ようこそ里中家へ
里中家の前に俺たちは立っている。
兄貴と夢は広い敷地に立派な家を見上げ目を真ん丸くしていた。
……そう言えば2人は来るのが初めてだったな、英国風の建物でこの辺りでは1番目立つ家だ。
「……夢、何度かこの家の前通ってる。……亮君の家だったんだ。」
「……インターフォン押すぞ。」
兄貴の人差し指がゆっくりとボタンに近づいたが、少し手前で止まり一瞬躊躇してから、得体の知れない物にでも触るかの様に素早く押した。
……そこまで緊張する事かぁ?
兄貴の姿が可笑しくて肩を震わせた。
……何故、俺たちが亮の家の前にいるのかと言うと、公園での仲直りの数日後、突然修一から今週の土曜日自宅に招待したいと電話をよこした。
ゴールデン・ウィークに世話になったお礼だそうだ。
父親は金曜日から学会の為出張で留守、母親は午後から外せない用事があるのでもてなせ無いが、食事は準備してくれると言っているので、昼から来て欲しいと言うのだ。
「…土曜日、塾は?」
「今週は僕も亮も塾休みなんです。それで、両親にお世話に成りっぱなしじゃ申し訳ないから招待したいって亮と言ったんです。」
電話の向こうにいる修一の声が明るく弾んでいた。
「嬉しいけど大丈夫? 無理したんじゃない?」
「全然。来てくれますよね。
……あっ、ちょっと待って下さい。」
少し間があいてゴソゴソと雑音が入ると突然声が聞こえた。
「航太、絶対来てね。」
亮の明るい声が飛び込んできた。
「……すいません。急に変われって言うから……亮も楽しみにしてるから、是非、皆さんで遊びに来て下さい。」
「わかった。必ず行くよ。」
電話を切った後、兄貴と夢に里中家に招待されたと話した。
「えっ! 亮君の所に遊びに行くの?……やったぁ! 楽しみ。」
「……ご両親の留守にお邪魔するのはどうかと思うが…」
「ええぇ〜」
「……まぁ、了承しているなら…うん。
折角だ、招待を受けよう。」
兄貴も賛成したので大喜びの夢を見て、今頃亮や修一もはしゃいでいるかも…と、想像すると心が温かくなる。
……いい事を思いついた……多分2人共喜んでくれるだろう。
「兄貴お願いがあるんだけど……」
顔の前で手を合わせた俺は、眉間にシワを寄せて胡散臭そうに見る兄貴の顔を覗き込んだ。
……そんな訳で今里中家に来ているのだ。
玄関が開けられ中に入ると、広いホールに驚いた。
これでもかって位大きなシューズクローク、壁には誰の作品か見当もつかない風景画が飾られ、花瓶には薔薇の花が生けてあった。
……かなり、ベタな感じの金持ち?
いや……庶民のひがみだな。
心の中で苦笑いした。
兄貴と夢は馬鹿みたいに口を開けて見まわしていた。
……口、閉じろって!……なんて冷静を装っているけど、結構場違いさを感じている俺がいる。
「あの……どうぞ入って下さい。」
修一の言葉で我にかえり、俺たちは今日の招待の礼を述べた。
リビングも当たり前だか凄かった……大きな暖炉があり……(残念ながら蒔きをくべる本格的なものでは無かったが)
家具も高級そうな物ばかりで、テレビも一体何インチあるのか、大きいのが壁に取り付けてあった。……溜息が出る。
「……どうぞ座って下さい。」
修一がコーヒーとジュースをトレーに乗せて持って来た。
ソファに腰を下ろしてもなんか落ち着かない、一般庶民の俺たちには余りにかけ離れた空間で、お尻が擽ったい感じだ。
「外から見ても立派なお宅だとはわかっていたけど、中に入るともっと凄いな…場違いな感じがして気おくれしてしまう。」
兄貴は落ち着かないのだろう、首の辺りを頻りに摩っている。
夢はソファの座り心地を確かめるみたいに少し身体を上下させて喜んでいた。
「夢。行儀が悪いよ。」
兄貴に注意されるとペロリと舌を出して肩を上下させた。
