『悩みの種』
「怒って、いない?」
先に反応したのは、越喜来だった。
ありえない。そんなはずがない。
自分が言いたいことを散々言って、それで人を傷つけないわけが無い。
だから。だからこそ僕は、人との関わりを絶っていたというのに。
そんな考えが頭の中をうずまき、うまく言葉を発することができない。
「怒っていないって、本当なの? マスター」
少し遅れて、リリーが尋ねる。
「ああ。というか、なぜ怒る必要がある? むしろ、あんなすごい読心術を披露してくれたんだ。珍しいもの見せてもらったって、こっちからお礼を言いたいくらいだよ」
マスターは笑顔を浮かべてそう答えると、越喜来の方を向き、
「お兄さん、魔法使いか何かだろ? 少なくとも、あんな風に細かく他人の心を読むなんて、並の人間にできることじゃない」
と質問を投げかけた。
しかしそれが聞こえていないのか、越喜来は未だに戸惑った顔をして考え事を続けている。
「怒っていなかったって……じゃあ、さっき下向いて黙っていたのは、一体何だったんだ?」
そんな越喜来の独り言を聞いたマスターは頭を掻くと、
「君たちなら、私の悩みを解決してくれるかもしれない。私はあの時そう思って、正直に打ち明けようか迷ったんだよ。ただ、指摘されたとおり私は脅されていてね。恐怖心に負けて結局言い出せずにいたんだ」
と、恥ずかしそうに言ったのだった。
「詳しくは、奥で話すよ」
マスターは二人を店の奥へ連れていき、小さな事務室へ入らせた。
そこには様々な書類が山積みになっており、店の経営を建て直そうと苦心していたことが伺える。
マスターは丸い椅子を二つ持ってくると、そこに二人を座らせた。
「でも、脅されてるのに話して本当に大丈夫なの?」
椅子の上でリリーが問いかける。
「ああ。多分ね。私は君たちに全てを看破されただけで、自分からバラしたわけじゃない。そういう事にしておけば問題ないさ」
マスターは冗談っぽくそう答え、軽く呼吸を整えると、話を始めた。
「まず、この店に客が来ない理由について話そうか。かつて、この酒場には多くの冒険者が集まって、それなりに繁盛していた。ただ一年前、あの男がここに訪れた時から、何かがおかしくなっていったんだ」
「あの男?」
リリーが首を傾げると、マスターは書類の山に手を伸ばし、何かを探し始めた。
そして一束になった書類を取り出すと、そこに載っている写真を指さした。
「こいつのことさ。こいつは一年前、隣の街の防衛隊長に任命された兵士なんだ」
写真の中では、頑丈そうな鎧に身を包んだ男が、剣を片手にこちらを睨んでいる。
「初めは、真面目に街で防衛隊の仕事をしていたんだがね。最近になって、私たちの村に訪れるようになった。そしてこの酒場で酒を飲んで騒いだり、料金を踏み倒したりといったことが頻繁に起こるようになったんだ」
既に諦めかけているのだろうか。そう語るマスターの目には力がなく、ため息を交えながら説明をしていた。
「それなら、ちゃんと文句をいえばよかったんじゃない? やめてくれって」
越喜来が、さっきの書類――防衛隊の名簿をパラパラと捲りながら言った。
「言ったさ。流石にこらえきれなくなってね。でも駄目なんだ」
マスターは肩を落としてそれに返答した。
「『これ以上逆らうのなら、反逆罪としてお前を斬る』だってさ。悔しいけど、あいつの剣の腕は本物だ。これ以上逆らうなんて、私の命がいくつあっても足りないよ。それに……」
「それに?」
越喜来が聞き返す。
「うちの村は隣の街から援助を受けてるんだが、腹を立てたあいつはそれを打ち切るとまで言い出したんだ。そんな事されたら、うちの村は崖っぷちに立たされてしまう。こうなったらもう、あいつの言いなりになるしかないだろう?」
そこまで話したところで、マスターは再度大きくため息を吐いた。
そして少し首を動かして机に積み上げられた書類を眺めると、うんざりしたような顔で説明を再開した。
「そこからはあいつのやりたい放題さ。この店での飲食を無料にしろと言い出したかと思えば、次はここに来た冒険者を全員隣の街へ流せと言い始めた。それに、これを誰かにバラしたらその時点で援助を打ち切るとまで言われた。タダ飯を食われた上に収入源は失い、退路も絶たれた。うちの店はもうおしまいだよ」
半ば投げやりな口調で言うと、マスターは体を二人の方へ向け直した。
「……よく考えてみれば、ここまで進退窮まった状況、君たちに話したところで解決するわけがなかった。変な話をして悪かったね。もう私の隠し事も暴けたわけだし、こんな村のことなんて気にせずに、旅を続けなよ」
マスターは無理して笑顔を浮かべると、事務室の扉を開いて二人に退室を促した。
しかし、持ち前の正義感からか、リリーはその場から動こうとしない。
「ま、待って! そんな、このまま困ってる人を目の前で見捨てる様なまねできないわ! 私たちにも何かできることがあるはずよ! あなたもそう思うでしょ?」
マスターを何とか助けたい。そう主張すると、越喜来にも同意を求めた。
「それじゃ、僕らは行くよ。役に立たなかったけど恨まないでね?」
「いや、そこで何でそんなにドライなのよ!? あなたに人の心ってものはないの!?」
ところが、越喜来は反対に助ける気など微塵もないようだった。
当り障りのないことを言ってそそくさと部屋から出ようとする越喜来を、リリーが必死に引き止める。
「『何で』って……マスターも言ってたとおり、この状況はもはや解決するとかそういう次元の問題じゃないんだよ。あいつは僕たちより高い権力を持ってる。だから言い逃れはいくらでもできる。それに、あいつはいざとなれば相手を剣で殺せばいいと思ってるんだ。こんな勝ち目の無い戦いをボランティア精神で引き受けるなんて、どうかしてるよ」
「それは、そうだけど……」
そんな、身も蓋もないことを言わなくてもいいのに。
越喜来の言葉にリリーはそう思ったが、その言葉に反論できずに黙り込んでしまった。
「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて。こんなことで喧嘩しなくてもいいだろう? そうだ、もう一杯ずつコーヒーをいれるよ。それでも飲んでリラックスしてくれないか?」
険悪な雰囲気が二人の間に漂っているのを感じ取り、マスターが慌ててフォローを入れる。
黙ったままの二人を連れてカウンターまで戻ってくると、慣れた手つきでコーヒーをいれ始めた。
「はい、どうぞ」
マスターの手が、音を立てずにカップをカウンターに乗せる。
二人はそれを手に取ると、黙々と飲み始めた。
コーヒーが好きなリリーはその香りに僅かに心を躍らせたが、またすぐにハッとして暗い顔に戻ってしまう。
この優しい香りがじきに村から消えてしまうのだと思うと、心は沈み、黒い液体は途端に味を失うのだった。
「あの、ねぇ、マスター。私たちもやっぱり――」
やっぱり、なにか手伝いたいんだけど。
そう続くはずだったリリーの言葉は、突如開かれた扉から発せられた、来客を知らせるベルの音にかき消された。
「よう、今日も酒、飲みに来たぜ――あ? なんだ、こいつらは?」
扉の影から現れたのは、鎧を着込んだ屈強な男。
この酒場を窮地に陥らせている、張本人であった。




