美少女クラスメイトが記憶喪失になったので、「君は俺の彼女だよ」と嘘を教えてみた。だけど本当は記憶なんて失っていなくて、マジで俺のことが好きだったらしい
もし学年一の美少女が、俺の彼女になったら――。そんな妄想を、誰だって一度はしたことあるだろう。
誰もが憧れる美少女と一緒に登下校したり、美少女お手製のお弁当をあーんで食べさせて貰ったり、放課後急な豪雨に見舞われてどちらかの家で雨宿りすることになったり。
俺・相馬浩人も、例外なくそんな妄想に耽るわけで。
しかしまぁ、俺みたいな根暗でぼっちのオタクが、間違ってもクラスの人気者と付き合えるわけなんてないだろう。身分違いの恋が成立するのは、創作物の中だけの話だ。
それこそ意中の相手が記憶喪失になって、その上俺を彼氏だと誤認することでもない限りあり得ない。そう思っていると……
「あの……ここはどこですか? 私は誰ですか?」
本当に美少女クラスメイトが、記憶喪失になって俺の前に現れた。
彼女の名前は、藍沢詩織。学年で最も可愛いとされる女子生徒だ。
クラスの中ではいつも人に囲まれていて、男女問わず友達の多い人気者である。
当たり前だが、休み時間いつも教室で本を読んだりスマホをいじったりしている俺と接点なんて、まるでない。交わす会話だって、精々業務連絡くらい。
俺に出来るのは「今日も可愛いなぁ」と思いながら、遠くから藍沢のことを眺めることだけだった。
……いや。思い返してみたら、そういえば一度だけ話したことがあるな。
入学式の日だったか、俺は登校途中に偶然藍沢と出会した。
初日なのでいつもより早く起きて、早く家を出たのが藍沢との邂逅イベント発生させたらしい。早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。
藍沢はどうも方向音痴らしく、学校に行くのに迷っていた。
スマホの地図アプリと睨めっこしながら右往左往していたので、俺が声をかけて、彼女を学校まで案内した。
俺と藍沢の交流なんて、その程度である。
別れ際に「ありがとう!」と言いながら向けられた笑顔に、俺は見惚れてしまったわけだが……藍沢の方は、そんなこと覚えていないだろう。
俺にとっては唯一の好きな人との思い出も、藍沢にとっては数多いる男子生徒との会話の一つに過ぎない。
だからもう二度と藍沢と関わることなんてないと思っていたんだけど……バナナの皮で滑って転んで記憶喪失になるところを目撃するとか、どこのラブコメ小説だよ?
モブキャラには荷が重すぎるイベントに、俺は頭を悩ませた。
……いや、待てよ。
もしここで、「君は俺の恋人だよ」と教えたら、どうなるだろうか? その言葉を真に受けた藍沢は、俺の彼女になってくれるだろうか?
