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モノクロと創生書  作者: 沢渡氷雨
第1章 冒険譚の目次
4/99

"赤い線"の呪

その夜、アオイは胸を()(むし)っていた。

意識的にではない。

ひりひりと絶え間なく疼く胸に、爪に挟まった血みどろの垢の塊。さらに激しい動悸が続けば、無意識のうちに何があったか推測するのは容易だった。彼はワイシャツをたくし上げ、その下に広がる惨状を睨む。


アルスからあの衝撃的な言葉を聞いた後、どういうわけか卒倒してしまった。だから、その後のことは何も分からない。

次に意識が戻ったとき、外は完全に夜だった。アオイは着崩していた服を整えられ、木造の小屋のベッドに寝かされていた。

そんな彼には、どうしても気になることがあった。すなわち、この傷がどうしてできたのか。

アオイは後先を考えないで行動する人間だが、それでも蚊に刺された跡を引っ掻くことは無かった。寝相も悪くなほうだとも自負していたが、胸の薄皮一枚が細胞の墓場に成り果てているのだから、その現状は否定できない。

新生活一日目でこのような悲劇が訪れてしまったのでは期待も何もできたものではない。まず、最初からグリフォンなどという猛獣に襲われた時点で気付いておくべきだったのだ。これから先、決して平坦な道のりが用意されているわけではないということに。

実際に痒かったのか、夢にうなされていたのか、もっと他の理由があったのか――ただ痒かったわけではないだろう。嫌な夢を見た気がする。物凄く胸糞悪かった。

その時、彼は、月光に照らし出される右手の異変に気付いた。

手の甲の中心に空く小さな傷跡。それ自体はかさぶたになりかけていたが、そこから肘に向かって這う赤い一直線が目を引いた。

「んー……?何だコレ。暗くてよく見えない……――!?」

その線は、腕の血管にそって伸びている。

暗視に慣れた目が次に捉えたものは、その太い線から垂直に顔を出す細かい線の群れ。よく見てみるとそれはある生物を抽象化しているようにも思えた。

「……まさかね」

彼の予想は、突飛ではあるものの、決して有り得ない話ではない。

直線の始発点は、あのとき百足(むかで)に噛まれた傷。そして腕を這う線は、まるで()()()()()()した構図だった。

「………うん、厨二病を望んでいたわけではないんだけど。何かと不憫(ふびん)だなぁ俺」

この模様に意味が無いとは思えない。恐らく、これは呪いの類だろう。それも、節足動物のうち彼がトップクラスに忌み嫌う百足の。

数時間前までは溢れんばかりの希望を湛えていたアオイのセカンドライフに、濃い影が落ち込んだ瞬間だった。



それからさらに数時間後。空が下のほうから青白く染まり始め、そろそろ腹も減ってきたか――という時。

小屋が大きく揺れ、ドサドサと紙類が雪崩を起こす音が響いた。

「ふぁ……!?」年季が入ったベッドの端に座り、支柱をぎしぎしと軋ませながらまどろんでいたアオイは、足元から響いた騒音に鼻提灯(はなちょうちん)を弾き飛ばされた。

「敵襲か!?」

自分でも訳の分からない言葉を叫び、寝ぼけ眼で部屋を見回す。

自分が寝ていたのは、いかにも屋根裏といった雰囲気の狭い部屋だった。視線を下へ移していくと、部屋の片隅には小さな階段が続いていた。


「何が………うわぁっ!?」

「いたぁっ!!」

短い階段を下りたアオイは、床よりも先に踏んだものの感触に驚いて飛び退った。

うず高く積み上がった、おびただしい量の紙。彼の足は、それら資料の波で押し潰された少女の()を踏んでしまったのだ。

「アオイさん………お願いです!助けてください!」

資料の山の(ふもと)から聞こえるくぐもった声は迫真そのものだった。

生真面目に見えるアルス=イーズデイルの意外に必死な一面を見ることができたアオイは、そんな場合ではないと分かっていても少し笑ってしまった。


「……ありがとうございました。十七の誕生日を迎える前に死んでしまうんだと思いましたよ」

「あははっ、縁起でもない。………ところで、今探してる、百足の絵が描かれた紙ってのは何なんです?」

二人は床に(かが)み込み、散らばる紙の数々と睨み合っていた。

「報告書の追加紙面です。昨日、興味深い情報を得られたので、加筆しておこうかと。未確認のケースだったので情報が少なく、筆はほとんど進みませんでしたが………ふあぁ……」

思わず欠伸したアルスの目元には、薄い(くま)が浮かんでいた。声にも昨日の溌剌(はつらつ)さが無い。彼女は恐らく徹夜したのだろう。

「イレギュラーな百足か。こいつのことだよな、きっと。間接的にだけど悪いことさせちゃったなぁ………

あ、これかな?」

未だに消えない右腕の模様を横目で睨んでいると、その右腕の先に赤い線が見えた。よく見てみると、それは長い身体を二度くねらせた節足動物の図だ。

「見せていただけますか? ……そう、これです!本当にありがとうございます!」

引っ張り出した資料をアルスに渡すと、内容を確認した彼女は、まだ眠そうな顔に笑顔を浮かべた。心の底から喜んでいるようで、綺麗な笑顔だと思った。こんな笑顔を見たのはいつぶりだろうか。

