『調整人』
「主人公に問題が?」
何の捻りもなく聞き返した越喜来に、少女は先ほどの絵に新たな線を書き加えながら説明を再開する。
「さっきも言ったように、この世界はその『ファンタジー小説』? と同じようなものだと思ってもらっていいんだけど、このままだと空っぽの箱なの。そこを舞台にして、選ばれた人間である"主人公"がシナリオ通りに動き続けることで、この世界はようやく存在価値を得ることができるのよ」
乾いた土に書かれた、ドラゴンや火の玉を抱えた惑星の絵に、多数の棒人間が追加される。
「そして数年前、ある村で一人の青年が新たな主人公として選ばれた」
絵の中で、一人の棒人間が丸く囲われた。。
「最初は、彼もシナリオ通りに行動していたの。でも、ある時を境に彼の動向が把握できなくなった」
そう言って少女の手が土を均すと、囲われた棒人間とともに、描かれた世界が消えていく。
「このまま主人公がシナリオを放棄し続けると、世界も存在価値を失い、全てが消えてしまう。今この世界は、危機的状況にあるの」
そこまで話終わると、少女は「理解した?」とでもいいたげに越喜来の方を向き直った。
「抽象的でありえないような話だけど、この状況じゃ信じるしかなさそうだね」
少女の話が一区切りついたそのタイミングで、越喜来が口を挟んだ。
「でもやっぱり分からないな。それでどうして僕が呼ばれることになるのさ。それこそ、こっちの世界で捜索隊でも出せば解決する話じゃないの?」
越喜来は、簡単そうに言う。その言葉を、少女はゆっくりと首を振ることで否定した。
「それができたら苦労しないわ。この世界にとって、主人公とシナリオは絶対なの。他の人はみんな主人公のために存在してる。この世界の住人である限り、主人公の邪魔はほとんどできないのよ」
何も、この世界に限ったことではない。
敵の撃った弾は偶然外れる。
かかった呪いは愛の力等ですぐに解ける。
どれほど刀で斬られても、致命傷にならない。
いつだって主人公は、他のどんな存在よりも優遇されてきた。
「だから主人公に反抗できる異世界人を呼んで、捜索を手伝ってもらう必要があったってこと?」
「そういうこと」
素直に説明を理解してもらえてほっとしたのか、少女は額の汗を拭った。
「そうなんだ。じゃあ僕は帰るね」
「うん。帰り道気をつけて――ってちょっと待ちなさいよ!」
説明を聞き終え、魔法陣へ向かう越喜来。
笑顔で見送りかけた少女だったが、すんでのところで引き止める。
「なんで止めるのさ」
「いやあなたこそなんで帰るの? 待望の異世界に来て、世界を救ってくれって言われて、それでも帰る理由って何?」
「見たいテレビが有るんだよ」
「あなた本当に最低ね!」
少女はゴミを見るような目で越喜来を睨みつけると、杖を振って魔法陣を消してしまった。
「なんてことするんだ! 君って最低だな」
「あなたに言われたくないわよ!」
魔法陣のあった位置を見つめ、真顔で抗議する越喜来。
少女は噛みつくように反論すると、説明を再開した。
「心配しなくても大丈夫。あなたの身体能力は、転移の時に魔力である程度引きあげておいたから」
「そういう問題じゃないんだけど……」
まだ不満の残る越喜来だったが、それを聞いて納得する。
この世界に来てから、少し体が軽く感じていたのだ。
「でもまあ見た感じあなたに戦闘のセンスは無さそうだし、戦闘要員として二・三人仲間を雇った方が良いかもね」
「仲間!?」
少女が、何の気なしに言ったその言葉に、越喜来はやけにオーバーに反応した。
「仲間なんて要らないよ! というか僕は請け負うなんて言ってないじゃないか!」
人との関わりが大嫌いな越喜来に対して、仲間や友情は禁句である。
もとから低かった彼のテンションが、今ので更に下がってしまった。
「え、何で落ち込んでるの? そんなこと言わないで! とにかく一度酒場までいってみましょう? この世界の人はそこまで怖くないわよ!」
しまった、このままでは逃げられる。
そう考えた少女は、下を向いてテンションガタ落ち状態になった越喜来を強引に引っ張り、最寄りの酒場へと連れていくことにした。
少女がぐったりとした越喜来を引きずって酒場にたどり着いたのは、その三十分後の事であった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
扉を開くと、中年のマスターの声が、キツいアルコールの匂いとともに二人を出迎えた。
少女は適当にアルコールの含まれない飲み物を二つ注文すると、越喜来と共に席に着く。
「ねえ、いい加減テンション戻してよ。もしかしてあなた、人付き合い苦手なの?」
まあ、この面倒くさい性格なら当然か。
そんなことを考えながら、さっきから一言も喋らない越喜来に声をかける。
「実はね。だから仲間を雇うだなんて言われたらテンションダダ下がりだよ。そのうえ酒場なんて人の多そうな場所に連れてこられたらもう――ん?」
そこまで言って何かに気がついたのか、越喜来は口を閉じて辺りを見回した。
木でできたテーブルが、天井の証明からの光を反射して濡れたように光っている。
特に目立った特徴はないが、温かみの感じられる雰囲気があるいい店だった。
それにも関わらず、店内はガラリと静まり返り、客は一人もおらず、椅子の殆どはその上に空気や埃を座らせていた。
いや、そもそも、人々が集まり情報交換をする憩いの場だと少女からは説明を受けていたのに、これほど静まり返っているのは不自然では?
越喜来が一人でそんなことを考えていると、黙り込んでしまった彼を心配したのか、
「ねえ、大丈夫? 本当に具合悪そうだけど」
と少女が顔をのぞき込んだ。
実はずっとテンションが低いままの越喜来を見て、体調でも崩したのではないかと気が気ではなかったのだ。
『いや、大丈夫。ありがとう。』
そう言おうとして、越喜来はあることを思い出した。
「大丈夫。それより、一つ聞き忘れてた。この世界の説明はいいとして、君は一体何者なの?」
本当に本当に今更すぎる質問だった。
それを聞いた少女は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに得意げな顔をすると、自己紹介をした。
「私はリリー。この世界の均衡を保つために生み出された調整人よ」