「……君の名前は藍沢詩織。俺の恋人だよ」
それは完全に出来心で。
藍沢と付き合いたいという欲望に負けた俺は、ついそんな嘘をついてしまった。
「私が、あなたの恋人……」
藍沢は復唱する。
「恋人って、あれですよね? 手を繋いだり、イチャイチャする的なやつですよね?」
「そうだな。毎日手を繋いで登下校して、休日は俺の部屋で一緒にゲームをした。ゲームに熱中し過ぎたせいで終電を逃して、一つ屋根の下で夜を明かしたこともあったな」
「もしかして……一緒のベッドで?」
「いいや。二人とも寝落ちしてたから、同じベッドで頭を重ねてた」
調子に乗った俺は、これでもかというくらい話を盛った。言うまでもなく、今の発言は全てフィクションである。
「私たち、随分と上手くやっていたみたいですね」
「それはもう、誰もが憧れるラブラブカップルだったさ」
「そうだったんですね。……あの、恋人にこんなこと聞くのは失礼なのかもしれませんが、あなたのお名前を教えて貰っても良いですか?」
「あぁ、そうだよな。……浩人だ。相馬浩人」
「浩人さんというんですか。良い名前ですね。浩人さん……浩人さん……」
藍沢は俺の名前を何度か繰り返す。
「不思議とその呼び方が、しっくりきます。懐かしいとさえ感じるのは、気のせいでしょうか?」
うん、気のせいだね。「浩人さん」だなんて、呼ばれたことないもの。なんなら苗字を覚えられていたのかさえ疑問が残る。
……さて、そろそろ潮時かな。
記憶喪失の藍沢の中だけとはいえ、俺は彼女と恋人同士になれた。もう満足だ。
「嘘ぴょーん」と軽い感じで白状して、藍沢とは元の関係性に戻るとしよう。単なるクラスメイトという、ロマンスの欠片もない関係性に。
俺が真実を語ろうとした、その瞬間――
「どうやら記憶は失っても、想いまでは消えていないみたいです。浩人くんへの好意が、自然と胸の奥から溢れ出してきます。きっと記憶を失う前の私も、浩人さんのことが大好きだったんだろうなぁ」
僅かに頬を紅潮させて、藍沢はそう語る。そんな彼女を見て……俺はとうとう、真実を打ち明ける機会を逸してしまった。
◇
翌朝。学校の最寄駅で電車を降りると、改札口の近くで藍沢が立っていた。
早く学校へ行けば良いのに、改札の近くなんかで何をしているのだろうか? 不思議に思いながら藍沢の前を通り過ぎようとすると、彼女は「あっ!」と声を上げた。
「おはようございます、浩人さん!」
「おっ、おはよう。こんなところで何しているんだ? 誰か待っているのか?」
「誰かじゃなくて、浩人さんを待っていたんですよ。毎朝手を繋いで登校しているって、浩人さんが教えてくれたんじゃないですか」
ムーッと頬を膨らませながら、藍沢は言う。そういえば、そんな嘘もついたな。
「だから今朝も一緒に登校しようと思ったんですが……驚きましたよ! 恋人なのに、浩人さんの電話番号を知らないんですもの!」
「そっ、それは……ラブラブのカップルともなれば、電話なんてなくても互いの言いたいことが伝わるからな。以心伝心ってやつだ」
我ながら、酷い言い訳だと思う。余程のバカじゃない限り、こんな嘘信じない。
「そうだったんですね! 心と心が繋がっている私たちなら、成る程、確かに電話なんて媒体必要ありません!」
信じちゃったよ、この余程のバカは。
連絡先を知らない件はこれで有耶無耶になったものの、それでもやっぱり藍沢の連絡先は欲しい。俺はどさくさに紛れて、彼女と連絡先を交換した。
俺と藍沢は、学校へ向かって歩き出す。
藍沢のペースに合わせて歩みを進めていると、先程から彼女がチラチラと俺の手を見ていた。
何を考えているのかは、大体予想がつく。きっと藍沢は、俺と手を繋ぎたいのだろう。
だけど周りの目もあることだし、その嘘を実現するのは恥ずかしい。俺はそれとなくポケットの中に手を突っ込んだ。……ヘタレですみません。
「あっ……」
「どうかしたのか?」
「……いいえ、何でも。それより、浩人さん。私たち、お昼はいつもどうしてたんでしょうか?」
「お昼?」
「はい。その……仲睦まじいカップルらしく、一緒に食べたりしたのかなーって」
「あー。そういう」
お昼休みの設定は、何も考えていなかったな。
