第9日/第10日-1 過去を遡る
バルト署のスペンサー警官と会ってから、三日。
いろいろな現場を回ってみたが、結局有力な情報は得られなかった。
ひょろ長い男は完全に姿を眩ませてしまっている。過去に現れた場所から足取りを追うことは難しいようだ。いい加減、考え方を変えなければならない。
というのも、グラハムさんの方で昨日、動きがあったのだ。
光学研の所長、スーザン・バルマに会ったあと、グラハムさんはその光学研に出入りしていたメイという少女に遭遇した。そして彼女がスラムの少年達に襲われそうになっているところを助けたらしい。
これだけならスラムではありがちなこと……なのだが、問題はその少年達がオーパーツを持っていたということ。
そして――グラハムさん自身が、時間感覚が狂うような体験をしたということ。
昨日の今日で、まだ少年たちの事情聴取は行われていないため詳しいことは分からないが、少年たちの持っていたオーパーツは〈スタンダード〉だったらしい。投げても必ず手元に戻るナイフ、水のレーザーガンといったいわゆる武器で、効果自体はそう珍しいものではない。
問題は、メイの方だ。彼女を守りながら戦っていたグラハムさんは、一瞬相手の動きが止まって見えるという、不思議な体験をしたのだ。
そして危険は去ったと見るや駆け出した彼女を、追いかけることもできなかった。目の前にいたはずなのに、いつの間にか遠くまで逃げてしまっていたそうだ。
つまり――メイは『時間操作』のオーパーツを持っている、と推測できる。グラハムさんもモノ自体を確認できた訳ではないそうだが、その可能性はかなり高いだろう。
彼女は光学研で健康機器のモニターのようなものをやらされているという話だったが、それも実験の一環だろうか。
敵の目的はまだ達成されてはいないのだろう。だから子供達にオーパーツを使わせ続けている。数秒止めるぐらいでは満足していない、ということだ。
彼女達の背後にあるのは非常に大規模な組織で……その思惑も、途方もなく巨大なものなのかもしれない。
そう考えると、居ても立ってもいられなかった。
終業時刻間際、急いで監理局に戻り自分の机に向かってキーボードを操作する。
報告書をさっさと書き上げて提出してしまうと、もう一度席について画面に向き直った。キーワードを入力し、ロックをかけてあったファイルを開く。
――過去のRT理論、マーティアスの事件などの記録。
ラキ局長やアルフレッドさんから聞いた話を、忘れないうちにメモしておいたものだ。
時間を止める――そんなことが現実に起こっているとなると、ラキ局長の推測通りこの過去の事件と繋がりがある可能性は高い。
現在の状況から掴めないのなら、過去を遡ってみるしかない。
もう一度メモを見ながら、頭の中を整理する。
そのとき――ある人物の項目が、目に留まった。
――アロン・デルージョ。RT理論の提唱者。研究機関から追放後、消息不明。
そうだ、列車事故。
もしあの事故が、アルフレッドさんのオーパーツ監理局招聘を妨害するためのものだとしたら。
アルフレッドさんを知っている人間――オーパーツ研究所の初期に関わりのある人間が、敵側にいるんじゃないか。
レーダーのノウハウに詳しい人間、ということから比較的近年の研究者をイメージしていたが、レーダーの必要性やその理論の構築はO研設立当初からあったはずだ。実用化には数年かかった、というだけのことで。
消息不明ということは、ひょっとするとこのアロン・デルージョがアチラ側に居る可能性も……。
「……!」
急に視界が開けた気がして、キーボードの上に載せた両手の拳を握り込む。
この仮説を裏付けるためにも、アロン・デルージョについて調べなくては。
それに彼の足取りを追うことで、あのひょろ長い男に繋がる何かが見つかるかもしれない。
考えがまとまったところで、ちょうど終業時刻になった。
慌ただしくファイルを閉じ、電源をオフにする。
そして勢いよく立ち上がると、
「お疲れさまでした」
とフロアにいた人たちに声を掛け、足早に警備課フロアを後にした。
* * *
「なるほど、アロン・デルージョ……か」
翌日、オーパーツ監理局五階。局長室の向かいの並びにある来賓室の、一番奥。
アルフレッドさんはここに部屋を与えられ、アロン・デルージョやマーティアス・ロッシが残した研究記録、およびイーネスさんたちから上がってくるオーパーツの解析結果の照らし合わせなどを行っていた。
十人は席に着けそうな黒い大きなテーブルの上には、おびただしい数の書類が散らばっている。
疲労が蓄積しているのか、アルフレッドさんは眉間を右手の親指と人差し指で揉みながら「ふむぅ」と小さく吐息を漏らした。
ミツルにアロン・デルージョ本人について知りたい、と伝えると、アルフレッドさんに繋ぎを取ってくれたのだ。
昨日はもう終業時間を過ぎていたので都合がつかず、今日改めて、ということになった。
