終章
〈四門の試し〉から五日後。
伶人あてに一通の封書が届いた。
差出人は『北斗財団』。
七星社の表向きの姿だ。
といっても形ばかりのダミーではなく、日本各地の様々な民間伝承を調査する民俗学の研究機関として実際に機能している。
「──あれ? これだけ?」
お待ちかねの誕生日プレゼントの包装を剥ぐ子供のような心地で封書を開く伶人だったが、
「埜乃が言ってた、召喚符か」
入っていたのは、九十九少女を召喚する霊符が三枚と、それを発動するための呪文が書かれた便箋だけ。
「詳細は埜乃を喚んで直に訊け、ってか? 本当に、俺にもできるのかな」
伶人は首を傾げた。
召喚符の使い方は〈四門の試し〉の折りに埜乃から説明されている。
方術の発動手順は符の霊的回路が担うので、方士は神気を注ぐだけでいいのだ、と。
だが、その方法が伶人にはいまいち解らない。
「自分の血を指先から符に注ぎこむようなイメージ、って士郎さんは言ってたけど……」
「とにかく、やってみたらどうじゃ?」
「だな」
そばで見ていた瑠姫に急かされ、伶人は窓際の床に召喚符を置いた。
刀印を結んだ指先を符に押し当て、
「──疾く参られよ。喼急、律令の如く」
士郎に教わった自己暗示を意識しながら、呪文を詠む。
数秒の間があり、伶人が〝だめか?〟と思ったところで、召喚符が発動。
あたかも間欠泉のように符から薄桃色の光が吹きあがり──埜乃が現れる。
「うっしゃ! 俺にもできた」
「──! こんにちは」
ガッツポーズで気勢をあげる伶人にちょっと驚きながら、埜乃はぺこりと頭をさげた。
「本日は、各種物品の提供と、諸々の説明に参りました」
そう言って、埜乃は小袖の袂から様々な物品を取り出しはじめた。
伶人の身分証、瑠姫の個人番号カード、血糖値を測るときなどに使う採血用の穿刺器具、乳鉢と乳棒、霊符らしき紙の束、士郎宅にもあった霊符プリンター、その専用紙や付属品──
身長120センチほどの女児の小さな袂から、そこに納まるとは思えない量の物品が出てくる。
「……君の袖口は四次元ポケットか?」
呆気にとられる伶人だったが、その不思議はどうせ方術の類いだろうから、どういう仕掛けになってるんだ? とは訊かない。
「では、まずお二人の〝身分〟から説明いたします」
埜乃はICカード型の身分証を伶人に手渡した。
それを見て「俺は北斗財団の学芸員か」と、伶人。
いつどこで起こるかわからない怪事──怪異や方士にまつわる事変──に対応すべく、調伏師は基本的に定職に就かない。
しかし、それでは生計が立たないし、現代社会にあっては世間体もよろしくない。
そこで作られたのが、北斗財団なのだった。
調伏師たちに財団の職員という肩書きを提供し、社会的信用と最低限の生活費を与えているのだ。
埜乃は、そうしたことを手短に説明すると、
「こちらは瑠姫さんに」
瑠姫にもカードを手渡した。
「なんじゃ? なにかの符か?」
「いえ、マイナンバーカードです」
「……なんまいだあ?」
「マイナンバーだよ。念仏唱えてどうする」
笑って、伶人はそのカードをのぞきこむ。
「瑠姫さんには〝御巫瑠姫〟の名で戸籍を用意しました」
「戸籍を用意した? マイナカードを偽造したんじゃなくて、戸籍そのものを捏造したの?」
伶人は目を見張った。
「はい。七星社には造作もないことです」
「へぇ……」
「なお、瑠姫さんは〝北斗財団の慈善事業で日本に招かれた日系ロシア人の戦災孤児〟で、伶人さんが身元引受人となって日本に帰化したことになっています」
「それで名字が御巫なのか。なんか無駄にややこしい境遇だけど、確かに瑠姫は純粋な日本人には見えないからな……妥当っちゃあ妥当な設定か」
「ちなみに戸籍は〝本物〟で、社会福祉や行政サービスなども問題なく受けられます」
「ふーん。七星社には、思っていた以上の権力があるみたいだな」
