『嘘つき』
「そうなんだ。すごいね」
「反応それだけ!?」
思いのほか淡々と処理され、リリーは思わずツッコミを入れてしまった。
「もっと何か質問ないの!? 『調整人って何?』とか! 未知の世界で出てきた新しい用語よ? 普通気になるでしょ!?」
「いや、わざわざ身を乗り出して強調しなくても……」
越喜来本人としては、少しからかった程度のつもりだったようなのだが。
息がかかるほど顔を近づけ、鬼気迫る表情をして質問を催促するリリーに、若干引いているようにも見える。
「わかったよ。それで、調整人って何なの?」
結局折れた越喜来が、面倒くさそうに尋ねた。
その言葉に誇らしげに胸を張ると、リリーは興奮気味に説明をはじめる。
「この世界がまともに保たれるように色んな力のバランスを調整する係のことを、調整人と呼ぶの。具体的にいうと、神様みたいな人の命令で、この杖を使って世界を管理するのが仕事なんだけど……」
小さな手の中で、奇妙な形の杖が光っている。
「今回で言ったら、主人公不在っていう世界崩壊級の現象が起きてしまっているから、それを全て解決するのが私の仕事ってわけ。私結構偉いのよ?」
最後の"偉い"という部分を強調して、リリーは口を閉じた。この身分であることが、どうやら彼女の自慢のようだ。
「あれ? 神様とかの流れから行くと、君もこの世界の住人じゃ無いってことになるの?」
越喜来が質問する。意外にも真面目に話を聞いていたらしい。
「うん。まあ厳密に言うとどちらとも言えないんだけどね。主人公に逆らえるという点では、そうだと思うんだけど」
リリーが答える。それを最後に話は一段落し、場に微妙な沈黙が流れた。
丁度そのタイミングで、マスターが飲み物を二人の前に並べ始めた。
「はい、おまたせ。そこのお兄さんはハーブティー、お嬢さんはコーヒーでよかったかな?」
親しみやすそうな雰囲気のマスターが、音を立てないようゆっくりとした動作でカップを置く。
「それにしても、わざわざ何も無いこの村に立ち寄るなんて珍しい人達だね。ここには何をしにきたんだい?」
こんなに空いた店では、他にすることも無いのだろう。マスターはカウンターを挟んで二人の前に座ると、ニコニコと笑顔を張り付けたままそう尋ねた。
「えっと、実は私達旅をしているの。それで二、三人仲間を探しているんだけど、誰かいい冒険者はいない?」
別にもったいぶってダラダラと話し、越喜来に口を挟まれてはたまらない。リリーは前置きを省略し、すぐに冒険者を紹介してもらうよう頼むことにした。
しかしその瞬間、先程までとは一転して、マスターから笑顔が消えた。
「……私は、接客が苦手なんだ。そのせいなのかな。この店は開業当時からあまり客足が増えなくてね。見てのとおり、冒険者どころか普通の客すらろくに入らない」
悲しそうな目をしながらそう言うと、マスターは静かに酒場を見渡す。
その視線の先では、不気味ななほどに空いた店内が、無言でマスターを見つめ返していた。
「残念だけど、お嬢さん。こんな店で仲間を募集してちゃ、何年たっても出発できないよ。悪いこと言わないから、どっか別の村に行った方がいい」
マスターはそう言いながら、リリーから目を逸らし、顔を下に向けてしまった。
「え? でも、酒場なのに一人も冒険者がいないなんて……何かあったんですか? この店」
本来、酒場というのはただ飲み物を提供するだけの場ではない。
そこを中心として人々の交流が深まり、外からきた冒険者同士が出会う憩いの場なのだ。
だから余程の理由がない限り、酒場がここまで空くことはありえないのである。
「それは……」
リリーの言葉に反応して、マスターは何かを言いかけた。しかし、口を閉じてそれを飲み込むと、
「……いや、別に何もない。全ては私の力不足が原因だよ」
と、下を向きながらそう答えたのであった。
それを聞いても腑に落ちない様子のリリーだったが、これ以上は失礼だと思い、追及はしなかった。
マスターはその後しばらく俯いた姿勢を保った後、顔をあげると、
「……それじゃあ、ごゆっくり」
とだけ言い、そそくさと裏方へ歩き出してしまった。
「マスター、さっきから嘘ついてるよね?」
その時、今まで口を閉じていた越喜来が、タイミングを見計らっていたかのようにマスターの背中に声をかけた。
「なっ……」
気を抜いていたところに噛み付かれ、マスターは言葉に詰まって動きを止めてしまう。
――数秒の間の後、マスターは裏方へ向けていた体をカウンターの方へ向けなおした。
「急に何を言うんだい? お兄さん」
マスターの顔には、営業用に取り繕った笑顔が戻っている。
「別に嘘なんて、ついていないよ」
そう言いきったマスターには、動揺している様子など微塵もない。
むしろ動揺したのは傍らに座っているリリーの方である。
突然相方がマスターへ食ってかかったのを見て、いきなり何をしているんだコイツは。と指摘された当人以上に驚愕していたのだ。
「ちょっと! 何でマスターに喧嘩売ってるのよ! あなたそこまで人が苦手なの!?」
「いや、別に悪気はないんだよ?」
リリーに怒られた越喜来は、しかし悪びれずそう言った。そしてマスターと目を合わせると、
「ただ、僕は嫌いなんだ」
と呟き、ひと呼吸おいてから、
「自分から本音を隠しておいて、そのうち誰かが察してくれるだろう。とか、誰かが悩みを解決してくれるだろう。なんて思い込んでる人間が」
と、見透かしたようなセリフを吐いたのであった。
「本音? 悩み? ねぇ、あなたさっきから何を言って――」
そう言いかけたリリーだったが、越喜来の表情を確認した途端、次の言葉を忘れてしまった。
何だ、この目は。
この、まるで、"何もかもを見通して"いるかのような、暗く腐って死んでいる目は。
越喜来の顔に、薄暗い二つの穴があいていた。そこから放たれる視線は、じっとりとした重みを伴って、マスターの体を縛り付けていく。
リリーは、単純に恐怖を感じた。
「こ、これはまた面白いお客さんだ。私が嘘を? まさか、人の心が読めるとでもいうのかい?」
当のマスターはというと、既に顔に汗をかき、声が震えていた。
別に、何かを証明されたわけでもない。ただ、図星を突かれただけ。それだけなのに、何故か酷く動揺してしまっていた。
この少年は、どこかおかしい。
今更そこに気がついたマスターだったが、もう遅かった。
越喜来に隠し事をした。それ自体が、既に致命傷なのだから。