闇の魔法少女の仕事(58) ─八雲=ヘイゼルフォードの場合─
ナヴィ・ホープを呆然と見送っている場合でも、ホッとしている場合でもない。
拠点の床に崩れ落ちてぐったりと眠り込んでしまった陽を、倖が寝室まで連れてゆくのを見送って、
香穂は先ほどからずっと拠点の隅っこでわだかまっている影に近づき、声をかけた。
「八雲、お待たせ」
「大変だったでしょう。休まなくていいのですか、香穂」
「多分、いま気を抜いたら戦えなくなっちゃう。休むならちゃんと仕事が終わってからがいい」
「なるほど、確かにその方がよさそうです。では」
膨らませたバランスボールくらいの大きさの漆黒の球体が、風船ガムのように弾けた。
エナジードリンクみたいな感覚で使うのもどうかと思ったが──八雲がぐいっと背伸びをする間に、香穂もシエル殿下お手製の指輪から膨大な魔力を引き出して戦闘に備えた。
親友たちの手を借りるのが嫌と言うわけではないのだけれど、やはり陽とも八雲とも正面から向き合いたい。
どんな無理や無茶をしたって、好きな人のストレスくらい受け止められなければ、専門職でいる価値なんかない。
「香穂は……私が人間をやめたいと言ったら、怒りますか」
「難しいこと訊くね」
オークリー=ロッジで行われる魔法の研究が徐々に成果を示しており、5年分くらいなら若返れたり、1時間ほど水中で地上と同じように呼吸したりできるようにはなっている。
それでも八雲の願いは今のところ異世界の専門分野だし、この先もそうだろう。
香穂は穏やかに、そう願ってしまう理由を話すよう促した。
「……アルビノの症状と付き合うのが辛いの。前はこんなこと、思いもしなかったのに」
大人たちの都合で打ち続いた激務が八雲の心を弱らせていると、香穂にはすぐに分かった。
常にサングラスや長袖の衣服を身に着け、夏以外でも日焼け止めが欠かせず、それでも紫外線を完全にブロックすることはできない。
皮ふや視覚などに障害が起きたり、重い病気につながるリスクも高く、治療法も見つかっていない。
八雲は思考を極端から極端に走らせやすい悪癖があるが、同じ立場になれば──心が追い詰められて弱っていれば、香穂だって『いっそ人間なんかやめたい!』と考えてしまうかもしれない。
「調べてくれたんですね」
「知識は増えたよ。でも、八雲の辛さを本当にはわかってあげられない」
特別で独特で、とても美しくて、少しだけ羨ましいと思っていたことも、正直に話してしまった。
「気にしなくていいのです、香穂。容姿を褒めてもらうのは久しぶりですし、私の事を分かろうとしてくれるだけで、充分なのです。ありがとう」
周りの人間と違うというだけでも、様々な困難やストレスと縁の斬れない日々を過ごしてきたに違いない。
できれば自我が身についてくる3歳くらいの時の記憶から丸ごと引き出して話を聞きたかったが──過去に八雲がお世話になったというカウンセラーの先生の仕事ぶりを信用しないわけには行かない。
「悪口とか言われた?」
「興味を持って接してくれるクラスメイト達を受け入れることはできましたが、そうでない人も居ました……今思えばありがちでレベルの低い言葉ばかりでしたが、相手によって応対に差をつけてしまったのを、今さらですが少しばかり後悔しています」
「子どもなんだから、悪口言ってる子を許すなんて難しいに決まってるよ……ヤクモちゃん。自分を責めるのは良くない」
寝室から戻って来た倖が八雲を気遣う。
「サチの言う通りです。自覚はありませんでしたが、やはり少し心が弱っているようですね」
今戦っちゃうとまずいのかな、とボヤいて、何かを確かめるように"ダークロード"に触れる。
人間などやめてしまいたいと願いながらも、戦う中で自分がどうなってしまうか分からないというわずかな直感を恐れてもいるようだ。
幸いなことに、これまで自ら『内なる獣』に変貌したことまではないのだと、八雲は言う。
「3人で"水鏡の法"を使ったらさ……『獣』の姿くらいは見えないかな?」
刀哉の場合を思い出して、香穂が提案した。
唇に人差し指を当てて考え込んだ八雲が、小さく頷いて見せる。
2021/7/23更新。
2021/7/24更新。