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モノクロと創生書  作者: 沢渡氷雨
第5章 英雄
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堕剣邂逅

鋭い一閃が魔物の頭部を二分した。

炭色の血が、昆虫を複数種積み上げたような悍ましい姿を染め上げる。

「まだ死んでないぞ!」「そいつの急所は首下約二フィートだよ!」

下方で叫ぶ二人をユノ=フェネリーが見留めるより早く、魔物の傷口から肉色の触手が幾本も弾け出した。

彼女は空中で半回転し、太い鍾乳石を割り砕く勢いで蹴った。触手の追尾を上回って背の甲殻にけりを叩き込み、すかさず縦斬りで追撃する。衝撃で巨大な外骨格の広範囲が新たに(ひび)割れた。直後、既に刻まれていた触手が体液を噴き出しながら輪切りに飛び散る。魔物は蓄積したダメージで動きを止め、攻防においてまさに無防備の状態だ。

間髪入れず、その弱点を金色の刃が削り取った。


ぐら、と傾いた巨体が崖を踏み外し、下層に広がる白濁色の湖に高さ十フィートはあろうかという水飛沫を立てる。

剣を収めたユノはしばらく湖の波紋を眺めていたが、視界が歪んだのをきっかけに、後ろに倒れた。

「くそ……無理するなって言ってるだろ」

駆け寄ったヴィオラ=シーガーは、黒い返り血で汚れたユノのショルダーアーマーを抱き止めた。赤い瞳がユノの顔を覗き込む。

「連戦で大丈夫か?手伝うって言ってるだろ」

「心配なんて柄じゃないですよ……」「アタシも人間だ。心配ぐらいさせろ」

「問題無いです。道草で師匠(せんせい)とレンさんを消耗させるわけにはいきません」

「それが、そうも言っていられないんだよ」

相変わらず薬の調合に専念しているレン=ファウラーは、青紫色に発光する液体の入った試験管を揺らしながら口を挟む。

「潜入当初、君が一撃で屠った蜘蛛のような生物………奴も一介の騎士なら手こずるほどの強さはあったが、アレと今の甲虫は危険度の桁が違う。分かるだろう?」

彼女の言う通りだ。頭部を割っても死なないのみならず、あの図体に高い戦闘能力を共存させる魔物など、ユノは未だかつて見たことがなかった。

「うぅむ……やはり古人の柘榴草(アンティスガーネット)の胚珠無しでは、彼には効きそうにないか。

……治癒の伝洞は、深層に近付けば近付くほど魔力の密度や質が高くなる。今は深層の中部あたりだから相当ハイレベルな区域だ。質の高い魔力を大量に凝縮して沸く魔物は強力になるし……反面、経験が少ない君にとってこの魔力濃度はキツいはずだ。

私たちは十傑の経験も君より長い。もう少し頼ってくれても良いんだよ」

レンが言っていることは正しい。もう何体目の遭遇がも分からなくなっていたユノは、精神的に限界を迎えそうだった。

しかし――本当は頼るべきなのかもしれないが、彼女にはそれができなかった。


十傑経験が十年長い二人から聞いた話によれば、剣に精神・肉体を乗っ取られたフェネリー家の子孫、"堕剣者"は、ベースの力量にかかわらず驚異的な戦闘能力を持つ。

今回堕剣したユリシーズとは別だが、かつて出現した堕剣者の力は、ユノの評価に厳しいヴィオラが「出会ったら生きて帰るのは難しい」、ユノを過大評価するレンでさえ「まともに戦えば腕の一、二本は……」と尻すぼみに告げるほどだ。当時は特殊な力を持った少女が事を収めたというが、彼女の力が無ければ王宮区中心都市・エングルフィールドは……ことによるとイグルス帝国全体が壊滅していたかもしれないという話だった。ここ十年内に王都で起こった事件をユノが知らないことは不自然だが、その話から確立したことがひとつあった。

もし弟と遭遇すれば、そのときに自分は何の役にも立てないということだ。


だから雑魚の殲滅に可能な限り力を割き、彼と対峙するまで二人の状態を万全に保つ。実際、ユノができる仕事はこれくらいしか無いようだった。


「先遣との通信が途絶えたのはこの層だったかな……『侍の秘湯』の辺りだ。ここと繋がっている永夜城の地下温泉が血染めになっていると報告があったから、まあ間違いは無いのだろうが」

地底湖を満たす液体は、少し赤みを帯びているようだった。

レンは黒い地面を撫で、「人が踏んだ魔素の痕もあるしね」と付け加える。

ユノは固唾を呑んだ。近くに、愛する家族が――豹変し、化け物となってしまった弟が居る。


彼と対峙したとき、自分はどうすれば良い?