ラブラブカップルという設定なのだから、当然お昼も彼女の手作り弁当を一緒に食べていることにするのが妥当だと思うけど……「おはよう」から「さようなら」まで藍沢を独占するのは、どうにも気が引ける。
俺も少しくらい一人になれる時間が欲しいし、ランチは一緒に食べていないってことにするか。
うーん。だけどお昼は別々というのも、不自然だしなぁ……。
間をとって、「月水金だけ一緒に食べている」という設定にしておいた。
「今日は水曜日ですから、一緒にお昼を食べる日ですね。学食にしますか? それとも購買にしますか?」
「学食は混んでて嫌いだ。だから購買でパンでも買って、人のいない所で食べよう」
「体育館倉庫とか?」
確かに人は来ないだろうけど、そのチョイスはどうかと思う。汗臭いマットに座ってランチなんて、いくら何でも嫌だよ……。
「気温や天候に左右されないから、外よりも中の方が良いな。視聴覚室なんてどうだ?」
「視聴覚室には、鍵がかかっているんじゃないですか?」
「実はあの部屋、鍵が壊れててかからないんだ。だから、いつでも誰でもウェルカム状態。意外と知られていないんだけどな」
情報源に乏しい俺が、どうして皆が知らないような情報を掴んでいるのかって? そりゃあ俺が使った直後に視聴覚室の鍵が壊れたからだ。
結局その日は、視聴覚室で二人で昼食を取った。
メニューはいつもと同じ、購買のメロンパンだったが……今までで一番美味しく感じたのは、多分好きな人と一緒に食べたからなのだろう。
何を食べるのかも大切だけど、誰と食べるのかも同じくらい或いはそれ以上に大切なのだ。
今週の金曜日は祝日で、学校は休みだ。なので次藍沢とお昼を一緒に食べるのは、月曜日ということになる。
三連休をこんなにも恨めしく思ったのは、初めてのことだった。
◇
その日の夜、俺は自室でオンラインゲームを楽しんでいた。
リアルではぼっちの俺だが、ゲームの中では沢山のフレンドがいる。ゲーム上だけの関係性と言う人もいるかもしれないけれど、俺にとってはかけがえのない友人たちなのだ。
三時間程オンラインゲームを楽しんだところで、そろそろ夕食の頃合いだと思いログアウトする。
ベッドに寝転んでスマホを確認すると、メッセージが届いていた。
この三時間で、30件以上も。
家族なら、わざわざメッセージなんて送る必要ない。となれば送信者は家族以外の人間で。
家族以外に俺が友達登録している奴なんて、一人しかいなかった。
俺は藍沢とのチャットルームを開く。【今良いですか?】、【都合の良い時に返信下さい】というメッセージが、大体5分おきに送られている。
俺が【悪い、返信遅くなった】と送ると、瞬時に既読が付いた。
次はどんなメッセージが送られてくるのかと身構えていると、なんと今度は電話がかかってくる。それもテレビ電話だ。
「えっ、マジで!?」
慌てて起き上がった俺は、待たせては悪いと思いつい通話ボタンをタップした。……背景にエッチなポスターとか、映っていないよね?
『こんばんは、浩人さん』
スマホの画面に映った藍沢はどうやら風呂上がりのようで、まだ髪が濡れている。そして学校では絶対見ることの出来ない寝巻き姿が、男心を更にくすぐった。
「いきなりテレビ電話なんて、何か用事なのか?」
『んー。用事って程じゃないんだけど……ちょっと顔が見たくて』
彼氏の顔が見たいから、三時間ずーっとメッセージを送り続けていたの? 何それ、可愛すぎるだろ!
テレビ電話なので、徐々に染まりつつある頬を隠せなかった。
『浩人くん、顔が赤いですよ?』
「……お前と同じで、風呂上がりなんだよ」
『確かにお風呂上がりではありますけど……私の顔が赤い理由は、お風呂のせいじゃありませんよ? こうして夜も浩人くんとお喋り出来るのが、嬉しいからです』
俺の顔が更に真っ赤になったのは、言うまでもない。
俺と藍沢の会話は、特筆することもないような他愛ないものだった。
だけどそういった何気ない会話でこんなにも幸せな気分になれるんだから、やっぱり俺は藍沢が好きなのだろう。
俺は藍沢に嘘をついている。
だからこの偽りの関係も、いつかは終わりにしなくちゃならなくて。藍沢の記憶が戻るか否かに限らず、だ。でも……
こんな多幸感を味わってしまっているのだから、いよいよ「藍沢の彼氏」というポジションを手放せなくなっているのではないだろうか?
