第5日-1 列車事故の顛末
「よう、リュウライ!」
俺が病室に入ると、ガティさんがベッドの上で上半身を起こし、ニカッと笑って右手を上げた。ベッドの上には小さいテーブルが出されていて、その上には数枚の紙とペンが転がっている。
「報告書、ですか」
「おうよ。まーったく、右手が無事なら書けるだろう、だとよ。相変わらずO監は人使いが荒いよな」
どうやら一文字も書けていないらしい。真っ白なままの紙をちらりと見ると、ガティさんは「苦手なんだよなあ」と溜息をついた。
ガティさんの両足は指先から甲にかけて包帯でぐるぐるに巻かれ、ギプスでガッチリと固定されている。
あのとき――時限爆弾のカウントがゼロになる直前。
俺はあの男から奪ったシールドを起動し、どうにか爆発を抑えることには成功した。
しかし黒ずんだ結晶ではすべてを防ぎきることはできず、爆発の衝撃で五両目はバルト駅のホーム手前で脱線。それに釣られ前方の車両も線路からはずれ、ガティさんとアルフレッドさんがいた一両目は斜めに倒れ、ホームと激突した。
幸い列車は止まる直前で、スピードはかなり遅かった。全身防護服で身を包んでいたガティさんはアルフレッドさんを守り切ったものの、運悪く倒れてきたシートで足先を挟まれて両足の小指を骨折。こうしてバルト区にあるこの病院に入院することになったのである。
「小指以外は元気なんだがな。多少無理すれば歩けねぇこともないし……」
足先だけ包帯を巻かれた巨大な男が身を縮こませ、四角いベッドにどうにか収まっている、という状態である。足首より上は全然問題ないので退屈だし、また気恥ずかしさもあるのだろう。
ガティさんはボヤきながら「はぁーあ」と再び大きな溜息をついた。
「足の小指は歩き出すときに重要な役割を果たしています。ここで無理をして歪んだり痛みが残るようだと、咄嗟の時に動けなくなりますよ。今後の任務にも差し支えます」
俺の言葉に、ガティさんは不承不承頷いた。赤茶けた刈り上げ髪をガシガシと乱暴に掻く。
よほどストレスが溜まっているらしい。……まだあれから三日しか経っていないのだが。
「まぁ、ごもっともだけどよ。……しかしお前、よく無事だったな」
「爆風で飛ばされて列車の外に投げ出されたのが幸いでした。壁に叩きつけられていたら無事では済まなかったかもしれません」
オーパーツはあっという間に結晶内のエネルギーを使い切ってしまった。破れたシールドから漏れた爆風で飛ばされてしまったが、斜めになった車両の下側ではなく上側だったのが幸いし、衝突直前に紅閃棍で窓を割って飛び出した。
五両目はまだホームに入っておらず辺りは草が生えた荒れ地だったこともあり、殆ど無傷。ガラスの破片で頬を切ったくらいだ。
「いや、リュウライじゃなかったら多分、大怪我だろう。さすがだな」
「そんなことは……」
「格闘術はいつからやってるんだ?」
「四歳からですね」
「そんな早くからか。喧嘩っ早い子供だったのか? とてもそうは見えないが」
「逆です。家に閉じ籠りがちだったのを心配した両親に、道場に連れて行かれました」
「ふうん。そこで才能が開花したってやつか」
ディタ区で定食屋をやっている俺の両親は、客商売の人間らしくどちらも元気で明るく頑丈なのが取り柄だ。
しかし生まれてきた俺があまりにも小さく、おとなしかった。泣いたり笑ったりといった感情表現にも乏しく家に引き籠りがちなので、
「体を動かして発散出来れば少しは明るくなるだろう」
と近くの道場に放り込まれたのだ。
最初は訳がわからなかったが、やってみると面白かった。猫背がちだった姿勢も良くなり、それと同時に真っすぐに周りを見れるようになった。
感情を表に出すのは相変わらず苦手だったが、俺の中では確かに何かが変わった。
他と闘うように見えて実は自分と向き合う〝武術〟に惹かれ、いつの間にか夢中になっていた。
九歳頃には
「どのみち客商売など俺には無理だし、将来は警察官になろう」
と思っていた気がする。
そんな昔のことを思い出していると、病室に掛けられた時計が午後一時を指していることに気づいた。
しまった、思い出を振り返っている場合じゃない。
「ガティさん、すみません。今日はこれで失礼します」
「もう行くのか。つまらんな」
大きい体で妙に可愛らしいことを言う。それに、俺にそんなことを言う人もかなり珍しい。
「アルフレッドさんの護衛です。監理局のラキ局長の元に案内しなくてはならないので」
「そうか、そうだな」
アルフレッドさんはガティさんが庇ったおかげで無傷だった。しかしご高齢ということもあり、この病院の特別室に入院している。一通り検査をし、どこにも異常がないことがわかったので今日の午後に退院することになったのだ。
