『宗教』
「これだけ大きな壁があるんじゃ、合流するのは難しそうですね……」
壁を見上げて、ジニアが大きなため息をついた。
「きっと今頃、向こうの二人も驚いてますよ。『聖壁』なんていうから覚悟はしてましたけど、流石にこの大きさは予想外でした」
彼はそう言って苦笑いを浮かべたまま、壁に手をついて俯いてしまった。普段明るく振舞っている分、落ち込んだ時の落差は激しいのだ。
「まぁそんな落ち込まないでよ。まだリリー達から連絡も来てないんだし……」
落ち込むジニアに越喜来がそう声をかけた時、彼の目の前の空間が歪み、昨晩と同じ小さな魔法陣が現れた。
景色の一部が切り取られ、円形の映像がそこに表示されていく。
「二人とも、見た!?」
魔法陣の中から、リリーの声が聞こえてきた。越喜来は魔法陣に彼女が映っているのを確認すると、手で覆うようにしてそれを隠す。
「見たよ。この大きな壁のことだよね?」
越喜来はそう言うと魔法陣の向きを変えて、目の前の巨大な壁を二人に見せた。
壁は異常なほどの存在感を放ちながら、依然として彼らの前で沈黙を保っている。
「はい。私達もさっき辿りついたばっかりなんですけど、正直驚きましたよ。この壁、一体どれだけの労力をかければ作れるのやら……」
宙に浮いた映像の中で、アイリスが肩を落とす。
「こんなのがあるんじゃ、いつまでたっても合流できないわ……一度外に出て、同じ区画に入れるよう門番に頼んでみましょうか?」
壁のあまりの規模に、街の内部で合流することを諦めてしまったのだろうか。リリーは魔法陣ごしに聖壁を見つめると、そんなことを提案し始めた。
「いや、ちょっと待ってよ。諦めるのはまだ早いんじゃないかな」
しかし、越喜来はそれをあっさりと拒否した。その口調はどこか楽しげで、何か策があることを匂わせている。
「どういうこと?」
「ほら、あれ見える? あそこに立ってる兵士」
不思議そうな顔をしたリリーに対し、越喜来は再度魔法陣の向きを変えて説明を始めた。
彼の視線の先では、一人の兵士が壁に背を向けてじっと佇んでいる。
「これだけでかい壁の中で、兵士が立っているのはあそこだけなんだ。何かありそうじゃない?」
越喜来はそう言うと、魔法陣を自分の方へ向け直した。自然と、リリーと目が合う形になる。
「今から、あの兵士に壁について聞いてくる。しばらくしたら、また連絡してよ」
「え、ちょっと! もう少し話し合ってから――」
魔法陣に映る二人に向けてそう言うと、越喜来は返事も待たずに魔法陣を閉じてしまった。
最後に何かをいいかけたリリーだったが、それは途中で途切れてしまった。
「いいんですか? 勝手に連絡切っちゃって。後でリリーさんに怒られますよ?」
「まあ怒られるのは嫌だけどね。これも早く合流するため、皆の為を思ってのことなんだ」
その態度に慌てるジニアに対し、越喜来は例によって悪びれずに答えた。
「それじゃ、話してくるよ」
「あ、待ってください! ボクもついてきます師匠!」
そう言って目線を彼から先程の兵士に移すと、越喜来はまた歩き出してしまった。
その後ろを、ジニアが急いで追いかけていく。
✱
越喜来達は、壁を守る兵士にじりじりと近づいていった。
「ん? どうかしたのか? そこの二人」
しかし、その行動はほとんど不審者のそれだった。
そんな二人を怪しんだのか、兵士は怪訝な顔をすると彼らに向けて声をかけた。
「い、いや、怪しい者じゃないよ!」
「そうそう、僕達旅をしてるんだ。仲間の女の子とはぐれちゃったんだけど、合流するためにはどうしたらいいのかな?」
兵士に声をかけられたジニアが、慌てて越喜来の後ろに隠れる。一方越喜来は、回りくどいことはせずに単刀直入に話すことにした。
「"女の子と、合流"?」
それを聞いた兵士は、何故か一瞬顔をしかめた。しかし彼らが旅人であるということを思い出し、直後に表情を緩めた。
「……この街では、正式な儀式以外での男女交流が禁止されている。たとえそれが、よそから来た旅人であってもな」
