第一話『ぱふぱふ』
【お知らせ(2020/6/9)】
編成の変更に伴い本話のサブタイトルを変更しました。
「──本当に、三体まとめて相手にするのかい?」
「はい。お願いします」
やや重心を落として身構える伶人を、三体の『烏頭女』が取り囲んでいる。
烏頭女とは、その名の通り、カラスそのものの頭部と翼をもつ女性型の護法童子──修験道系方術における人造怪異の一種だ。
それらを創り出したのは調伏師の青年、八嶋士郎である。
「じゃあ、いくよ。──始め!」
士郎の合図で、烏頭女たちは一斉に動きだした。
まず、伶人の正面に陣取っていた烏頭女Aが踏み込み、拳撃を繰り出す。
ほぼ同時に伶人の右側から烏頭女Bが、左側からは同じくCが接近し、まったく同じ動作で回し蹴りを放つ。
だが、
「神気鱗ッ!」
それらの攻撃は、伶人に届く寸前で薄紫色の〝薄板〟に阻まれた。
虚空に出現し、烏頭女たちの打撃を受け止めた、淡く光る半透明の物体。
それこそが『神気鱗』。
御巫伶人の神気が具象化した、霊的な結晶状物質である。
「散れっ!」
伶人は神気鱗をぶつけて烏頭女たちを突き放し、間合いを広げた。
そして叫ぶ。
「解八門禁、神機発動!」
刹那、伶人の周囲に十数枚の神気鱗が実体化。
それらが寄り集まって、ある形態をなしたかと思いきや、伶人は目にも留まらぬ疾さで烏頭女Aに肉薄し、その水月に正拳を突き入れた。
一撃で烏頭女Aは瓦解し、素材である土砂に還ってゆく。
続いて烏頭女BとCも同じように伶人の拳で破壊され、消滅。
その間、わずか数秒であった。
この世には、いまだ人知の及ばぬ不可思議が存在する。
怪異、鬼神、式神、方術、方士、神気、瘴気──
そうしたオカルトめいた言葉が意味する通りの事象が、人知れず、我々の日常の周辺に息づいているのだ。
御巫伶人がその事実を知ったのは、つい二ヶ月ほど前のことだった。
きっかけは、三百年の眠りから醒めた狐仙の娘──瑠姫との出会い。
それを発端として様々な神秘を体験し、神気鱗という霊験に目覚めもした伶人は、危険な怪異を監視・討伐する方士──調伏師になることを決意した。
しかし、調伏師を統括する秘密結社『七星社』の一員になるには、『四門の試し』と呼ばれる実技試験を突破しなくてはならない。
そこで伶人は、調伏師である八嶋士郎のもとに足繁く通い、稽古をつけてもらっているのであった。
その『四門の試し』まで、あと四日。
今日の稽古をもって修行の総仕上げにしようと決めていた伶人は、いつにも増して気合いが入っていた。
◆ ◆ ◆
月乃宮市の南部を構成する地区、風見町。
そこに古くからある商店街のほぼ中央に、『アプリカチオ』という名の小洒落た店がある。
カフェテリア風の店内飲食スペースが併設された、どちらかといえば若い世代に人気のパン屋だ。
店を経営しているのは、伶人の幼馴染の少女・日向小春の両親で、小春も従業員として働いている。
「──そういや、しばらく来てなかったな」
いましがた最後の修行を終えた伶人は、その足でアプリカチオを訪れた。
愛車の赤い軽トラを近くの駐車場に置いて店に入るなり、レジカウンターの中にいた小春の母・千春が甲高い声で出迎える。
「あらぁ! 伶人くん、久しぶり!」
「どうも。こんにちは」
「最近、来ないから、おばさん、ちょっと寂しかったわよ」
「はぁ……すいません」
実は伶人、千春のことが少々苦手だったりする。
決して嫌いなわけではないのだけれど、
「ねぇ、もしかして、私みたいに賑やかなのが姑になるのが嫌だから、小春をもらってくれないの?」
こういうことを言ってくる明け透けな性格が対処に困るのだ。
なので、
「いや、そういうわけじゃ……」
とりあえず愛想笑いで受け流し、そそくさとイートインスペースに退避する。
時刻は間もなく午後四時。
その時間に、ここで瑠姫と落ち合うことになっているのだが──
「まだ来てないのか」
嫌でも目立つ白い髪の美少女は見当たらず、伶人は店の奥へ。
折りよく、勝手に指定席と決めている角のテーブルは空いていた。
そこでMサイズのアイス・モカブレンドを飲みながらピクルス増し増しのローストビーフ・サンドを頬張るのが、伶人の定番だ。