「……亮君は?」
「ダイニングでテーブルセッティングしているんだ。」
そこへ亮が呼びに来た。
「いらっしゃいませ。」
かしこまって挨拶する姿に思わず微笑んだ。
◆◆◆
ダイニングに通されテーブルにおかれた料理を見て驚いた。
テーブルセッティングなんて言うし、この家の雰囲気だと洋食のコース料理が出てくるのかと、内心ビビっていたが予想に反して、手巻き寿司にお吸い物、冷しゃぶサラダと煮物が用意されていた。
何と言っても煮物の味付けが最高だった。
俺の勝手な想像だけど、そんなに料理好きの母親には思えなかったので驚いた。
「……凄い。美味しい。
お母さん料理上手なんだな。でも、出かける前にこんなに作るの大変だったんじゃないか?」
「お母さん、料理するの大好きだから大丈夫だよ。」
母親を褒められて嬉しいのかニコニコと亮が答えた。
「母はカルチャーセンターで料理教室を開いてて、前に本なんかも出したみたいです。」
亮の言葉を補足する様に修一が言った。
「凄〜い! お料理の先生なんだ。」
夢は大きな口を開けて手巻き寿司を口に入れた。
食事が終わると全員で後片付けをした。
修一は、後でやるからと言って手伝わせようとしなかったが、ご馳走になってそのままにして帰れないからと言って、半ば無理矢理に片付け始めた。
それが終わると、夢が家の中を見学したいと言いだし、案内してもらう事になったが、兄貴は庭にいるシェパードに興味があるらしく外へ出て行った。
1階にはLDKの他に、父親の書斎があり、チラリと覗かせて貰ったが、本棚には医学書がずらりと並んでいた。
2階には、両親の寝室…流石にこの部屋は見なかったが、その隣には小さめの母親の書斎。
修一の部屋に入ると、正面に大きな机があり教科書、参考書、パソコンが置いてあり、
漫画やゲームなど一切見当たらず、整理整頓され中学生の部屋には見えなかった。
亮の部屋も修一とほぼ変わらず、子供らしい物はなかった。
……2人共それぞれの部屋で毎日勉強ばかりしているのかと思うと、俺の方が息苦しくなってくる。
他に2部屋あり、バスルームもついていた。
……まるでホテルだな。
また、地下もあってワインセラーやホームシアターもあるそうだ。
一体どれだけ金持ちなんだ、世の中にはこういった生活を当たり前の様に思って生きている人種がいるのだと改めて思った。
別にそれが悪いとは思ってない。
勉強して良い大学を卒業して、高収入の仕事に就く…努力の結果だ。
しかし、それが自分の子供にも当てはまるかと言ったら、必ずしもそうでは無い。
一人一人違う感情を持った人間なのだから………意思を尊重して見守ってあげるのが親の務めではないだろうか……?
……子供のいない俺が言っても、真実味がないだろうな……
リビングに戻り庭に目をやると兄貴が犬とじゃれ合っていた。
……犬好きだとは知らなかった。
俺は持参した物を思い出した。
「修一、庭でキャッチボールしたら不味い?」
「えっ?…大丈夫だけど、家にはグラブもボールも無いから……」
俺は2つの袋を亮と修一に渡した。
2人は不思議そうに顔を見合わせてから中身を見て驚いた。
袋の中にはそれぞれグラブとボールが入っていたからだ。
「俺からのプレゼント。……受け取ってくれ。」
兄貴から借金して買った物だ。
突然亮が腰に抱きついて来た。
「有難う、航太。」
「……僕にまで、有難うございます。
大事にします。」
2人はグラブを嬉しそうに眺めてから、手にはめた。
夢が俺の腕を引っ張ってきた。
「何?」
「夢には無いの?」
口を尖らせ上目遣いで見ている。
……参ったなぁ、用意してない。
「夢も欲しいの?
……仕方ないなぁ」
夢の頬に優しくキスをした。
修一はクスリと笑い、亮は何故か俺を怖い顔で見ている。……なんで?