そして始業時刻早々にこの部屋を訪れたという訳だ。
「消息不明ということは、研究機関から追放された後も、オーパーツ研究所はその消息を追っていた、ということですよね」
「追っていたというよりは、追放されてほどなく姿を消してしまったんだ。ある日忽然と」
「えっ!」
それからアルフレッドさんは、アロン・デルージョについて自分が知っていることを教えてくれた。
元は大陸の研究者だったが、オーパーツに魅せられ、妻子を捨ててシャル島に渡り独自に研究していた。その熱意と豊富な知識を買われ、十四年前、オーパーツ研究所の初期メンバーに抜擢された。
このとき、アロン・デルージョはアルフレッドさんより八歳年下の五十歳。なかなか偏屈な人物でスタンドプレイも多く、アルフレッドさんはチームをまとめるのに苦労したらしいが、オーパーツ研究が飛躍的に進んだのは彼に依るところが大きいという。
そして九年前、アロン・デルージョはRT理論を発表する。
結果としてこれが彼の思想をより独りよがりなものにし、最終的には研究者としての道を絶たれてしまう――。
「では、大陸に妻子がいるのですか?」
「そのはずだ。えーと……」
アルフレッドさんは壁に備え付けられているキャビネットを指差した。その上にもいろいろなファイルが山のように積まれている。
「ラキ局長の依頼でO研の過去の書類などもこちらに取り寄せてあるんだ。あの中に過去のメンバーの名簿もあると思うから、どうぞ」
「え、見ていいんですか?」
「ああ。申し訳ないが、わたしは手が離せないんでね」
「わかりました」
……とは言うものの、すごい量だ。オーパーツ監理局の情報はだいぶんデータ化されているが、オーパーツ研究所ではその点、かなり遅れているらしい。すべて紙ベースで保管されている。
貴重な資料なのでこの部屋から持ち出すことはできない。研究記録、発掘現場の調査結果など用途別にある程度は分けられてはいたものの、一つ一つの情報量が多く、紙の量も膨大だ。
それらを整理しつつ、研究者の個人情報のファイルを探し続けた。
そうして夕方近くになって、ようやくオーパーツ研究所の名簿を見つけ出した。
青いしっかりとした材質のリングファイルで、幅五センチほどの背見出しには何も書かれていない。
一枚目は所長であるアルフレッドさんの履歴書だった。写真が添付され、生年月日や住所の他、経歴などがずらずらと書かれている。二枚目には過去の業績などの一覧。
しばらくめくっていくと、四番目の研究者としてアロン・デルージョが現れた。
アルフレッドさんが言っていた通り、彼はシャル島に渡った時点で独り身だったようだ。住所がディタ区にある研究者用の単身者向けマンションになっていて、関係者欄は『無し』と記載されている。
研究者は大陸から来ている者も多いため、もし妻帯者ならここに家族の名前と大陸の住所が記載されているはず。それが無いということは、もう縁を切ってしまっていた、ということだろう。
大陸の妻子が行方を知っている可能性は低そうだな……と思いながら紙をめくると、やや皺が寄ってくたびれた紙が添付されているのを見つけた。
走り書きでバルト区の住所が書いてある。……とは言っても番地はなく、大まかな場所しか書いてないが。
研究機関から追放されたあと、移り住んだ場所だろうか。
「アルフレッドさん。ここに、アロン・デルージョが住んでいたと思われるバルト区の住所が書いてあるんですが……」
「ん?」
ファイルを見せると、アルフレッドさんは眼鏡を額に上げ、じーっとそのメモを見た。
「何か覚えてらっしゃいますか?」
「……ああ、そうだ。これは、わたしが書いたんだよ」
「アルフレッドさんが?」
「ああ。去り際、これからどうするんだと聞いたら独りでも研究は続ける、とこの地に行くようなことを言っていた。研究と言えば発掘現場に近いディタ区に居続けるのだろうと思っていたから、ちょっと驚きでね」
「そうですか……」
「そのとき、O監にも報告した覚えがある。それでO監も念のため、彼の様子を見に行ったんじゃなかったかな。だが、その場所には誰も住んでおらず……以降、消息不明、という訳だ」
ということは、O監になら詳しい住所も残されているかもしれない。
調べてみるか……。
アルフレッドさんにお礼をいい、立ち上がったところで内線が入った。
邪魔してはいけないな、と黙って会釈だけして扉に向かう。
「はい。……ああ、今いるよ。……わかった、伝えておく」
どうやら俺のことらしい。
ドアノブに伸ばしかけた手を引っ込め振り返ると、ちょうど内線を切ったアルフレッドさんと目が合った。
「リュウライ、ミツルからだ」
「何でしょう?」
「局長控室に来てほしいらしい」
「分かりました」
ということは、局長の呼び出しではなくミツル自身の用事だな。
ちょうど良かった、アロン・デルージョの住所についても聞いてみよう。
俺はもう一度アルフレッドさんにお礼を言うと、今度こそ来賓室を出た。