兵士は二人を交互に見ながらそう言うと、自身の背後の壁を指さした。
「もし緊急の理由があるなら、ここの出入口から区画を移動すればいい。だが特に理由がないのなら、ここを通すわけにはいかない。それが決まりなんだ」
彼が指さす先では、壁の一部に奇妙な仕掛けが取り付けられていた。恐らく、これが出入口なのだろう。
「お願いします、ここの出入口を使わせてください! ボク達、二人と合流しなきゃいけない理由があるんです!」
兵士の説明を聞いたジニアが、頭を下げて頼んだ。突然頭を下げられた兵士はというと、意味がわからないといった顔で混乱している。
「お、おいおいやめてくれよ……理由ったって、その規模によって変わってくるだろ? お前達、わざわざルールを破ってまで男女交流する理由があるのか?」
兵士は慌てて顔を上げさせると、困った顔をして二人に詳細な理由を尋ねることにした。
「僕達は、主人公を探さなきゃいけないんだ。そうしないと、世界が滅んでしまう。だから早く仲間と合流したいんだよ」
越喜来は、何のひねりもなくそれに答えた。それは何かの考えがあってのことなのだろうか、彼の顔にはニヤニヤとした余裕の笑みが浮かんでいる。
一方彼の後ろでは、ジニアが苦い表情をしていた。
「『主人公』? 『世界が滅ぶ』? ……はっはっは! なかなか面白い冗談を言う奴だな。その主人公ってのはなんだ? お前のお友達の名前か?」
兵士は、越喜来の話を聞くと大声で笑いだしてしまった。それもそのはず、こんな話を急にされて、信じる人間などそういないのだ。
しばらくして目に涙を浮かべながら呼吸を整えた兵士は、頭を書いて体制を立て直した。
温厚な性格なのだろうか。バカにしていると思われても仕方ない彼らの発言に、腹を立てた様子はなかった。
「はー……まあいい。今話したのが俺だったから良かったが、他の兵士だったら今のだけで殴られてたぞ? 兵士ってのは基本的に気性が荒いからな」
兵士は気を取直して二人に忠告すると、最初と同じように壁に背を向けた。
もうこれ以上話を聞くつもりはないのだろう。彼はそれっきり一言も話さなくなってしまった。
(師匠、主人公探しなんて直接言っても伝わりませんよ! うまく誤魔化せばよかったじゃないですか!)
(クソ、僕はなんて正直な人間なんだ! 生まれつき嘘をつけない性格が、ここに来て足を引っ張るとは……)
(……アイリスさんの気持ちが、少しわかった気がします)
もはや出入口の使用は絶望的とも言える状況に、二人は小声で作戦会議を始めた。
と、その時辺りが急に騒がしくなった。ざわめく声が聞こえたと思うと、次には怯えたような声があちこちから聞こえてくる。
「ほら、見てみろ。無断で壁を越えようとしたら、ああいう目にあうんだ」
先程の兵士が、騒ぎの中心を指さしながら二人に声をかけた。その口調は冷静で、なんてことないことを言っているようにも聞こえる。
「ああいう目? ……って! 何ですかあれ!」
「うわぁ……なるほどね」
越喜来とジニアは、兵士が指さす先を見てしかし唖然とした表情を浮かべた。
それもそのはず、彼らの目線の先では、一人の男が数人の兵士にボコボコにされていたのだ。
✱
「ぐはっ! クソ、俺が何をしたっていうんだ!」
越喜来と同じくらいの年だろうか。まだ若いその青年は、硬いレンガの上で悪態をつきながら兵士を睨みつけていた。
体中に痣を作り、口から血を流し、それでも意志の強い目は逸らさないでいる。
「街のルールを破り、神の意思である聖壁を犯そうとする! これが、罪でないのならなんだというのだ?」
手に警棒を持った兵士が、這いつくばる青年を冷たい目で見ながら言った。演説のようなわざとらしい大声が、辺りの野次馬の間を通り抜ける。
それを聞いて、周りを囲む他の兵士も賛同の言葉を上げた。そんな彼らの様子を見て、周囲の街人は怯えたように目を逸らしていく。