それから、5人でキャッチボールをした。
修一も亮も真新しいグラブを手にはめて生き生きと身体を動かしている。
中学、高校と野球部だった兄貴は2人に手取り足取り教えている。
久しぶりで、明日は筋肉痛になるんじゃないかと心配してしまう。……年だし筋肉痛はもう1日位後か?
そろそろ交代した方がいいな……
亮は冷蔵庫から飲み物を出してきて兄貴に渡している。
それを飲みながら何か話し始めた。
「……亮君は航太の事どんな風に思っているの?」
「えっ?」
「……他人のしかも年も随分離れた大人がお節介焼いてくるのにさ……」
「……初めて声かけられた時は驚いたし、ちょっと怖かったけど……嫌な感じはしなかった。それに僕の事何にも知らない筈なのに…………まるで、ずっと見てきたみたいに心の中……言い当てられて……ちょっと、嬉しかったんだ。」
「……会った瞬間航太は亮君の中に自分を見てしまったんだなぁ…きっと。
あいつも子供の頃からずっと心に色んなもの抱えててね。
それを吐き出せないまま大人になってしまった。
……君には自分の様になって欲しくなくて、笑って欲しくてお節介を焼くんだと思う。」
「航太はいつも楽しそうに笑ってる……」
「あぁ。……それは、俺が笑えって言ったんだよ。……でも、言わなきゃいけない言葉が未だあったのに、それを伝えられなかった。」
「どんな?」
「……泣きたくなったら我慢しないで泣いて良いと……」
「僕、言われた。」
「そうかぁ……航太にはちゃんとわかっているんだな……良かった。」
「僕……航太に会えて良かった。」
「そう思ってくれるんだ。兄貴として嬉しいよ。……有難う。」
「……皆んな戻って来る。喉でも乾いたのかな?……飲み物取って来るね。」
◆◆◆
夕方、母親が帰って来たので、美味しい料理の礼と好意に甘えて留守中お邪魔した事を詫びて帰ろうとした。
その時、亮がグラブとボールを持ってきて母親に俺からプレゼントされたと言った。
母親はそれを見て、少し迷惑そうに眉をひそめたが、そこは大人の対応、直ぐに笑顔を作り礼を言ってきた。
しかし、そんな事はどうでも良い、亮が自分から母親が良く思わない事をちゃんと伝えられたのが嬉しかった。
俺は〝良く言った″という代わり亮に向かって親指を立てて微笑むと、亮も少し恥ずかしそうに親指を立てた。
◆◆◆
里中家を出て夢を真ん中に3人で手を繋いで歩いている。
太陽はだいぶ西の方に傾いていた。
「航太、亮君が言っていた……」
「何を?」
「……お前に会えて良かったってな。」
兄貴の遥か後ろから射す西陽の強さに目を細め、俺は照れ笑いを浮かべた。
「へぇ、そんな事言ってたんだ。」
嬉しくて頬が緩んだが、そんな顔見られるのが恥ずかしくて、直ぐに平静を装った。
ポケットの携帯電話が鳴る。
能見さんからだ。……気分のいい時に限ってかかって来る。
無視しようかと思ったが、仕事の話しだろうと思い渋々出た。
CM撮りの時間変更の連絡で、1時間早まったから遅れないように、なんなら車で迎えに行くと言う。
それを丁重に断わり、何度も遅れないように念を押され、うんざりしながら電話を切った。
「……航太は、能見さん苦手だよね。」
繋いだ手を振りながら、少し馬鹿にした様に夢が笑う。
「……あの、肉食系のガンガン来る感じが苦手なんだよなぁ。」
「でも、良い仕事持って来てくれるし、定職に就かないお前には有難い存在だよ。
……なぁ、夢。」
したり顔で頷く夢と兄貴を恨めしそうに俺は見た。……毎度の事だが無職の身では反論できない。……肩身が狭いな。
でも、今日は何を言われようと気分が良いから馬鹿にする2人を許してやろう。
亮が自分で何をすべきか考え、自分で選択し行動に移せる様になってきた。
思っている事を溜め込まないで相手に伝える。……勇気がいる事だったりするけど、そうやって前に進んで行く。
前を向いて無限に広がってる未来を自分自身で掴むんだ。
亮がどんな風に成長していくか楽しみだよ。