まだ藍沢と偽りの交際を始めて一日だけど、俺は早くもそう思い始めていた。
◇
藍沢が記憶を失って、一週間が過ぎた。彼女の記憶は、依然として片鱗すら戻っていない。
今朝も俺は、藍沢とは一緒に登校していた。勿論、手は繋がないで。
「浩人さんと過ごせるのなら、学校に通うのも案外悪くないですね」
「その気持ちはわからなくもないが、それでもやっぱり授業はかったるい。特に英語。長文を見るだけで、頭が痛くなってくる。ほら、俺って生粋の日本人だから」
「日本人は関係ないと思いますよ」
「ナイスツッコミ! ……って、やべっ。話をしていて思い出したけど、今日英語の課題の提出日だった。全然手をつけてねーよ」
「英語の課題ですか?」
「そっ。結構な単語数の長文読解。流石にあれをホームルームまでに終わらせるのは無理だからなぁ。潔く先生に怒られるとするか」
「その心配はありませんよ。先生が出張する関係で、英語の課題の提出日は来週になりましたから」
「えっ、そうなの? そんなこと言ってたっけ?」
「はい。先週の授業の最後に。……もしかして、忘れてたんですか?」
「そりゃあ、まあ。先週のことなんて、覚えているわけないだろう? …………ん?」
ちょっと待てよ。今のやり取り、おかしくないか?
先週の先生の話を俺は忘れていて、藍沢は覚えている。よく考えると、これはあり得ない話だ。
記憶喪失の藍沢が、先週の出来事を覚えている筈がない。
本当は藍沢も覚えていない、彼女は嘘をついている? ……いいや。今の口振りからすると、藍沢が先週の先生の発言を覚えているのは本当だ。
そうなると、必然的に別の部分が嘘ということになってくる。……藍沢は記憶を失っていなかったのだ。
「藍沢……お前、記憶喪失なんかじゃないだろ?」
「――!」
藍沢は目を見開いて驚く。「どうして……」と漏れてしまっていることから察するに、やはり彼女は記憶喪失ではないみたいだ。
「どうしてはこっちのセリフだよ。どうして記憶喪失のフリなんかした?」
「それは……」
「いや、この際記憶喪失を装った理由なんてどうでも良い。記憶を失っていないのなら、どうして俺と一緒に登校したりお昼を食べたりしている。全部嘘だって、わかっているんだろ? 罰ゲームか? それとも冷やかしか?」
「罰ゲームでも冷やかしでもありませんよ。私が望んで、やりたいようにやっただけです」
「やりたいようにやった?」
「はい。……私だって、浩人さんと付き合いたかったんですから」
……え? ちょっと待って、今俺告白されてる?
聞き間違いではなく、藍沢ははっきり俺と付き合いたいと言った。会話の流れ的に、買い物に付き合うみたいな勘違いでもないだろう。
罰ゲームや冷やかしという線、恐らくだがない。だって俺の呼び方が、「浩人くん」のままだもの。
「記憶喪失になれば、それを良いことに私を抱いてくれるんじゃないかと思って。実際には手さえ繋いでくれないヘタレでしたけど」
「ヘタレ言うな。こっちは今まで彼女どころか、友達すらろくにいなかったんだぞ」
「友達なら、今でもいないじゃないですか。友達より先に、彼女が出来ちゃいましたね」
そう言って悪戯っ子のように微笑む藍沢もまた、なんとも愛らしい。
「この一週間は、今までの人生で一番幸せでした」
「そうかよ。俺は人生で一番恥ずかしい思いをしたよ」
あぁ、クソッ。俺もバナナの皮を踏んで滑って、この一週間の記憶を失おうかな。
一緒に登校した記憶もお昼を食べた記憶も、惜しくなんてないさ。だって――これからも藍沢との思い出は沢山作れるのだから。