レンが言った"覚悟"とは、そういうことだったのだろうか。

万が一のことが起これば、かつて弟を励ますために抱いたこの腕で、彼の命を奪え、と?


「――ノ……ユノ!……起きろバカ」「――っ!?」

頬を叩かれて、ユノの意識は治癒の伝洞に戻った。

ヴィオラが肩を揺すっていた。

「すみません……ちょっと考え事してました」

「暗い、お前らしくないぞ。……弟の命が掛かってるからな……心が乱れるのはもちろん分かるが、ここではそれも危ない。

レンが結界を見つけた。行くぞ」


さっきから増幅し続けている嫌な予感、そして殺気立つ気配。

殺気は間違いなく、先遣隊のエルヴィス衛士精鋭部隊が命を賭して張った、この結界の向こう側からのものだった。

「まずいよコレは……ねえヴィオ、もし仮にだよ?ユリシーズが結界の向こう側に侵入してて……もし深層の"あれ"を傷つけでもしたら……はは、は、興味深いと思わない?」

レンは結界の表面に指を這わせた。細指はがくがくと震えていた。


もし彼女の仮説が正しければ、全世界に絶望の種が一気にばら撒かれることになる。


治癒の伝洞以外にも五つの存在が証明されている、普段は人間が住まわない柱状の広大な異空間。六大神柱それぞれが統べるともされる、"世界の柱"と呼ばれる場所。

そのうちの一柱が、堕剣者によって崩壊するということ。それは世界の均衡を崩し、千年続くフェネリー家創設の頃に起きた"災禍"がまた起こる可能性を示唆する。

庶民の学校でも、騎士の養成校でも習わず、十傑や"大魔導師"たちの子孫にだけ受け継がれてきた過去――封じられるべき歴史を、もう一度廻すことになる。


「興味無い。もしそんなんがあれば、そんときゃ皆消えるんだからな………

………おっと?その心配はしなくてよかったみたいだ」

早口に言いきったヴィオラは、何の所作も無くユノを引き倒した。


一瞬前にユノの頭があったところを、赤黒い刃が突き抜けていた。

ヴィオラが気付いていなければ、ユノは恐怖する暇すら与えられてはいなかっただろう。

「――!」

「離れろ!!」

三人が後ろに跳ぶや否や、結界が円状に切り崩された。空間を分断していた高密度の魔素が炸裂する。


「成程……あくまで人間の殺戮にしか興味が無いと?ますます興味深い話だね……!!」

破れた光膜を挟んで十傑たちと対峙したのは、ユノより少し背が低い少年だった。

ヴィオラの額には、大粒の脂汗がにじみ出ている。魔術の先進国、エルヴィスの上級術師の結界をも容易く突き破った相手には、ヴィオラほどの魔女でも緊張を隠せなかった。

「来たな……てめぇはタカナシよりも問題児だ。落第決定だよ。アタシの生徒としては歴代二人目に不名誉な奴だ」

固く噛み締めた奥歯から絞り出すようなその声を嘲笑うように、彼は鋭く息を吐いた。

柔弱そうな皮膚を突き破り、白い晶石が無数に姿を覗かせる。当時は四人居た兄妹のうち、長男とユノだけが手にしたことのある、フェネリーの伝家の宝剣"始祖の白剣"と酷似した(きっさき)を持っていた。

堕剣の名の通り、剣と融合した風貌へと成り果てた彼は、持っていた(いびつ)な肉塊――首が欠けた華奢な骸を投げ捨てた。最後に通信を寄越した女性のものに他ならなかった。


――僕も……姉さんのように、たくさんの人を守りたいんだ。


「あの言葉……忘れてしまったの?」

かつて養成校入学の決意を語ったその口は、人肉を噛み砕いた血で濡れる犬歯を剥き出しにしていた。

ユノには理解できなかった。

両親と兄を失い、ある意味では末妹も奪われた自分の手から、今度は最後の希望までもが離れていってしまう――などということが。

「ねえ……本当に、ユリシーズなの………?」

彼は、ふいにユノの姿を一瞥した。

その目には大粒の涙が浮かんでいた。

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