リリス
ビル街の一角、大通りから二本外れた通りには様々な商店が並んでいる。そのうちの一棟、三階建てのビルの二階にある店。外側にある看板には青背景に黒字で「リリス」と書かれている。看板も、ビル自体も古びた作りのそこは、いわゆる風俗店だ。
立地も、クオリティもあまり良くはないものであるが、それでも一定の需要はある。
その店内、受付には二人の店員がおり、奥にはもう二人いる。また案内と警備を兼ねている者も含めれば男性店員は七人いる。店の種別とグレード的に、たまに来る厄介な客をさばくにはこれくらいの人員は必要なのだ。
今日の受付担当、綾水は少しだが空手経験がある。それを売りにしてここに雇われた。綾水は過去に他の風俗店などで働いたことがあるが、この店はその中でも時給がかなりいい。
それというのも、時折店やバックヤードにスーツを着てガタイのいい『それらしい』人間が出入りしている。つまるところこの店は非合法な組織の隠れ蓑となっているのだ。
綾水も当然察しているが、口外はしないし、なにより金払いがいいので働き続けている。危ない客に関しても、それ用の『警備員』がいるので大きな問題ではない。
この日は夜のいい時間だが、平日なのもあって客足は鈍い。綾水たちや、嬢も暇を持て余している。
だが最近、妙に人気のある嬢がおり、密かに噂になっている。
『アルバムにない女』
この店を訪れた客が、まれに指定したのと全く違う嬢に相手をされ、しかもこの店どころか世の中と比べてもトップクラスの美貌であったという。
しかし同じ週や、別の月の同じ日に訪れてもその嬢はおらず、噂を聞いて来た客たちもそのほとんどが会ったことがない。
それが今日店にいることを、綾水は知っている。他の店員も気づいてはいるが、決して客に流したりはしない。そうすればたどる道を理解しているからだ。
普段は店の運営などには口を出してこない、この店のオーナーが一度だけ、この嬢に関しての口外の一切を禁じたのだ。それも念入りに。
ここの店の運営元をわかっていれば、裏切りなどできるはずもない。
綾水も何度か客に尋ねられたが、知らぬ存ぜぬを貫いている。
綾水は一度だけその嬢の顔を見た。信じられない、トップモデルもかくやという美女であった。それに相手をしてもらえるならばいくら払ってもいいと思えるほど。
ただそのときに見たその女の目は、今まで見たことがないほど凍りついていた。
そうしてやや呆けていると、店の外、ビルの方の自動ドアが開く音がしたのに気が付き我に返る。次に店のドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
制服であるスーツワイシャツの襟元を正し、顔を上げる。だが入ってきたのはまだ年端も行かぬ少年だった。
綾水は心のなかでため息を吐いた。
たまにあることなのだ。中には中学生が来たことすらある。そこまで幼いと店としても知らぬでは済ませられないので、丁重に追い返すのだ。
面倒な気持ちを抑えつつ、少年の出方を伺う。
少年は黒髪でミディアム程度の長さだが、整えられておらずボサボサである。容姿は並。身長はやや高めで、体格も比較的がっしりしている。
ただ綾水は一つだけ気になることがあった。少年の服だけが、妙に仕立てがいいのだ。そして少々年甲斐のない、背伸びしたような印象を受ける。黒のライダースパンツに、ネイビーのジャケット。どちらもかなり高級そうで、髪などとは不釣り合いに綺麗なままだった。
少年は綾水たちには目もくれず、店内を少し見回して嬢たちのいる奥へと続く廊下へと進んでいく。
「ちょっと!」
予想外の行動に、驚きつつ、面倒が増したと思い強めに警告した綾水。すると少年は手に持っていたかばんを綾水の方に放り投げた。ぎょっとした綾水だが、口の空いていたかばんから漏れ出したものに更に驚愕する。
札束がごろごろと出てきたのだ。思わずかがんで手にとってしまう。ハンドバッグにはいるだけ詰められていた札束は、ざっと数えるだけでも信じられないほどの大金で、目が釘付けになってしまう。
「奥、借りるぞ」
そう言い残して少年が奥に消える。欲望と責任の間で動けなくなる綾水。横を見ると一緒にいた堂田も同じように困惑している。
そうしていると、再び自動ドアの開く音が聞こえ、慌てて立ち上がる二人。ほぼ無意識にかばんを手に取り後ろ手に隠しながら。
「い、いらっしゃいませ――」