『ジニア』
「ん! んんーん……うーんん! ふううううん!」
翌日、越喜来はそんな妙な声を聞いて目を覚ました。
「あれ? もう朝か。というか、この声はいったい……!?」
その声の主を確認しようと越喜来が横を見ると、昨日の夜縛られた状態のままのアイリスが目に飛び込んできた。
その頬は上気し、口から涎を垂らして暴れている。
「リリー! 君、アイリスを縛り付けたまま寝たのか!?」
「えー? なに、もう朝? もうちょっと待ってよー」
越喜来は急いでリリーを起こしたが、彼女は寝ぼけているようで全く使い物にならなかった。
「僕はてっきり、君は縄をほどいてあげてから寝るんだとばかり思ってたよ。びっくりさせないでくれないかな!?」
そう抗議をしながら、越喜来はアイリスの縄をほどきにかかる。
しかしある程度ほどいたところで、アイリスが何か言いたそうにうなり始めた。
「ん? あ、そうか。口を塞いでるやつを外した方がいいよね。忘れてた」
越喜来は何故か追加で目隠しまで追加されているその顔に近づくと、口を塞いでいた布を外した。
「し、縛られて放置されるのも……なかなか、いいモノですね……」
アイリスの口から最初に出てきたのは、そんな言葉だった。疲労のためか興奮のためか、乱れた呼吸の中で彼女は確かにそう言った。
越喜来はそれを聞いて絶句すると、見てはいけないものを見たような気まずい気分に包まれたまま、無言で粛々と縄を外していった。
✱
「本当にごめんね? アイリス。縛ったまま、外すの忘れちゃって」
リリーが、アイリスに頭を下げる。その顔は、本気で反省している顔だった。
「い、いえ、良いんですよ! 私そんなに気にしてませんし! ほら、あれでも食べましょうよ!」
思いのほか真剣に謝られ、アイリスは慌ててしまった。頭を急いで上げさせると、屋台に並んだパンを指さして笑顔を作る。
三人はリリーが寝ぼけ状態から回復するのを待ったあと、聞き込みのため街の広場まで出てきていた。
それは『主人公の手がかりがなかったら、とりあえず聞き込み』という短絡的な考えからの行動だったが、実際他に手段もないので仕方がなかった。
「ほら、越喜来も食べる?」
越喜来が二人の様子をボーッと眺めていると、リリーがパンを手渡してきた。
「うん、ありがとう。それにしても、ここは本当に普通な街だね。何も無い」
それを受け取って一口食べると、越喜来は特に意味もなくそう言った。
「まあ、逆に言えば悪いこともないってことなんですし、いいんじゃないですか? 平和で」
アイリスは、自分がリリーにあげたパンが越喜来へまわったことに顔をしかめながらも、その話題に口を挟んだ。
「でもここ、特産品も何もないでしょう? こんなんじゃ、買い物のしがいがないっていうか……あら?」
そんな『街に何もない』談義に混ざろうと口を開いたその時、リリーは遠くの路地で誰かが取り囲まれていることに気づいた。
「ね、ねぇあそこ! 女の子が、男に囲まれて困ってるわ!」
リリーは、未だに話を続ける二人に向けてそう言った。
「あ! 本当だ。女の子をよってたかっていじめるなんて! 前言撤回。この街全然平和じゃないですよ!」
指摘されて辺りを見回すと、アイリスもそれに気づいたのかそんな感想を述べた。
「え? "いじめられてる女の子"? そんなの、どこにもいなくない?」
だが、越喜来だけはその流れに乗れなかった。越喜来の目には、そんな女の子は映らなかったのだ。
「越喜来さん。性格だけじゃなく、視力まで悪くなったんですか? あれですよ、あれ!」
アイリスはそんな越喜来を見て信じられないといった顔をすると、越喜来の頭を手で掴んで無理矢理その方向へと向けた。
「ああ、あれのことか。でも、あれってさ……」
それによって越喜来もようやく自体を把握したようだったが、まだ何か言いたげに言葉を続けている。
「グダグダ言ってる場合じゃないわ。早く助けてあげましょう! 置いてくわよ!?」
「流石リリーさん! 実際戦うのは自分じゃないのに、軽く引くレベルのその決断力。素敵です!」
しかし二人はそう言うと、越喜来は無視して路地に向けて走り出してしまった。
「君たちさぁ、何か僕に対する扱いがだんだん酷くなってない?」
越喜来は聞こえないのを承知で呟くと、走ってその後ろを追った。
「あ、あの。ボクに何かよう、かな?」
路地の中で数人の男に囲まれ、その女の子は震えていた。
黒いサラサラの髪を後頭部で縛り、薄手の金属鎧を着けた小柄な女の子は、剣士なのかその腰に剣を提げていた。
「あぁ。お前のせいで、俺らの知り合いはみんな酷い目にあったんだ。その責任は当然、とってもらわないとなあ?」
ひときわガタイの良いリーダー格の男は、一歩近づくと脅すようにそう言った。
良く見ると、男たちは皆工具などで武装していた。そのためか、彼らは腰の剣を見てもまったく動じる様子はなかった。
「そんなの、ただの言いがかりだよ! ボクは何もしてないじゃないか!」