「前にも言ったはずだ。『壁を無断で超えてはならない』。これは女神様がお作りになられた聖なる法だ。守らぬものには、罰が下る」
兵士はそう言い放ち、警棒を持った腕を高く掲げた。
その時、そこに一人の少年が走ってきた。
「だ、大丈夫? こんな囲まれて、大変ですね」
少年はジニアだった。この惨状を見て、いてもたってもいられず突撃してしまったのだ。
彼は青年のもとへ駆け寄ると、怪我の具合を確認し始めた。
「お前は誰だ? この男の知り合いか? というか、変だな。なぜ女がこちらの区画に……?」
「男だよ! 初対面なのに失礼だな、もう!」
ジニアは自分を見て首をかしげる兵士に腹を立てて、頬をふくらませた。
自分が気に入った相手以外には敬語を使わないのが彼の流儀らしく、こんな状況であっても臆せずに抗議の声を上げている。
「とにかく、大勢で一人をいじめるなんて許せない。何で、こんなことするんだよ!」
彼は鋭い目で兵士達を睨みつけると、怒りをあらわにしながら大声を出した。まだ高いその声は、しかし十分すぎる迫力をもって響いた。
「何でって、当たり前だろ? ルール違反はいけないことだ。これくらい、ガキでもわかる。それともなんだ? 俺たちに文句でも?」
彼の言葉に何人かの兵士はたじろいだが、リーダー格の兵士は不愉快そうに鼻を鳴らすだけだった。
開き直ってそう答えると、警棒を持った手をこれ見よがしにブラブラと振った。
「文句大ありだよ! いくらなんでも、やり過ぎだ、こんなの間違ってる!」
そんな兵士に対して、ジニアは腰の剣に手をかけながら言った。
彼が剣に手を伸ばしたのを見て、兵士達は目つきを鋭くした。公共の場での抜刀。それは、『今から人を斬る』と宣言するのと同義なのだ。
兵士は何があってもいいように、自分たちも剣を抜く体制に入る。
まさに一触即発。何者も立ち入ることのできない、張り詰めた空気が場を満たしていく。
「おーい、ジニア待ってよー!」
しかし、その空気は完全にぶち壊された。陽気な声を出しながら、越喜来は手を振って歩いてくる。
その場の全員は一斉にペースを乱され、剣にかけた手もそのままに呆気にとられて彼を見つめるしかなかった。
「あ、居た! 何してるんだよジニア! 早く剣から手を離して! 謝って!」
「でも、師匠。こいつら人をボコボコにしてるんですよ……?」
「『でも』じゃなくて。ほら、早く」
「……はい、ごめんなさい」
越喜来はジニアのもとまで歩いていくと、呆然とした兵士を無視して彼の手を剣から離させた。
そして彼が頭を下げるのを確認すると、兵士の方を向いて満面の笑みを浮かべた。
「いやー、僕の仲間が迷惑をかけたね。別に邪魔しようってわけじゃなかったんだよ。今回のは、少し彼が慌てただけなんだ。許してあげてよ」
「お、おう。そうか、ならいいんだが……」
兵士達は完全に越喜来のペースに乗せられてしまったようで、既に剣から手を離してしまっていた。
微妙な表情のまま青年の方を向き、軽く咳払いをして気を取り直した。
「まあそう言う事だ。次からは、もう少し気をつけるようにな」
リーダー格の兵士が忠告したのを合図にするように、兵士達は駆け足で去っていってしまった。
場に残ったのは、越喜来とジニア、そしてボロボロになった青年だけだった。
「師匠、なぜ止めたんですか!?」
ジニアが、手を握り締めながら叫んだ。目には困惑と、それ以上に怒りの色が浮かんでいる。
その言葉を聞いた越喜来が、表情を固定したままで口を開いた。
「あのまま戦っても、君に勝ち目はない。だいたい、街中で兵士と戦ってどうする? すぐに捕まって牢屋行きだよ?」
「そ、それは……」
「君の気持ちはわかるけどさ、もう少し考えて行動したほうがいいんじゃないかな」
越喜来は彼の考えを理解した上で、その行動を批判した。ジニアはそれを聞いて俯くと、目に軽く涙を浮かべて黙り込んでしまった。
「……助けてくれたのか? 誰だか知らないけどありがとう――っ!」
