第4章
しばらくして席に戻った僕は、シャープペンシルを持ったまま何も書かずにいた。
あの子はなぜ泣いていたんだろう。その事が頭の中を支配していた。
隣では晃が蛍光マーカーを持ったまま頭をうなだれていたが、それに突っ込む考えすら浮かばなかった。
「悪い、晃。今日はもう帰るわ。」
晃はどうやら考え事をしていたらしく
「わかった、先に帰っててくれ。」
と険しい顔をしながら言った。
僕はそそくさと後片付けをして、図書館を後にした。
その日から僕は、何をやるときもあの子のことが頭から離れずに勉強も部活もまともにできずにいた。
年が明け、晃と灘川から初詣の誘いがあったが、それも断って、とにかくあの子を頭から離すように無理矢理勉強をするようにした。
新学期が始まり、早速テストが始まった。
年明けから部活以外の時間をほとんど勉強をして過ごした僕は、今まで以上に問題をスラスラとこなしていった。
そういえば、晃はあれから勉強したんだろうか…昼休みに晃のクラスに行ってみると、入ってきた僕に気づいた晃が手を振ってきた。どうやらうまく乗りきったらしい。
「いやぁ〜、問題が簡単になってた気がしたよぉ。やればできるんだなぁ〜。オレは。」
自分で自分を誉めちぎる晃を見て安心しながら少し話をしていると、予令のチャイムが鳴ったので、僕は自分のクラスに向かった。
クラスに戻る途中、廊下で後ろから肩を叩かれた。振り向くと、前髪をピンで留めていて肩に届くか届かないかくらいの茶色がかった髪の毛の女の子、幼馴染みの石川楓だった。
「なんだ、楓か。どうした?」
「なんだとは何よっ。失礼ねっ。せっかく久しぶりに見かけたから声かけてあげたのにっ。」
たしかに会うのは久しぶりだった。この中学校は近くに小学校が3校もあるから、
集まる人数も他の中学校より多いのだ。
「悪い悪い。久しぶりだな。テストはどうだ?」
「私はあんたと違って人並みだからね、真ん中ちょい上くらいよっ。部活が楽しいから、勉強なんてなかなかできないわっ。」
楓は吹奏楽部に所属していて、いつも夜まで練習が続いてると以前言っていた。
「そうか。吹奏楽やってて真ん中より上なら上等じゃん。じゃ、次のテストが始まるからまたな。」
「たまには声かけなさいよ〜?」
僕は内心、楓が少し可愛くなっていたなと思った。実際、楓のことが好きな男子もちらほらいるらしかった。
たしかに可愛いかもしれないけど、性格がキツいからなぁ…
なんて思いながら僕は教室に戻って、次のテストの準備をした。
全てのテストが終わって、帰る支度をしていると、晃がやって来て
「葵!オレ今日用事があるから先に帰るわ!」
といってロケットのように行ってしまった。
仕方ない、今日は一人で帰ろう。
鞄を持って、昇降口に向かって歩いていると、ふと
「美術室」の文字が目に飛び込んできた。
美術室ってこんなところにあったのかぁ…と、思いながら中を覗いてみると、三つ編みをしたきれいな女子生徒が一人、絵を描いていた。
その光景にちょっと目を奪われていると、彼女と目があってしまった。変なやつに思われるかとあたふたしていると、彼女は優しく微笑みながら
「あら?入部希望かしら?」
と言いながら近づいてきた。
すごくおしとやかな声と微笑みにドキドキしながら
「あ、その、そうじゃなくてですね…」
「うちの部は歓迎よっ。テストも終わったことだし、ゆっくり見学していきなさい。」
僕があたふたしているのもお構いなしに、彼女は僕の手をとって室内へと連れ込んだ。
僕は女の子と手を繋ぐのは小さい頃以来だったから、緊張して顔が熱くなっていくのを感じた。
「あ、あのっ!僕はサッカー部に入ってますので、し、失礼しますっ!」
と言って美術室を飛び出した。
