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モノクロと創生書  作者: 沢渡氷雨
第1章 冒険譚の目次
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冒険譚の目次

『――自由な、新しい世界が、欲しい――』


()()()()()、そのつもりだった。

白い紙に刻んだ一行。たった十四文字で、全てが変わってしまった。


目の前に佇む少年が、白い石灰の塊になった。自分が座るベッドの布も、窓枠の外に映る街並みも、雲も、空も――灰になった世界が自分ただ一人を残して崩れていくのを、彼女はその全身で否応無く感じた。




「――んぅぁ………」

頬を伝う唾の不快な冷たさが、俺を叩き起こした。数回(まばた)きし、睫毛(まつげ)に付いた(ほこり)をはらって目を開ける。途端、視界いっぱいに飛び込んできた緑の光――そして、至近距離でモゾモゾうごめく赤いナガモノに驚愕した。

「ひいっ!?」

虫を永世の天敵と見なしている俺は、地面からヨダレの糸を引きながら飛び退る。その途端視界に入ってきたのは、一面に広がる瑞々しい草原だった。

「………おっと、これは」

その若草の足元を這っていた今のアレは、百足だ。真っ赤な百足など見た事がない。毒を持っていなくとも、鼻などに噛み付かれれば数日は激痛に唸らされるだろう。手遅れになる前に起きられたことに、俺は胸を撫で下ろした。

衝撃で脳がある程度活性化した。まだ二割ほど寝ている脳で、俺は自分が置かれている状況に対してふと違和感を覚える。


俺が寝ているはずなのはコンクリートの上であって、こんな広大な草むらのど真ん中であるわけがないのだ。


そんな確信だけが脳裏を駆け回る。

「あれ………そういえば、俺はどうして寝ていたんだ?」

声帯の振動が、新鮮というか不快というか何というか、いつもと違った。

「…………!?」自問の声にすら驚愕する、この有様である。

俺の喉から出た声は、ヘリウムでも飲まされたかのごとく聞き覚えのない高音だった。数年前に声変わりを終えた学生のものとはとても思えない。

「あー。あ――!あ――――ッ!!」

どの音量で、どの声域で発声しても、新鮮な声だけが耳を抜ける。随分、納得がいかない。

「嘘だ!なんだよこの声!!そもそも俺はどうしてこんなとこで寝てんだよっ!!………おぅ……ずいぶんと響くんだな。この声」

広大な平原を取り囲むようにそびえた山々。日常生活ではまず目にすることのない辺鄙(へんぴ)な地形で、俺に一番近い壁はここから数十キロ以上離れている。雄大さにも驚くが、それ以上に、数秒経ってもまだこだまが返ってくるほど響く自分の声に驚いた。

想像を遥かに超えてくる予想外の連続に、むしろ冷静になっていく自分を感じた。

「こんな優秀な武器があったんなら、あのヤがつく職業のおっさんもフッ飛ばせたんじゃないかなぁ、声で………」

自分が眠る――気を失う直前の出来事の記憶で、最も因果関係が強そうなのは、髭オヤジだった。記憶違いでなければ、恐らく。


帰り道、後輩女子がヤクザのような男に絡まれていたのだ。裏路地とグラサンおやじのセットなどいつの時代の話かと考えながらも、行動力だけが先立つ俺は、お世辞にも逞しいとは言えない四肢に鞭打って後輩を助けに行ったのだった。

何とか後輩を路地から逃がした後、巨漢のラッシュが始まった。最低限の栄養素を摂る程度の体作りしかしていない俺は、下品に(わめ)く中年小太りに一方的な暴行を許してしまった。

全身痣だらけ。恐らく顎は外された。肋骨も五、六本逝っていた気がする。俺は薄れゆく意識の中で「肩身の狭い身分は苦労してんだな」と、突飛であり全く生産的でないことをぼんやりと考え――。


「……全部あいつじゃん!気絶したのあいつのせいだ!!………あの娘を狙っていたということはロリコンの気もあるんだろうな。この声だったら、ワンチャンたぶらかせなくもなかったりして。ははっ!