その時、二人の背後で先程の青年が起き上がった。しかしまだ傷が痛むのか、顔をしかめて腕を抑えている。
「あ、ダメだよ。横になってないと。怪我してるんだから!」
ジニアはそんな青年を見ると、そう言って彼をレンガの道の上に寝かせた。青年は力なく頷くと、言われるがままにまた横になった。
「それで、この人どうする? まさか、助けたあとどうするか考えてなかったワケじゃないんだろう?」
「……とりあえず、宿のベッドで休ませましょう。怪我もありますが、だいぶ疲れてるみたいなので」
越喜来の質問に暗い声で答えたジニアは、再度青年の様子を確認することにした。
青年は体のあちこちに怪我があるものの、骨が折れた様子もなく、なんとか歩けそうな状態だった。
「よし、じゃあそうしようか。君、立てる?」
ジニアの提案を聞いた越喜来が、青年に手を差し延べる。
「ああ、でも悪いな。世話になっちまって……」
「いいんだよ。少し君に聞きたいこともあるしね」
青年が礼を言いながらその手を取る。それを引き上げて彼を立たせると、越喜来は作り物のような笑顔を顔に張り付けて言った。
青年に肩を貸して、越喜来がゆっくりと宿に向かって歩いていく。
その後ろを、不機嫌な顔でジニアがついていった。
✱
「……本当に、なんとお礼を言っていいかわからないな」
十数分後。三人は、宿の部屋に戻ってきていた。一人分の部屋に三人が入ると流石に狭いはずだが、文句は言っていられない状況だった。
青年はベッドに横たわったまま、二人に向けて頭を下げている。
「か、顔をあげてよ! ボクは何もしてないわけだし、お礼を言われる筋合いもないから!」
それを見て、ジニアは慌てて顔を上げさせた。勝手に飛び出して迷惑をかけたことを気にしているのか、後ろめたそうな顔をしている。
部屋の端のほうでは、越喜来が壁に持たれた状態でそんな二人のやりとりを観察していた。その表情は相変わらずニヤニヤとしているものの、目だけは鋭く二人の顔を捉えている。
「そうだ、ボクはジニアっていうんだけど、あなたは?」
しばらく青年と話をしていたジニアだったが、急に思い出したようにそう尋ねた。
「俺? 俺の名前はロックだ。よろしくな」
尋ねられた青年が、笑いながら答える。
それを見ていた越喜来が、不意に動いた。壁から体を離すと青年――ロックに向けて歩き出し、ベッドの手前でその足を止める。
「ロックか、いい名前だね。僕は越喜来。少し、話をしてもいいかな?」
「ああ、いいぜ。どうかしたのか?」
簡単な自己紹介を済ませると、越喜来はロックの目を見て言った。ロックはその様子に不思議そうな顔をしたものの、快くそれに応じた。
「この街ってさ、男女が一緒にいちゃいけないルールあるでしょ? これ、何の為にあるの?」
越喜来は、街に来た時から気になっていた疑問を彼にぶつけることにした。男女の交流の禁止。この理不尽なルールに、ずっと違和感を抱いていたのだ。
それを聞いたロックは、眉間にシワを寄せて俯いてしまった。何か思うところがあるのだろうか。深いため息をついたあと、ゆっくりとあげたその顔は暗く曇っている。
「俺が知りたいよ。この街、『カトレア教』とかいう宗教に支配されてるんだ」
「『カトレア教』?」
「そう。その宗教が男女交流を禁じてるってんで、この街全体がそんなルールになっちまってんだよ。意味わかんねぇ」
彼は唸るような声で説明をし終えると、頭を抱えて黙り込んでしまった。暗い顔は保ったままに、より一層深く息を吐く。
一方の越喜来はというと、それを聞いてしばらく考え込んだままでいた。そして何かを閃いたように顔を上げると、口元を大きく歪ませてニヤリと笑う。
「なるほど、宗教か。……僕の予想通りだ」
彼はそう呟くと、意味がわからず戸惑ったままのジニアを無視して窓の外を見つめた。
外は既に日が落ちていて、一面が闇に包まれている。聖壁はそんな中でも魔力によってぼんやりと光を帯び、辺りに居心地の悪い存在感を放っていた。