今日もそれでいくかと、ショルダーバッグをテーブルに置いてカウンターに向かおうとした、そのとき、
「──お帰りなさいませ、御主人様」
背後から妙な台詞が聞こえてきた。
「はい……?」
思わず気の抜けた声をあげて振り返ると、見慣れない服を着た見慣れた少女の笑顔が。
瑠姫である。
「……なんだよ、その格好」
「知らんのか? これはメイドさんというものじゃ」
瑠姫は腰に手をあて、小ぶりながらも形の良い胸を突き出した。
パフスリーブの白いブラウス、黒いジャンパースカート、オフホワイトのエプロン、赤いリボンタイ。
確かにメイドさんではある。
「知ってるよ。俺が訊きたいのは、なんでお前がメイドさんになってんだってこと」
「ただここでお前を待っているのも退屈じゃから、小春に仕事を手伝おうかと言ったら、この服を貸してくれてな」
「やっぱり、あいつの仕業か……」
やれやれ、といった微苦笑を浮かべつつ、伶人はあらためて瑠姫のメイドさんぶりを眺めた。
そこへ当の小春がやってくる。
「お帰りなさいませぇ、ご主人様ぁ♥」
「……お前もか」
渾身の猫なで声で嬌態を作ってみせる小春も、案の定、メイドさんになっていた。瑠姫とおそろいの衣装だ。
「どう? これ。可愛いでしょ」
「いや、まあ、それは否定しないけど……いつからここはメイドカフェになったんだ?」
苦笑う伶人だったが、小春は例によって屈託が無い。
「そういう路線も、ありかと思いまして」
「お前、重要なこと忘れてない?」
「重要なこと?」
「お前以外の店員、みんな中年女性だろ。熟女にその格好させる気か?」
「あー、そこは盲点だったな。でも、それはそれで面白いかも」
「なんか特殊な性癖の客が集まりそうだけどな。ところで──」
伶人は、ちらりとカウンターを見た。
千春は接客中で、その視線には気付かない。
「──お前、瑠姫のこと、親にどう説明したんだ?」
「伶ちゃんちにホームステイしてる子ってことにしておいたけど、まずかった?」
「うーん……まずいわ、それは」
伶人は渋い表情で腕を組んだ。
「日本に留学してる外国人の女の子って設定はいいけど、俺んちにホームステイしてるっていうのは、ちょっとな……」
「なんで?」
「間違いなく、うちの両親の耳に入るだろ」
「あ……そっか。だよね」
伶人と小春が幼馴染なのは、互いの母親が高校時代からの親友だからで、今も家族ぐるみの付き合いが続いている。
ただでさえ話好きの千春に知られた以上、いずれ伶人の母親にも瑠姫の存在を知られることになるだろう。
もちろん伶人とて無策ではなく、対両親を想定した偽装工作は用意していたのだが──
「もし、母さんがうちに来たら、狐の姿になってペットのふりをしろって、瑠姫には言ってあったんだけどな……」
その手は使えなくなってしまった。
「なんか、わたし、余計なことしちゃったみたいだね。……ごめん」
「いや、気にすんな。そんなことより、いつものメニュー、頼むわ。もちろん、お前の奢りで宜しく」
小春にしては珍しくしょげるものだから、伶人はあえてペナルティーを課した。
それは意地悪ではないし、タダ飯をせしめようというセコい魂胆でもない。
これで貸し借りは無しだから気にするな、という彼なりの気遣いであり、それは小春もちゃんと分かっている。伊達に長い付き合いではない。
おかげで平生の調子に戻った小春は、
「かしこまー。瑠姫ちゃん、手伝ってくれる?」
何故か腋をピシッと閉めた海軍式の敬礼で応え、瑠姫を伴って厨房に向かった。
ほどなく、二人分のサンドイッチと飲み物を乗せたトレーを持った瑠姫が戻ってきて、伶人の対面に座る。
あいかわらずメイドさん姿だ。
「お前、いつまでその格好でいる気だ?」
「メイドさんは嫌いか?」
「正直に言っていい?」
「うん」
「わりと好き」
「じゃろ?」
二人は笑って、それぞれのサンドイッチにかぶりつく。
そのジューシーかつボリューミーなローストビーフ・サンドをあらかた平らげたところで、
「──ときに伶。修行のほうは順調なのか?」
瑠姫が、それとなく訊いてきた。