「良かった………ところで。百足って、昨日の赤い奴のことか……ことですか?」

「敬語なんていいですよ、同い年なんですから。私は仕事上この口調を外せないのですが」

交流が浅いうちにタメ口もどうなのかと思うが、相手の望むように行動するのが最善だろう。

「百足の話でしたね。もちろん、昨日アオイさんに噛み付いた個体のことです。右手に噛み付かれた直後にアオイさんは気絶してしまったので、この建物に退避してから色々調べました。近い将来、我々に脅威をもたらすかもしれない存在ですから」

「まあ、あのちっこいので人ひとり気絶させるんだから、脅威かもしれないね。でも、似たような被害は出てないんだ」

「被害状況は――正しくは未確認です。特徴や生息範囲、それどころか名称も、どの資料にも記載されていませんでした」

アルスは諦めたような表情で、ほぼ白紙の報告書を胸ポケットにしまい込んだ。



将来的な危険性を見越し、二人はこの周辺地域の統治機構が存在するという"王宮区エングルフィールド周域都市"――通称"王都"へと向かった。

しかしこの期に及んで、アオイの身には不幸が降り掛かる。


「アオイさん、そっちに尻尾が!!」

重厚な鱗に覆われた野生の鞭がしなり、空気を切り裂きながら振り抜かれた。何とか躱したが、もう生きた心地がしない。

「ひいぃぃぃ……どうして俺はヤバいのに襲われなきゃいけないんだ!?」

彼らは全長二十メートルを超える巨大な魔法生物に追われていた。

がっしりとしたフォルムの四足歩行。橙色と灰褐色の鱗に身を包み、長い背中からは棘の生えた一(つい)の黒い翼、頭部にはごつごつした赤い角を二本生やす。無数の牙が並ぶ長い顎から絶え間無く炎を吐くその姿は、北欧神話に登場する蛇竜"怒りに燃えて蹲る者(ニーズヘッグ)"そのものだった。

「土から出てくるドラゴンなんてあり!?」

「蛇竜類は地下の洞窟に生息していることが多いので、稀ですが土から頭を出すこともあります。しかし……彼らがわざわざ地上に上がってまで求めるほどに価値の高い――強い魔力を持った物質など、ここには………」

語尾を濁らせたアルスが横に飛び退る。彼女がさっきまで立っていた地面を、ニーズヘッグの赤い爪が抉った。爪が通った直線状には、赤く焼けた小石が溶けて転がる。

「……どうして戦わないんだ!?」

「ニーズヘッグの鱗は非常に強固で、片手剣程度の攻撃は通りません」

「じゃあ魔法は!?」

「ニーズヘッグは炎の属性を持っています。………私が得意とする魔法の属性は水なのですが」

「だったら有利なんじゃ………」

「生半可な水魔法では相手の体温が高すぎて効果が期待できません……徹夜の影響で、ニーズヘッグほど高位の竜族と渡り合える攻撃魔法を使うことができないんです………これほどの魔力集合体の接近を見逃すとは……不覚です」

そう叫んだアルスの表情は、未だに徹夜の疲労感が色濃く浮かんでいるようだった。彼女のせいというわけではないが、この状況はかなりまずい。

追われる身の二人はどちらも戦えない、という理由もあるが、幸いニーズヘッグの移動速度はそこまで速くなく、応戦せずしばらく逃げ続けることも不可能ではない。

深刻なのは、行き先の問題だ。

アオイ達が一直線に走った場合、立派な城壁に囲まれた土地に突き当たる。あれが、王都を含む大都市の始まりらしい。このまま逃げ続けた場合、ニーズヘッグはあの壁と衝突することになる。あの巨体で暴れられれば、いくら頑強な隔壁でもただでは済まないだろう。最悪の場合、壁を突破したニーズヘッグが街を襲撃することも有り得る。

それを避けようとすれば方向を変えることになり、街に被害は出ないはずだ。しかし、走り続けていつか体力が尽きれば、少なくとも申し訳程度の対抗手段すら持たないアオイは確実に殺される。人生の中で現状最大最悪の袋小路だった。


「………アオイさん、ここからは一人で逃げてください」

横を走っていたアルスが、そう言って足を止めた。

「このまま逃げ続けても、両方捕まって捕食される………民間人を守るのが我々の主たる勤め。私が戦います」

「でも……ついさっき、戦えないって言ったばかりじゃないか!!」

「倒すことは出来ずとも、足止め程度なら。このまま真っ直ぐ走れば王都に着きます。――………()()()()の名に懸けて、絶対に貴方を死なせはしない……!!」

振り向いたアルスが長剣を抜き放ち、ニーズヘッグの爪を危ういところで弾く。熱された剣が赤い火花を散らした。

「……ごめん」「……また、王都で会いましょう」

アオイは立ち上がり、進行方向を変えずに走りだした。

長い髪に隠れて、彼女の表情は見えない。あの脅威に、どのような気持ちで対峙しているのか、アオイには分からない。

しかし、アルスの口から零れた小さな声が、彼の足を引き止めた。

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