暴に開けたような跡が残されている。取っ手部分は下のボルトが無くなっており、右に傾いていた。
「それでもよければ、中に入って調べてみたらどうだい?」
「いいんですか?」
「どうせこの辺りは空き家だらけさ。特に最近は、工場に住み込みで働く人間が増えたからねぇ」
「住み込み?」
アーキン区およびバルト区の工場地域はオーラス財団の傘下であるオーラス鉱業がその大半を占めているが、大陸から進出してきた企業の工場もある。また、オーラス鉱業の下請けとして細々と動かしている工場も。
住み込みというと、大陸の企業だろうか。
「オーラス鉱業で募集してたんだよ。衣食住をいっさい保証する代わりに工場に詰めてくれっていう」
「工場に詰める?」
「早い話が、勝手に工場からは出れないってことさ」
おばさんはフンと鼻息を荒くした。
「まぁ、この辺じゃあマトモな職がなかなか見つからないのもあって、結構な数の人間が飛びついたね」
「その工場、どこにあるんですか?」
「何でもマル秘らしいよ。ほら、最近は大陸の企業も出てきただろう? 情報が盗まれたら困るとかで、場所すら明かされていないのさ」
「……」
「工場に行った人間は、誰一人戻ってきやしない。……ウチの亭主もね。そんなに居心地がいいのかねぇ」
地元企業であるオーラス鉱業が、なぜ住み込みの人間を必要とするんだろう。
しかも場所すら知らせず、家族に連絡することも許さず。
……どうもキナ臭い。
「まぁ、あたしもダンナからの仕送りで生活してる訳だしね。文句は言えないが。そのおかげで救われたっていう人間も大勢いるだろうし。……でもね」
おばさんは言葉を切ると、周りの家をゆっくりと見渡した。
空き家だらけの、すっかり寂れてしまった自分の地元とも言うべき場所を。
「この景色を見ると、ちょっと寂しく感じるんだよねぇ」
「……」
人が住んでいない家は、朽ちるのが早い。それだけでなく、ここに並んでいる家は窓が割られていたり、扉が壊されていたり、屋根に穴が開いていたりする。
どう返したらいいかな、と悩んでいると、おばさんが俺の表情に気づいてシッシッとでもいうように右手を振り払った。
「ほら、アンタ。入るなら早く入りな。あたしが見ててやるから」
「え?」
「盗人と間違えられたら困るだろう?」
どうやら盗人ではない、という証人になってくれるつもりらしい。
何だかおかしなことになったな、と思いながらも、俺はその言葉に甘え、アロン・デルージョの家の壊れた扉に手をかけた。
* * *
アロン・デルージョの自宅の中は、想像通りかなり荒らされていた。おばさんが言っていたように、金に換えられそうなものはすべて持ち去られた後だ。
アロン・デルージョは研究意欲を捨ててはいなかった。
そして来客があり、大声で笑って応え、その後忽然と失踪――。
このシャルトルトのすべての研究機関から締め出された、アロン・デルージョ。
考えられるのは……どこかの組織が彼に目を付け、日参して「研究者として来てくれないか」と勧誘。そして了承するや否や連れていった、といったところだろうか。
研究のために妻子を捨てたアロン・デルージョだ。彼が動くとしたら研究しかないだろうし、家財道具なんて気にも留めないだろう。
荒らされているのはおばさんが言っていた通り空き巣的なものだろうな……。おばさんの口ぶりから言って、そう珍しいことでもないようだし。
そうなると現場保存の意味はないだろうな、と思いながら倒れた棚や転がっている椅子をどけて奥へと進む。
何かオーパーツ研究に繋がるものは見つからないだろうか、と叩き割られた机近辺のゴミを漁ってみた。
とは言え、研究者として勧誘されてここを出て行ったのなら自分の研究に関わるものはすべて持っていくはずで、そんなものは全く見つからない。
とにかく何か手掛かりを、と必死になって探す。
どれぐらいの時間が経っただろう。机の下に、紙片のようなものが落ちているのが見つかった。
手を突っ込み取り出してみると、何かの設計図の切れ端のようだ。
オーパーツ関連かと思ったが、どうやら違う。工場か何かの間取り図かな。
「……まさか」
同じ間取り図の切れ端はないかと探してみる。四つほど見つかったので、丁寧に皺を伸ばして繋げてみた。
抜けているところもあり全体の半分程度しか判明しなかったが、やはり、どこかの施設か何かの間取り図のようだ。
署名などはないのでどの建物かはわからないが、少なくとも彼がいたオーパーツ研究所ではない。
ひょっとすると、勧誘された組織の施設? この場所でこれだけの設備がある、と売り込むために用意されたものかもしれない。
勧誘するためだけに用意したもので実在しないかもしれないし、全く関係のない建物かもしれない。だが、調べてみる価値はありそうだ。
ふと、隅っこに小さく記された文字を見る。恐ろしく汚い字で見づらいが……。
『バルト区ヴォルフスブルク』
ヴォルフスブルクというと、かなり山側にある古いVG加工場が建ち並んでいる地域だ。アーキン区の採掘現場にも近く、そこで働く人間のための住宅もその周辺に建てられていたはず。
ダーニッシュ鉄道のアーキン-バルト間が開通してからは駅周辺のみ町が発展していったため、バルト区の都市開発からも取り残された地域。隠れて何かをするなら打ってつけの場所ともいえる。
現在も稼働している加工場は、そう多くはない……。まずはこのエリアの建物を調べてみるか。
空振りではないことを祈りつつ、一人頷く。
早くミツルに報告しなくては。