「まーな。おかげさんで、神気鱗を使う方術をいくつか……って……え?」
ごく普通に応える伶人だったが、途中ではたと気付く。
「お前、なんで知ってるんだ?」
「ふふっ! わらわに隠し事をしようなぞ、十年早いわ」
瑠姫は得意満面でふんぞり返った。
実は伶人、士郎に稽古をつけてもらっていることを瑠姫には秘密にしていたのである。
いきなり成長した姿を見せて、驚かせてやろうと思っていたのだ。
それはそうと、どうしてバレたのだろうか。
そう言いたげな伶人の表情を見て、瑠姫は頬杖をついて微笑む。
「実はの、朔夜が教えてくれたのじゃ」
「朔夜さんが?」
朔夜というのは士郎の恋人で、調伏師としての相棒でもある女性。
その正体は、瑠姫と同じ狐仙である。
「このところ伶人が一人で修行に来るものだから、もしかして瑠姫と喧嘩でもしたのかと心配して、電話してきたのじゃよ」
「なるほどね。口止めしとくんだったな」
「詰めが甘かったのう」
ニヤリとしてみせて、瑠姫はサンドイッチの残りをやっつけにかかる。
「修行の成果とやら、気になるが、あえて訊くまい。楽しみにしておくわ。それより今日の晩飯はなんじゃ?」
夕方の間食にしては高カロリーな代物を頬張りながら晩飯の心配とは、まるで食べ盛りの男子高校生である。
「まだ決めてない。何か食べたいもの、あるか?」
「肉」
「何の?」
「ウサギ」
「却下」
「エゾユキウサギ」
「却下」
「アンゴラ、シベリヤン、ロップイヤー、ネザーランドドワーフ」
「なんで、そんなにウサギの種類に詳しいんだよ」
「ネットで調べた」
「……そんなに食べたい? ウサギ」
「うん」
「じゃあ──」
「……?」
伶人はショルダーバッグから新聞紙に包まれた何かを取り出した。
大きさは片綴じのコミック雑誌ほど。
それをテーブルに置き、思わせぶりに促す。
「開けてみ」
「うん。──お? これは!」
出てきたのは、真空パックされた立派なウサギの腿肉だった。
もちろん、食肉として正規に流通しているものだ。
「御巫家のビルのテナントにドイツ料理の店があったのを思い出してさ。ダメ元で問い合わせてみたら、わざわざ取り寄せてくれたんだよ」
ちょっとばかり自慢げに説明する伶人だったが、瑠姫は恍惚として上の空。
というか、まるで聴いちゃいない。
「本当は明後日の晩飯にしようと思ってたんだけどな。『四門の試し』に挑む前の景気付けにさ。お前の大好物をふるまってやろうという御主人様の優しさに、心から感謝しろよ?」
「…………」
「……? 瑠姫?」
何を思ってか、瑠姫は動かなくなった。
じっと無表情でウサギの腿肉を見つめ、その視線をゆっくりと伶人に移し、また肉を見つめ、再び伶人を見上げる。
そうして、
「んにゃあ~♥」
いきなり、艶のある声で鳴いた。
俗に狐の鳴き声はコンコンあるいはケンケンなどと表現されるが、親愛の情をあらわすときには、まるで猫のような声で鳴いたりもする。
瑠姫の「んにゃあー」は、まさにそれ。
博学強記の伶人なれば、狐のそういう生態を知ってはいたものの、普段の瑠姫の小生意気さとのギャップに面を食らい、つい苦笑う。
すると瑠姫は、やおら立ち上がり、
「普段は素っ気ないくせに、ここぞというときに甘やかすとは、憎いのぉ。この御主人様は」
「うむっ!?」
すっかり蕩けた態で伶人を抱き寄せた。
伶人は椅子に座ったままなので、自然と頭を抱えこまれる格好になる。
まさに、ぱふぱふ状態。
とはいえ華奢な瑠姫のこと、伶人を窒息せしめるだけの質量は無いのだけれど、
(これは役得ってやつか?)
なんとも言えない弾力と仄かに甘酸っぱい匂いとに耽ってしまう、正直な伶人なのであった。
【つづく】
大変、お待たせしました。
なんともはや2ヶ月以上のブランクとは……。
そのわりに5600字程度ではありますが、どうにか「節」として成立しうる分量になったので、やっとこさ更新と相成りました。
ただ、怪我の功名とでも言いましょうか──
鈍行なればこそ沈思する時間もたっぷりとあり、おかげでPVやブクマにばかり気をとられて逸る自分を思い知ることもできました。
なので、いっそマイペースで行こうと思います。