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モノクロと創生書  作者: 沢渡氷雨
第5章 英雄
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火事場の馬鹿力

「火事場の馬鹿力、って知ってる?」

感情が絶頂まで(たかぶ)った時、限界まで追い詰められた時、あるいは意思を貫きたいと強く思った時に、人は自分でも信じられない程の力を出せる。巷ではそれを「火事場の馬鹿力」と呼ぶようだ。

昔、洞窟の中で焚き火の明かりを眺めながら、そのときアルスの姉が口にした言葉だった。

そのあと彼女は、欠けたティーカップを揺らしながらぽつりと呟いていた。

「こんなこと言った後で悪いけど――」


『アルスは絶対に馬鹿力出しちゃいけないからね。ほんとに危ないから』


アルスの心臓が大きく脈打った。それを境に、糸が切れたように身体が動かせなくなり、彼女は剣を構えたまま地面に崩れ落ちた。

「そういうことだったんだ……」

アルスは荒い息を繰り返し、腑に落ちた気分で自分の手を見つめた。皮膚のあちこちには亀裂が走って血が流れ、莫大な魔力に身体が耐えられなかったことを示している。

当時六歳のアルスには、どうして馬鹿力を出してはいけないのか理解できなかった。しかし、実際にやってしまった今なら分かる。

姉が拒んだ理由はただ一つ。世界中の何よりも大切なアルスの身体が壊れてしまうから。


だからといってここで、今ここで限界が来るのはあまりにも酷い。酷すぎる。

体は動かないが、魔力の循環はまだ鮮明に見えた。敵の魔力に滞りは少なく、じきに起き上がだろう。アルスは歯噛みした。あと一瞬、一撃ぶんだけでも猶予があったなら――


しかし、次に聞こえた音は竜の咆哮などではなく。

「私達が来るまで持ち(こた)えたこと。褒めてあげるわ、貧乳」

遥か上空からアルスに呼び掛ける声だった。見上げると、胡麻粒のような大きさの人影が月光に照らされている。

アルスだけに対しては高飛車な態度で接し、発育を嘲るような呼び名を用いる女性――妖林都國(エルヴィス)で別れたはずのフィリアが、翼幅一メートルを超える鴉の脚にぶら下がって飛んでいた。

飛躍嵐よ(エアドライヴ) ()叩き潰せ(グラビトン)!!」

彼女は大剣を掲げ、その先端から風属性の魔力が放たれた。風の槌は低く唸って急降下の直線軌道を駆け、地竜の首を押し潰す。「――――!!」声にならない悲鳴が迸った。

アルスは息を呑んだ。彼女が白髪赫眼(アークリア)の真価に辿り着く前、あれほど水属性魔法を打ち込んでも浅くしか穿てなかった鱗から、今は大量の血肉が溢れている。

飛躍嵐は風属性の中級魔法だが、それでも傷を負った土属性の地竜には致命打たり得た。恐ろしいことに、これが属性の相性を最大限に利用した結果である。


フィリアが撃った直後に、アルスはもうひとつの気配の動きを感じていた。鋭い刃のごとく森林の暗闇を切り裂きながら、()()がこちらに向かって走っている。


「ウチの弟子たちに手を出したこと――命で償え」

アルスがリネア=エルヴィスの姿を視認したときには、すでに一閃が放たれていた。刀が描く黄緑の半円に自分が捉えられたことすら自覚しないまま、首を撥ねられた竜は、断末魔を上げる暇もなく地面に崩れ落ちた。



頭頂から特徴的な大羽根を一本生やした鴉が、フィリアを地面まで運んで一声啼いた。

鴉は知っている気配を持っていたが、事が収まった安心と傷の痛みで翻弄されていたアオイにとっては、もはや気にかけられるほどのことですらなかった。

「ごくろうさま。ありがとうね!」

フィリアに頭を撫でられた鴉は、ご満悦の様子で再び夜空へ飛び去っていった。


「あーもう!無茶はダメって言ったっすよ二人とも!!」

とくにアオイくんは技がまだ不完全なんだから、とエルフの女性剣士はため息をつく。どうやら落胆の意味ではなく、二人共生還したことに対する安心が大きいようだった。

「……すみません。肝に銘じておきます」

アルスは、がっくりと肩を落とすアオイの傷口に全癒の津液(ヒール・スライヴァ)の治療を施しながら、リネアに頭を下げる。

竜を傷付けるには至らなかったものの、アオイの居合は堅い鱗を吹き飛ばすほどの威力だ。あれで未完成となると――彼女には、少年の完全な剣技を見る日が待ち遠しくもあり、少し恐ろしくもあった。

「……えーと、それで」リネアが再び口を開く。「ソウくんはどうしたんすか? だってここの管轄はあの子のっすよ、そもそもどうして、お二人が代わりに夜回りを?」

「ええと、それは」

アルスは、白髪の青年とのやりとりを思い出しながら説明した。

「へぇー……任務、任務ねぇ。討伐任務ならぜんぶウチがやるって言ってるのに……それに自分の役を放り出すなんて、頑張り屋なのはいいけどちょっと空回りしてるっす。夜回りだって大切な仕事なのに」

「いえ、私がソウマさんに提案したんです。何かお役に立てることは無いかと……」

全責任がソウマにあることを否定したアルスは、治療属性に寄せた魔力の混ざった唾液を塗布した、アオイの腕に視線を落とす。即効の治療魔法を使える魔導師は非常に少なく、アルスもその例に漏れない。肌にまだ生々しく残る傷跡が、アルスの胸を締め付けた。

「………アオイさん。巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」

「ん? ……いいよいいよ、そんな真剣に謝らなくて。実戦経験が積めたし、まだまだ力不足ってことも分かったからね。

俺、なんかやばい奴らに狙われてるみたいだし、そうじゃなくても毎日にちょっとした危険があるのは当たり前だ。アルスが気にすることじゃないって」

アオイは普段通りの笑顔で返す。

アルスは彼の(ゆる)しに身を委ねてしまいたかった。そうできればどんなに楽だろう。しかし、心にはまだ"騎士としての責務"と、それを果たせなかった後悔がつかえている。

「でも、私は…………」


「ええ、そうよね」

今まで話していなかった四人目の声が静寂を破り、アルスははっとして振り向いた。

そこには、腕を組み、碧色の冷え切った瞳で見下してくるフィリア=エルヴィスの姿があった。柔そうな唇に(いや)らしい笑みを浮かべ、アルスが今一番聞きたくなかった言葉を、座り込む彼女に向けて辛辣に吐きかけた。

「あなたはもっと深く、強く、()()()()()()()()()()()。アルス=イーズデイル」

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