瑞穂香穂の場合(4)
翌日。
香穂は混雑しないように合計4カ所も設置された化粧室の1つを使い(我が家はホテルか何かか、と内心で思いつつ)、朝の身支度を済ませた。
泊まっている数人分の朝食を作るために台所へ向かった。
先にエプロンをつけて調理道具を準備していたシルヴィア=ローンが気づいて声をかけて来る。
「おはよう」
「おはよ、シルヴィア……早起きしたの?」
「うん。ずっと自炊して家事スキル磨いたから、香穂にも見て欲しくて」
「楽しみだなー。何作るの?」
簡単なんだけどね、と照れながらも、たっぷりのバターでオムレツを焼くという。
それと『エール&アンダーソンズ・ベーカリー』のドーナツとパンを盛り合わせにしてメインにし、更に野菜サラダと美味しいスープを仕立てたいんだとか。
「パンはプロに任せたいんだよね。自信がないわけじゃないんだけど」
決して口下手というわけでもないのだが、シルヴィアの言葉には、それだけでは表しきれない優しさや気遣いや感情が隠れている。
たとえば今のやり取りならば──"時間をかければ素晴らしい朝食を作れるけれど、皆もお腹を空かせているだろうから早く食べさせてあげたいのだ"といった具合に。
照れて料理の手順を間違えてしまってはいけないから、香穂はいつも通り、シルヴィアの本音を追求しない。
頷いてアシスタント役に回るだけだ。
双方が"水鏡の法"を得意としている。本音を探り合えばキリがなくなってしまうのは明らかだった。
「最近あんまり話せてなかったね、香穂。正直、ちょっと寂しかったよ……やっぱりもっと近くに居たらよかったな」
「わたしと話せないのを寂しいって思ってくれるなら、嬉しいよ」
何たって作る量が多い。手分けして卵を割り、素早く溶きほぐす。
箸のリズムまで合っている気がするけれど、きっと気のせいではないのだろう。
「……香穂に夢中になりすぎるのが怖かった。迷惑かけちゃうって思ってたの。助けてもらっといて不実だなーとも思ってたんだけど、意識して、距離を保ってた」
シルヴィアが大きなフライパンでバターを熱し、大きなオムレツを次々に焼いてゆく。絶妙な火加減でとろける食感を出した、1人につき卵が3個分のぜいたくな一品だ。
「ずっと言わなくてごめん、でも、私、香穂には勝手に近しいものを感じてたの」
「それが何かは分からない」
「うん。これからもそう、なんだろうね」
「わかんないままでいいと思うんだ」
「そう……だね」
何かを噛み締めるようにゆっくりと答えたっきり、シルヴィアは言葉少なく調理に集中した。
魔法少女に許されたスキルを存分に使いこなして調理を進め、1時間ほどで彼女の計画した朝食が出来上がった。
2階の食堂まで大量の料理を運び込み、並べる。
「どーよ! なかなかのもんでしょうが!」
机の前で、シルヴィアが珍しく自慢げに鼻を鳴らした。
"遊璃"の姿に戻れば、力加減に気を遣うことも繊細な動きを意識することもなく、もっと大胆かつ簡単に調理を済ませる事ができたはずだ。
あえて異世界の強大なる種族『半龍人』の姿のまま取り組んだのは……「お察しの通り、褒めて欲しかったのです」
というわけでテーブルから離れて、リクエストに応えることにした。
もちろん望まれる前からそうするつもりだった。
少しの失敗もなく、食べる人のことを何より思いやって、料理を仕上げたのだ。
手招きする。
おずおず近づいて来たのを抱え上げて驚かせ(ビバ身体強化魔法!)、その隙に頭を撫でる。
"天才だから"、"異世界の人だから"、"出来るのが当たり前だから"なんぞともっともらしい理由をつけられるばかりで、褒められることが多くなかったシルヴィアだから。
「……恥ずかしいよ」
「たまにはいいでしょ。あ、やっぱ似合わないかな? 胡桃とか刀哉とかの方が……」
「そんなことないけど。でも、香穂といると理想ばっかり高くなっちゃうんだよね。ああー困ったなぁ」
「うっ……ど、どうすればっ……」
「私が何とかするよ、自分のことだからね」
とか言いながら、『もうちょっとだけ』という分かりやすい本音が、可愛らしい顔に書いてある。
香穂は自らに身体強化魔法を重ねがけした。
2021/8/6更新。