88 愛人の思惑
奪還を頼まれた愛人は、面倒ごとを押し付けられて、すっかり不機嫌であった。
『全く、どうして私がこんなことしなくちゃいけないのよ!』
しかも急だったので馬車も用意してもらえず、歩きでそこに向かっているのだ。
「あ、あの〜・・・大丈夫ですか?」
見兼ねて付いて来てくれた衛兵の男が、後ろから遠慮がちに話しかけてきた。
彼女のことをいつも憧れの眼差しで見てくる男である。
おどおどしていて頼りないが、ひとりで行くよりはいくらかは心強い。
彼女はコーラーの外見を嫌悪していた。
だから、この国で次の男を探していたのだった。
隙を見ては目ぼしい男と夜を共にしたが、やはり彼ほどの金持ちはそうそう見つからなかった。
それに彼の愛人であるからこそ、自分の価値が上がることもわかっていたので関係を止められなかったのだ。
だが、最近ではコーラー人気の下落と共に、自身への羨望も少なくなったことを実感していたのであった。
今では厄介そうに見て来る者や、誘っても無視してくる者までいる始末だ。
『もうそろそろ潮時かもしれない・・・』
コーラーは何らかの理由をつけて処刑されてもおかしくない程に、敵がたくさんいた。
その上、国王からの信頼も薄らいできているのだ。
そうなれば自分の身も危ないかも知れない。
選択は二つ。コーラーと共に国外へ脱出するか、見切りをつけて別の男とやっていくかであった。
コーラーには冷酷なところがあるので、年老いていく自分のこともいつ見捨てるかも分からないのだ。
この先ずっと、好きでもないあの男の顔色を伺いながら生きていくのなら、彼があんなにも大事にしている物を奪い返して、それを渡す代わりにたんまりと金をいただくほうが賢明そうであった。
後ろの男をちらりと見てみる
衛兵だから相手にしていなかったが、よく見れば顔はそんなに悪くはない。
この手の、女性に免疫のない純真そうな男は扱いやすそうだ。
味方にしておけば、国外に出るまでは使えそうだなと考える。
「コーラー様が『取りに行け!』と強い口調で言われたので行くしかありません」
「ですが・・・馬車も用意してくれなかったのですか?」
「あの方は自分には甘いのですが、私にはいつもこうなのです。こんな風に無理難題を言われることもあって・・・ううう」
彼女は同情を引くために嘘泣きをした。
「こんなことが、しょっちゅうあるのですか?」
「ええ。ですが私の要領が悪いのがいけないんです。コーラー様は決して悪くはないですわ!」
コーラーを庇うことによって、男は『俺が守ってやらないと!』と勘違いするのだ。
その証拠に彼は顔を曇らせ同情を寄せているようだ。
「私は平民の出ですので、歩くことには慣れているんですのよ!」
「そ、そうなのですか!?」
決して手の届かない女ではないと思わせておきたい。
「コーラー様に見初められてこんな贅沢な暮らしをさせていただいているのですもの、文句など言ってはいけませんよね。里の両親に怒られてしまいます」
「もしかして、意にそぐわない・・」
「それ以上は言ってはいけません。私だって誰かを好きになってその人と添い遂げたかった。ですが実家には借金が・・・」
家の為に仕方なく好きでもない男のところにいるのだと思わせることが大事なのだ。
「そうだったのですか」
彼は心の底から、彼女の出まかせを信じているようだった。
「それよりも足元が悪いので、腕を貸してはいただけませんか?」
彼女は声のトーンを明るくし、彼の腕に手を回した。
勿論、肘が胸に当たるように密着する。
男は赤い顔をして、体を強張らせ緊張しているようだ。
これで『コーラーから逃げたいので、手を貸して欲しい』と頼めば言うことを聞いてくれることだろう。
コーラーが話していた場所はすぐにわかった。
もくもくと煙が上がっていたので、慌てて走り出す。
「木が表紙の本を何としてでも取り返して来い」と言われたので、間に合って欲しいと彼女も必死だ。
そこにはバケツを持った若い男たち・・・そのうちの一人には見覚えがあった。
コーラーに紹介された火の能力者だ。
顔が気に入ったので一度だけ関係を結んでやったことがあったからだ。
「本、本は?」
突然、誰かから声をかけられてみんなはそちらを見た。
その声の主である女は走って来ると、いきなりイグニスの胸ぐらを掴んだのだった。
「コーラー様の本をどこにやったのさっ!!」
イグニスは見知った顔だったので、気まずそうに視線を逸らしたが、言うべきことは言った。
「残念だったな・・・もう処分した後だ!!」
女は顔を真っ赤にして、イグニスの頬に向かって平手打ちをした。
「この、バカ!!何てことしてくれたんだっ、お前のせいで計画は丸潰れじゃないか!!くそっ、お前なんかあのときにさっさと殺されておけばよかったんだー!!」
恐ろしい顔でそう喚きながら、イグニスにむかって手を上げ続けている。
リュードとボルヴィーは女を止めようと間に入った。
付き添って来た衛兵は、憧れていた女性が罵りながら攻撃していることに棒立ちで眺めていたのだった。




