闇の魔法少女の仕事(7) ─二々山遊璃の場合─
耳鳴りで眼が覚めた。
半身を起こして確かめる。
"邪智の指輪"が激しく瞬いている。
真夜中だ。
来たるべき事態がいつでも来て良いように、変身を解かずに日常を過ごすこと三日目。
自分のベッドを降りて、寝室の可動式の壁を動かす。
ベッドで膝を抱えてうずくまっている幼馴染を、すぐに発見した。
「遊璃ちゃん……?」
慎重に声をかけると、遊璃が顔を上げた。
瑠璃色の短髪が折り曲げた背中の辺りまで伸びている。
頭の両端に2本の長い角が生え、彼女が遠い異世界から戻って来たことを主張するかのような魔力を放散している。
爬虫類と同じ形の瞳孔のある蒼い目から、滔々と血の涙が溢れている。
蒼い口紅を塗ったかのように濡れ光る形良い唇の端にも真っ赤な血がついていて──何をして破壊衝動に耐えていたのかがすぐに分かってしまう。
幼馴染の名前を呼びながら、慎重に近づいた。
小さく首を横に振るのを無視して、その白い腕をとった。
もうちょっと早く起こしてくれればなぁ、と割と普通な感想を持ちつつ、新しく覚えた治癒魔法を起動させる。
「香穂……だめ……」
「助けに来たよ。先に暴れててもよかったのに」
「だって……迷惑に、なっちゃう」
鋼のような精神力だ。
遊璃は『内なる獣』を解放した者が立ち昇らせる激しいオーラに身を包みながらも、ヒトとしての意識を保っている。
それがどれだけ苦しいことか、香穂にはまだ想像すらできないというのに。
「どうして、遊璃ちゃんばっかり我慢しなきゃいけないの?」
望んでいた通りの姿になったのに。
あとは自宅に戻って、望んでいた通りの行動をすれば済むのに。
知っていて訊くのも残酷だと思ったが、自分を憎んでくれればいいとも思う。
「……怪我じゃ済まない。わかるでしょ」
「うん。ごめん」
隣接する十岐川市で史上最年少の警察署長を務める男とその妻が、遊璃の敵だ。
ナヴィ・ノワールがこの3日のうちに調べ上げた結果が正しいとすれば、若き署長は姪に対する何度もの虐待をもみ消していることになる。
遊璃を引き取った二々山家の家族が何度も瀬ノ尾市警に通報しているのに、一度として捜査された形跡すらないというのだ。
そのくせ遊璃が自ら逃げ出せば、すぐに家出人として捜索されて自宅に戻らざるを得なくされる、と。
魔導師たちは、その力でもって他人に私的な制裁を行うことを厳しく制限されている。
一般人に対する警察権や逮捕権も持たない。
『内なる獣』と戦うことのみを任務とすることで魔法の行使を認められる、というわけだ。
『僕らって都合よく使われてるだけだったりしてね』と平気な顔で吐き捨てたナヴィ・ノワールの瞳が静かに燃え滾っていたのを、香穂は決して忘れる事ができないだろう。
「わたしが引き受けるよ。遊璃ちゃんの思ってる事、全部」
「でも……」
「いいじゃん減るもんじゃなし。協力してよね、臨時ボーナスせしめてやるんだから」
「賞金首か何かなの、私?」
薄い笑みを浮かべた遊璃が身じろぎするのに合わせて、香穂も手を離す。
今ここで戦ったところで、根本的な解決にはならない。
稲生見部長が言っていた通りだ。
でも、遊璃がいる環境を、誰が改善してくれるって言うんだろう?
警視庁のキャリアのトップだとかいうんじゃないから、毒島孝二の権力なんぞ本当は大したことない。
地元で、自分の家族に対して好き放題するくらいはできる。出来てしまうから、泣かなきゃいけない人が出て来るのだ。
例の拠点まで行こうというのか、遊璃が重い足取りで歩き始めた。
ナヴィ・ノワールが寝ているはずだ。
彼には結界を展開することに専念してもらう予定だから助力を期待してはならないけれど、そろそろ一人でも高位闇魔導師の力を使いこなして見せなければ。
良い機会だ。
二人で手を繋いでゆっくりゆっくり進み、ようやく拠点にたどり着いた。
壁掛けスクリーンを含めた器材がすっかり片付けられ、強力な結界で何重にも守られた拠点はさながら静かな戦場のようだった。
「『ウィザーズ・プライド』の……レイド戦みたい」
「どっちがレイドボスなのかな? やっぱ遊璃ちゃん?」
「香穂ちゃん、ちょっと変わったね……強くなった」
薄く笑った遊璃が一息に跳躍して距離を取り、アイテムボックスから専用の杖を持ち出した。
2021/4/15更新。