………おじさぁん? あんな娘じゃなくて、あたしと一緒にど~お?――おぇッ」

おもしろ半分で"女の子をしてみた"わけだが、顔と声が一致していると決まったわけではない。黒い短髪を生やしたモブ顔と今の台詞を照らし合わせ、その忌避感が吐き気をもよおした。


「俺が深い眠りに落ちた経緯は納得……できないけど、まあ。じゃあ問題は……ここがどこなのかー、ってことになってくるな」

別に言葉に出す必要もないが、新たな肉声がアニメの推しに似ていたので、無性に喋りたくなる。


少し頭が悪いなりに勉強して、普通に小説を読んで、ゲームをして、アニメを見る。平均的な物差しを当ててみれば、俺は残念なほどに普通極まりない学生だった。青春をしていなかったとはいえ。


だからこそ、ファンタジー風の自然のど真ん中に転がされているのが納得いかないのだ。

殴られたときのままコンクリートの上で目覚めるか、誰かが呼んだ救急車または病院のベッドの上で目覚めるか、二度と意識が戻ることはないのか、あるいは天国で哀れな魂として目を覚ますか。後者二つだったとしたら悪い冗談で済まされないが、実際俺はこうして意識を保っているうえに肉体まで持っているため、その可能性は低い。いや信じたくない。絶対に。

「あぁそうか、誰かがイタズラで運んできた線が………酷い。こんな土地日本には無いはずだけど。………ついでに赤い百足も」

万が一国内だったとしても、俺の居住区周辺にこんな場所は無かった。帰るのはとにかく大変そうだ。

「………うむ、わからんな」 

あらゆる情報が未詳ならば、俺一人では手も足も出ない、というのが解答だった。

「夢だといいんだけど。でも、手の甲は痛い………ん? 手の甲……」

ちくりと痛みを感じた右手の甲を見る。そこには、体長八センチほどの赤い百足がぶら下がっていた。

「ああああああああッ!?」

俺は(わめ)き散らし、百足を剥がそうと必死で腕を振り回した。幸い、百足はすぐに凄まじい勢いですっ飛んでいき――その方向を見た瞬間、背筋が凍り付いた。

視界の半分以上を埋め尽くす影。俺の身の丈を優に上回る獣の姿がそこにはあった。

「これは………グリフォン……?」

百足がぐちゃりと張り付き、滑り落ちたその顔は、鋭利なフォルムを持つ鷹の顔。首、足と視線を移していくと、鳥類の上半身と猫科動物の下半身が違和感無く接着されていた。サイズもかなりもので、太陽光を遮る翼が幅五メートル以上広げられている。彼は神話で馴染みがある、伝説上――つまり空想の産物であるはずなのだが。


猛禽の鋭い視線が俺を射貫く。

手足が震えた。体の端から感覚が消え、すぅっと冷気が忍び込んでくる。こんな気分になったのは、三歳の頃、動物園でライオンに睨まれた時以来だろうか。

突拍子もない出来事だが、俺にはその一瞬で理解できたことがあった。

「夢じゃないな……現実だ。これは本当のことなんだよな」

見慣れない風景に聞き覚えのない自分の声、さらには伝説上の生物。目の前にずらりと並べられた出来事に納得できない自分がいる。しかし、命を狙われたこの状況だけは、冗談でも何でもない。


黒い爪が陽光を切り裂き、振り下ろされる。それはあっけなく俺の左腕の皮を削ぎ落とし、赤い塊を新緑にぶち撒けた。

咄嗟に半身を躱していなければ、あそこに転がっていたのは腕か、(はらわた)か、はたまた首か。その単純な思考すら、無数の太い針で突き貫かれたような痛みで掻き消される。

「っ………ぁ――」声が出ない。絶叫を武器に、などとはよく考えられたものだ。肝心な時に、全く使えないではないか。

踏み出した一歩目で足を滑らせ、二歩目でようやく立ち上がって逃げに身を投じる。ヤクザに狙われた命は助かったものとしよう。しかし、俺の命はここで終わってしまうのだろうか。

そうだろう。

熱いスポーツ解説者の格言で『諦めちゃ駄目だ』というのがあったが、自分の倍以上の巨躯を誇る合成獣(キメラ)に追われれば、彼でもそんなことを言っていられないだろう。

諦めない?――それ以前の問題だ。

俺の逃走劇は呆気無いものだった。鉤爪が片足を(すく)い上げる。視界がぐるりと逆さまになった。ボタンをとめていなかったブレザー、だぼだぼのズボンから抜けたワイシャツとインナーが(めく)れ、俺の顔に掛かる。

俺から相手の顔は見えないが、逆に狩人の目には色白い腹が映っていることだろう。それを(くちばし)で掻き回すのか、鋭利な爪で微塵(みじん)に切り裂くのか。


選択は後者だった。

ただし相手の()()()で。

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