「詳しくはお話し出来かねますが──七星社は国家の三権に干渉する権能をもち、かつ三権の埒外に存在しています。なので、お二人が調伏師としての活動中に違法行為を犯しても、それが何であれ、罪に問われることはありません」
「何であれって……たとえば、殺人でも?」
「はい。ただし、その目的が悪質だった場合は、七星社の内規によって断罪されますが」
「なるほどね……」
国家の法には縛られず、独自の掟をもって自律する。
七星社とは、そういう存在のようだ。
(国家権力にさえ干渉できる組織なのか……)
自分が同輩となった謎の結社が、思っていた以上に強大な権能をもっていることに、伶人はあらためて身の引き締まる思いであった。
一通りの説明を終えると、埜乃は例の〝どこでも襖〟を使い、帰っていった。
「──御巫瑠姫か。ふふっ、悪くない名じゃ」
マイナンバーカードをしげしげと眺めて、瑠姫は妙に愉しげだ。
だが、ふと神妙に黙り込み、ぽつりとつぶやく。
「じゃが──本当に、これで良かったのかの」
「ん……? どういう意味だ?」
霊符プリンターの説明書を読みはじめた伶人が問う。
「わらわと出逢うたばかりに、伶の人生は大きく変わってしもうた」
「まーな」
伶人は素っ気ない。そんなこと、いまさら気にもしていないからだ。
けれど、瑠姫は負い目のようなものを感じているようで、
「後悔、しておらんか?」
伶人の本音を絞り出そうとするように、上目遣いでにじり寄る。
「してないよ。そのうち、するかもしれないけど」
「そうか……」
「だとしても、それはお前のせいじゃない」
「…………?」
「俺には、お前との関係を絶つという選択肢があったし、今もある。これからもな。そうしないのは俺の意思だ。その結果、どうなろうと、お前の責任じゃないってこと」
いささか突き放すような言い方ではあったが、言っていること自体は優しい。
それがわかる瑠姫だから、安堵して、微笑み──優しさに報いるべく覚悟を決める。
「なぁ、伶」
「ん?」
「わらわは狐仙、人外の怪異──本来なら人の世には馴染まぬ存在じゃ。もし、お前が人並みの……普通の人間として生きたくなったら、そのときは──あうっ!」
皆まで言わせぬうちに、伶人のデコピンが炸裂した。
「らしくないね。そんな健気らしいこと、考えなくていいんだよ。お前はさ」
「むー」
若干涙目で額をさすりながら唸る瑠姫。
「三ヶ月近く、一緒に暮らしてるんだ。俺の性格は解ってるだろ?」
伶人は腕を組み、諭す。
「俺は我慢しない。嫌なことは嫌だと言うし、したくないことはしない。相手が誰であれ、余計な気を遣うつもりもない。だから、お前も俺に気を遣うことはないの。おわかり?」
「……わらわの気儘にすればよい、と?」
「そう」
「つまり、すきなだけ咬み放題か」
「なんでそうなる?」
伶人は、わざとらしくずっこけた。
瑠姫は鼻を鳴らして笑い、伶人を見つめる。
「……湿っぽい話をして悪かったな。ずっと気になっていたものでの。あらためて、よろしく頼む。我が君、銀河の伶人」
「ああ。調伏師としてやっていくためにも、俺にはお前が必要だ。こっちこそ、よろしくな。我が式、月華の瑠姫」
どちらもいささか芝居がかった態なのは、照れ隠しか。
ともあれ、こうして共に生きることを誓い合う二人なのであった。
◆ ◆ ◆
『狐仙奇譚2~その名は銀河』──終劇
おはこんばんちわ(死語)。黒崎です。
いつものように、読んでくれた皆様に感謝。
どうもありがとう!
冒頭でお伝えした通り、本作は前後編の二部構成にする予定でしたが、ひとまずここで区切ることにしました。
なお、切り離した〝後編〟は書き上げてから続編として週刊ペースで投稿するつもりであります。
てなわけで、願わくば気長に、乞う御期待♪
【最終改訂2022年12月1日】