ここからはオーパーツ監理局の送迎車で向かうことになる。
「それでは、また」
「おう」
元気よく手を上げるガティさんに会釈をし、病室を後にする。
しかし次に見舞いに来る頃には、我慢できずに退院してしまっている気もするのだが。
* * *
O監に着き、他の警備官と共にアルフレッドさんを局長室まで送り届ける。
そのままいったんは下がったが、十分後に引き返して局長室の扉をノックした。
生き埋めのときに戦った男と再び遭遇したことなどは既に報告書にまとめて提出してあったが、直接話を聞きたいと言われていたのだ。
部屋に入ると、ラキ局長とアルフレッドさんは局長机の前のソファに向かい合わせに座っていた。
その脇に立ち、再び頭を下げる。
「お待たせいたしました」
「いや、ご苦労だった。それでは何が起こったのか、説明してくれ」
「はい」
俺はアルゴン駅からベリアム駅では何もなかったこと、ベリアム駅で乗り換えのときも不審人物などは見かけなかったことを話した。
そして、無人の五両目のことも。
するとラキ局長が、監理局の方で調査したことを教えてくれた。
「車掌については裏が取れている。正真正銘のダーニッシュ鉄道の人間だ」
「そうですか……」
「五両目には誰もいなかった、と証言している」
つまり、あの男は準備を済ませたあと六両目辺りに紛れていた、ということか。
そして最後の確認に訪れたところで、車両内をあちこち探っている俺の姿を見つけた、と。
「車掌はその状態に違和感を感じなかったのでしょうか……」
「通勤時間を過ぎていたし、特に気にも留めなかったらしい。四両目に人がいるのを見て『今日は随分と偏ってるな』とは思ったらしいが」
ちなみに指定席の客が四両目に偏っていたのは、五両目にいた男から
「車両点検のため四両目に移ってほしい」
と頼まれて四両目の切符と交換したから、とのことだった。
つまり予約自体は五両目にも入っていたが、そこの乗客達は男に言われて四両目に移動した、ということだ。
とは言っても四人ほどが移って来ただけなので、最初から四両目にいたガティさんもおかしいとは思わなかったと言う。実際、その四人は一般の客で、
「あ、ここだ」
と切符を見ながら席に座り、そのまま普通に過ごしていたのだから。
そしてそれら乗客の証言から、その作業員はあのひょろ長い男と同一人物だろう、と推測できた。
そのように伝えると、ラキ局長は「そうか」と呟いたあと、眼光をグッと鋭くさせた。
「しかし、二回も逃げられるとは……」
「――すみません」
確かにそれは、俺のミスだ。あの男を仕留めきれなかった。
しかも今回は明らかにシールドのオーパーツを所持していたのだから、〈未知技術取扱基本法〉違反で現行犯逮捕できたのに……。
唇を噛みしめがら深々と頭を下げると、ラキ局長は
「そうじゃない」
と言って俺の報告書のある部分を指し示した。
「君らしくない、と言いたいところだが、あり得ないことが起こったようだな。この〝瞬間移動〟というのは何だ?」
「男が防御に転じて……構えていたら、ふと風が止んだんです」
「風が止んだ?」
「はい。……いや、一瞬空気が止まった、というか。風だけでなく音も匂いも気配も途切れたというか。そんな感じです。ほんの一瞬ですが」
「……」
「次の瞬間には、男は元いた場所から三メートル以上離れた乗降ドアに移動していました」
ラキ局長の灰色の瞳が細くなる。アルフレッドさんの眉間の皺がグッと深くなった。
「ですので、何か未知のオーパーツじゃないかと……。とにかく、常人の動きとは思えなかったので」
「ふむ。そうだな」
俺の言葉に頷くと、ラキ局長の視線が右に動く。アルフレッドさんが鼻から息を漏らしながら何度も頷くのが見えた。
「わかった。報告、ご苦労。指示があるまで待機していてくれ」
「了解しました」
どうやら、その〝未知のオーパーツ〟について聞くために、アルフレッドさんを招聘したのだろう。
ならばそれに関する任務が近いうちに下るに違いない。
「――いや、待ってください」
会釈をして回れ右をしようとしたところで、アルフレッドさんが呼び止めた。
「リュウライ。これは、実際に体験した君に聞いておいてもらいたい話だ」
「ワグナーさん、何を……」
「ラキさん……いや、ラキ局長。これは思ったより急を要する事態かもしれません」
アルフレッドさんの髭だらけの顔が、深刻そうな……というより、悲痛ともいえる表情に歪む。
どうしたものか、と思っているとラキ局長が小さく頷くのが見えた。話を聞いていけ、ということだろう。
俺は元の通り二人の脇に立つと
「わかりました。よろしくお願いします」
と頭を下げた。




