異常者の迎え
「さあ来なさい」ベルクヴァインは青白い左手を差し伸べた。
「えっそれは……おぉう!」
男の手にドロドロと塗ったくられたマニキュアが、ぬらりと柘榴色に光る。
「やだやだやだ!」
あの手を自分から取ろうなどとは到底思えない。アオイは衝動的にリネアの背に隠れた。
「キっ………嗚呼、あなたにはワタシの魅力が分からないのね? 可哀想な子」
「投げキッスすんな!!」
「おーいちょっとちょっとやめたげなさい、ほんとにかわいそうっすよ」
リネアが呆れ顔で口を挟む。顔を青くして自分の裾に取り付くアオイに、彼女は「大丈夫っす」と微笑みかけた。
「泥棒みたくウチの国に勝手に上がり込んで荒らしといて、お迎えたぁ随分な物言いじゃないすか」
ベルクヴァインは憐れむような目でリネアを見た。
「……もう何度も来ているでしょう?あなたとだって見知った仲じゃない。さっさと慣れて、さっさと立場を理解して、さっさと求められたものを渡せばそれで済むのよ。それが分からないほど、あなたは馬鹿じゃないわね?」
男の口から発せられたのは明らかな挑発だ。奪われることに慣れろ。その言葉は、発したベルクヴァインという男が――あるいは彼を仕向けた北凍渾帝領が常軌を逸した卑劣な異常者、その集団であることを物語る。
「くっくく……」リネアは喉を上げて笑った。
「お生憎様っす。そう……アオイ君をハイそうですかと渡せるほどこっちも馬鹿じゃない、ってね」
「ふふ、期待半分で言ったのだけど……あなたやっぱり馬鹿ね。渡せばワタシたちはすぐ引き下がるけれど、あなたが意地を張るならワタシたちだって閣下の御命令で……そうね、あなたの国を、もっと荒らさざるを得ないのよ? エルヴィス皇帝陛下」
ベルクヴァインはあえてその名でリネアを呼び、右手の五指を鉤爪のように曲げた。呼応して空が脈打ち、その赤色が一層深まる。
「東倭連邦がワタシの手中にあることを忘れてはいけないわ。
ワタシの魔法はね、このくだらない国家を喰らい尽くす悪魔を冥府から呼ぶことも出来るのよ。でもあなたはこの国が好きでしょう? それに、ワタシにそんなことを許してしまっては、"英雄"との約束を果たせなくなるんじゃない? だから……言わなくてもわかるわね、お利口な亜人族さん」
赤く塗られた唇を歪め、男は厭らしく嗤う。
「バカなのかバカじゃなくて利口なのか、もうワケ分かんないっすね。ウチはお利口さんなんだって、その英雄に言われたんすけど……」
話にならないとリネアは首を横に振った。
「あんたらが今引き下がって、その後はどうなると? あんたらがターゲットを手に入れたら、何しでかすか分かったもんじゃないっすからね。………最悪、千年前のアレさえ蘇りかねないでしょう?そうなれば世界が消える、末世の英雄が守りたかった世界は………。国ひとつくらい潰してなんぼ、抗おうなんてウチらにとっちゃ当然の考えなんすよ」
リネアはなおも薄笑いを続ける。鮮やかな唇の下で、彼女は白い歯を軋むほど食いしばっていた。
重圧に耐えかねたように、木々の枝が音をたてて折れた。
「ふふ、何万という人間を巻き込んでワタシたちと渡り合おうなんて見事な狂人っぷりね……それに素晴らしい気合じゃない。ワタシにぴっっったり、相手にとって不足ないわ。いい、いいわねリネア=エルヴィス!!」
「それと、そのしゃべくりも個人的に嫌い。イイ男して残念だなあ?」
心底気持ち悪いという表情でエルフの女王は一蹴した。ベルクヴァインは己を揶揄するその言葉を聞き逃さない。
「あなた、もう一度言ってごらんなさい?」男の口角がぴくりと跳ねる。
「ええ、何度でもね!」
リネアは左手を振り払った。腕に引っ掛けていた羽織が宙を舞う。
「このオネエ!!キモくないっすか!!」
ベルクヴァインの額に青筋が走ったのを見留めるや否や、リネアは低い姿勢で構えを取り、「――ねえ二人共!!」彼女は更なる大声で叫んだ。冴えた声が空気を打ち鳴らす。同時に周囲の景色が、目が痛くなるほどの強い光に掻き消された――さっき彼女が投げたのだろう、閃光弾のようなものが破裂したのだ。飛んでいた羽織の影でアオイたちへの光は遮られたが、ベルクヴァインは視力を奪われて体を一瞬硬直させ――その背後の茂みから、普通のサイズより二回り以上大きな鴉が飛び出した。