其の一
殤鬼とは、横死者の魂が邪精を吸い変貌した悪霊のことを指す。死体のままに徘徊し、害された生者は同じくその身を殤鬼に変じると云う。物の本にはこれを滅するに法士が畢を用いたとも記されるが、それが如何なる術であったかは詳しく残されていない。
呉の赤烏四年の頃、一人の若者が楊州の山路に馬を急がせていた。時節は冬に近く、既に数十里を駆けた人馬は共に息を荒く煙らせ、やがて幾つめかの山稜を越えるや脚を緩めた。脇の斜面下には薄墨色の川筋が見え、若者はこの畔へ馬を寄せて鞍を下りる。
膝を着き夢中になって水をすくう横で馬も鼻をひたし、辺りは鳥のさえずりもなく流水の音の響くばかりだったが、しばらくして顔を上げると、視界の隅の白いものに気が付いた。
見れば、左に離れていつの間にか娘が一人、川面を向いて立っている。白く光る肌に、薄桃の長衣に朱帯を巻いた、およそ深山にふさわしからぬ姿にさては妖物かと怪しみ、若者は懐剣に手を添え立ち上がる。
察したように娘の顔が向けられた。途端、若者の耳より一切の音が失せる。歳の頃十四、五と見られるその顔の、えも言われぬ美しさに打たれたのだ。
「何者……」
動揺にかすれた男の声に、娘は瞼の隙を細め、艶なる笑みを両袖で隠す。それは実に幼い仕草であったが、若者は何故か言い知れぬ妖しさを覚え、見据えくる瞳の光にどっと背筋を濡らし、思わず剣を抜きかけた。
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