稲生見香穂の場合(3)
最高難度のクエストだという触れ込みは間違っていなかった。
指揮と補助と回復を主とする『軍師』であるはずのストレイ・キャットは、単独で隠しボスに挑まなければならなくなってしまったのだ。
隠し扉を恐る恐るくぐったキャットは動作が入力されていないのに震えながら狭い廊下を進み、曲がり角に行き当たった。
グロかったりホラーだったりするボスだったらどうしよう、と思っていたが……。
どうやら、そうではないらしい。
やたらと丸っこくて可愛らしい、兎をモチーフにしたらしいキャラクターが、上り階段を守っている。
『ナヴィ・ノワール』という見知らぬ名が、プライベート・チャットに表示された。
目の前のキャラの名前だろう。
──やあ、ストレイ・キャット。よく来たね。
このようにボスやNPCから話しかけられるのはよくあることだが、仕組みは厳重にブラックボックス化されている。
『何の用?』
香穂は強気な応答を入力した。
臆病な本性を、たとえ相手が人工知能や運営だとしても(そういう噂がある)気取られたくなかった。
──そう邪険にしないでよ。僕は君にいい話を持って来たんだ、稲生見香穂さん。
『あっ! 個人情報!』
──ゲームにリアルを持ち込まない主義なんじゃなかったっけ?
『先に本名呼んだのそっちでしょ』
──まあ、そうだねぇ。ついでに話を聞いてくれると嬉しいんだけど。
『別にいいよ。皆は?』
──見てるよ。でも、どうするか決めるのは君だからね。あ、カホちゃんって呼んでいい?
『OKOK。そっちは? ナヴィでいい?』
──うん。カホちゃんが寛容な人で助かっちゃうな、僕。
"冷や汗を掻きながら笑う"動作が可愛らしい。
他の皆はどう思いながら見ているのだろうかと一瞬だけ考えた。
『それで、一体何の用なの?』
──協力して欲しいんだ。
『ああー。やっぱり『内なる獣』の話ね。そんなに人手不足なの? 魔導師連盟って』
──説明をありがとうカホちゃん。人手は足りてるんだけど、特別任務に就ける人が必要なんだよね。
『特別任務ねぇ。魔法少女らしい仕事なら、考えなくもないけど』
──マジで!? ホントに助かっちゃうなぁ。魔法コースに進んでもよかったんじゃない?
『それとこれとは別。学校好きじゃないし……戦いなんてガラじゃないんだよ、わたしは。自分に負けてばっかりいるもの』
香穂の住む瀬ノ尾市は世界でも有数の魔法研究の拠点だ。
小中高一貫教育の私立学園には生徒に本格的な魔法を学ばせるコースが設置され、花形職業の一つである『魔導師』を多く輩出している。
香穂も学園に入学して魔法コースの授業を受けていたが、魔導師への適性試験を兼ねて形式的に行われる中学部の試験には合格しなかった。
従姉と違って、魔法の扱い方を学んでも、実力が伸びているとは思えなかった。
天才的な才能を持つ生徒が多くいる魔法コースにはついていけないと、自分で自分を見限ってしまった。
世界を脅かす存在と勇猛に華麗に戦い、速ければ十代前半で高い収入を得る事も出来る『魔法少女』への憧れは断ちがたかった。
だが、エリートコースから自ら離れた今ではその夢も立ち消えた。
狙い通り、父親や親族たちにしつこく口撃されることもなくなった。
従姉が『魔法少女隊』のエースになったから、関心を持たれなくなったんだろう。
──でも、誘われて悪い気はしてないはずだよ。ちがう?
ナヴィ・ノワールから魔法少女に関係するらしい仕事の話を聞いた途端、らしくもなく浮き立つ心の動きを実感する。
お気楽な引きこもりの日々の中で、とっくに忘れたと思っていた魔法への情熱が、まだ胸の奥にくすぶっているようだ。
香穂は"首を激しく横に振る"動作を初めて使った。
声を使って話すのとまったく同じ速度で打鍵し、思いをぶつける。
『わたしなんかが、何の役に立つって言うの? 魔法も普通の勉強も中途半端なのに』
──君には君の役回りがある。じゃなきゃ声なんてかけないさ……このゲームでだってそうだろ? 一般ユーザーで『軍師』になろうなんて人は一握りなんだぜ。
『それは、そうだけど……』
2021/4/7更新。