その時に、美術室に入って来ようとした女子生徒とぶつかりそうになったが、顔を伏せながら謝って、昇降口へ走った。
昇降口に着いて、靴に履き替え呼吸を整えてから帰路についた。
しかし、あの美術部の人、先輩かな…おしとやかなのに強引で、不思議な人だったなぁ…
と思いながら、テストもあったせいか、疲れがどっと出たので、寄り道せずに家に帰った。
二日後、学年末テストの順位が発表された。
休み時間に掲示板を見に行くと、僕は…三位だった。
また中野友季に負けてしまった。
あんなにやっても勝てないのか…
しかも今回、彼女は遠藤も越えて一位になっていた。
もう中野友季は雲の上の存在のような気がしてきた…。
ショックで呆然としていると、晃がやって来て
「葵!オレ、頑張ったわぁ!先生も許してくれたよ!」
と満面の笑みではしゃぎ出した。愉快なやつだなぁと、掲示板を見ると、晃は真ん中辺りまで順位を伸ばしていた。
よかったじゃん!すげーじゃん!天才じゃん!などといって晃を誉めちぎっていると、ふと視界に図書館のあの子の姿が入ったような気がした。
もっと言え、もっと言えとのろけている晃を放って、僕は駆け出し、辺りを見回したけれども、あの子の姿はなかった。
「いきなりどうしたんだよぉ〜。お前が急にいなくなるから、独り言話しちゃってたじゃんかよぉ…」
と、ぶつぶつ言いながら後を追ってきた晃に、何でもなかった。と、笑いながら誤魔化して、それぞれの教室へ戻った。
机に着いてもまだあの子の姿のことを考えていた。確かに僕は、あの子の姿を見たはずなんだ。この学校の生徒なのか…それともただ単に僕の見間違えか…。
そんな思いに耽っていると
「早田くん、今回も三位だったね。」
と、柔らかい声が聞こえてきた。顔をあげると、クラスメイトの梁瀬沙希だった。
「あっ、…ごめんね。考え事の邪魔しちゃった?」
と申し訳なさそうに言う梁瀬をフォローするように
「あ、いや、別にそんなことないよ!梁瀬だって順位高いじゃないか。」
と言うと、彼女は顔を少し赤らめて
「そ、そんな…たまたまだよ。数学が苦手だから、いつもこれ以上順位上がらないよ。」
「でも、国語はいつも梁瀬には勝てないよ。すごいよな。図書委員もやってるし、本好きなのか?」
「うんっ。大好き。本読んでるとすぐ時間なんて過ぎちゃうもん。」
いつもはあまり目立たない性格の梁瀬も、好きなことを話すときはやっぱりおしゃべりになるんだな。と、思っていると、ふとある本が思い浮かんだ。
「なぁ、梁瀬は夏目漱石の『こころ』って本知ってるか?」
すると彼女は目を輝かせて
「知ってるよっ!『こころ』は夏目漱石の小説の中でもかなり有名なのっ。内容は、読んだ方がいいと思うよ。早田くん、興味あるの?」
「うん、まぁ、少しな。」
「それなら今度図書室に来てくれたら、いろんな本紹介するねっ。」
「おう、ありがとう。部活がない日にでも、行くから。」
「うんっ。早田くん、…お話ししてくれてありがとね。」
「おう!また話そうな!」
「うんっ!」
ちょっと地味な子でも、笑うと可愛いな。なんて思っていると授業開始のチャイムが鳴って、先生が入ってきた。」
「こころ」か…。
ちょっと読んでみるかな…。
その日の放課後、今日の部活は休みという報告を先輩から受けたので、早速図書室に
「こころ」を借りに行った。借りた後もしばらく梁瀬と会話をして、僕は帰宅した。
家に着いて、風呂に入りご飯を食べ、少し勉強をした後、僕は布団に寝そべりながら
「こころ」を読みはじめた。
読み始めて少しも経ってないうちに、眠くなってきて、僕はいつの間にか寝てしまっていた。
ワタシノコト、オボエテル?ワタシハアナタヲ、ワスレタコトハナイノニ…