女の子は必死にそう主張するが、既に周りの男たちは話を聞いていない。
「お前ら、やっちまえ!」
リーダーのその号令に合わせて、男たちの何人かが一斉に工具を振り上げた。そして血走った目で目標を捉えると、力任せにそれを振りおろす。
しかしその瞬間、工具を掲げた男たちに激しい電流が流れた。
「が、ががががががががががががっ!」
ガラの悪い男たちは口から意味のない音を漏らすと、そのままの姿勢で倒れてしまった。体のあちこちからは、黒い煙が出ている。
「なっ!? 今、一体何が起きたんだ!?」
後ろにいたおかげでその電流を食らわずに済んだ男たちは、辺りを見回しその犯人を見つけようとした。
そこに、どこからか冷たい声が響いた。
「大丈夫ですよ。死にはしませんから」
その声が聞こえると同時に、路地の奥から魔女――アイリスが現れた。その腕には、既に並の魔法使いの限界を超えるほどの魔力が溢れていた。
「魔力の収束!? お前ら、下がれ!」
リーダー格の男は、それを見ただけでアイリスが只者ではないことを見抜いていた。
必死で子分に指示を出すが、ほとんどの男は頭に血が登っており、逃げようとしない。
「て、てめぇ! 何もんだ!」
命令を無視して、男たちは工具を構えた。
「いえ、大した者ではないですよ――通りすがりの、魔法使いです!」
アイリスはそれに笑顔で答えると、既に兵器と化しているその両腕を彼らに向けた。
瞬間、左右の腕から数え切れないほどの火球が、連続して撃ち出される。
逃げ遅れた男たちはそれを見て何とか躱そうとしたが、目視してから動いたのでは遅すぎた。
彼らは炎の嵐に飲まれると、為すすべもなく地に伏した。
一方、その女の子はというと、アイリスが暴れている隙にこっそりと移動していた。
裏路地のさらに奥。もはや自分がどこに向かっているのかもわかっていなかったが、それでも逃げなければと必死の思いで走ったのだ。
しかし、
「どこに行くんだ? ジニア」
その行く手を、リーダー格の男が阻んだ。後ろには、無事で済んだ数人の仲間を引き連れている。
「も、もうやめてよ。ボクは関係ないんだって!」
ジニアと呼ばれたその女の子は、男たちに向かって叫んだ。しかし、男たちがそれを素直に聞くはずもない。
リーダー格の男は、ジニアを睨みながら工具を強く握った。
「さっきは邪魔が入ったが、今度はそうはいかねぇからな? こんなところまで来るやつってのは、よっぽどの方向音痴か、変わり者か。その二つだけだ。もう、助けは来ないんだよ!」
そう言い切ると、リーダー格の男は合図をだそうと息を大きく吸い込んだ。
「おーい、アイリスー! リリー! ……おかしいな、二人ともどこに行ったんだろう?」
その時、変わり者が方向音痴を患ったような人間が、ノコノコと歩いてやって来た。
越喜来は男たちの背後の道から現れると、この光景を見て首をかしげる。
「あれ? アイリスの魔法ならすぐにケリがつくと思ってたんだけど、意外としぶといんだね君たち」
その発言が余計だった。
「何だ? お前。……まさかあの魔女の仲間か!? クソッ! お前ら、こいつを囲め!」
それを聞いて越喜来がアイリスの仲間だと気づいたリーダーは、警戒を強めて全ての子分を越喜来の対処に当たらせたのだ。
「おっと。囲まれちゃったよ。これは困ったな。どうしたものか」
そんな状況にもかかわらず、越喜来はまったく困ったような表情をせずにそう言うと、静かに盾を構えた。
(む、無理だ。勝てるわけないよ。いいから、早く逃げて……)
ジニアは、それを見て絶望していた。盾だけを持った一人の人間相手に、武装した男が五・六人。どう考えても、勝てる訳が無い。
「へっ、ナメやがって。これでも食らって、大人しくくたばってろよ!」
男のうちの一人が、真っ先に攻撃を始めた。金槌を構えると、それで越喜来の頭を砕こうとする。
「おっと危ない」
「ぐげっ!」
しかし、それは直前で躱された。勢い余った男は、その向かい側に立つ別の男の頭をぶん殴ってしまった。
「こ、こいつ素人じゃねえぞ。一斉にかかれ!」
ようやく何かがおかしいことに気がついた男たちは、それぞれが思いつく限りの方法で、一斉に攻撃をすることにした。
しかし、それが大きな間違いだった。
胸めがけて突き出した工具が躱されると、それは向かい側にいる男に刺さる。
顔を殴ろうとした工具は、隣の男の腕を砕く。
越喜来への攻撃は、全てがよけられ、尚且つ他の男を倒すために利用されていた。
そして気がつけば、越喜来の周りにいる男は皆倒れてしまっていた。
「て、てめぇ! 何をしやがった!」
リーダーの男は、越喜来を睨むと工具を構えてそう叫んだ。
「僕はただ、そこに立って挑発しながら攻撃をよけていただけだよ。あいつらが挑発に乗って、思ったとおりの動きをしてくれたから勝てたんだ」
越喜来はそう言うと、リーダーの男を睨み返した。
「かかって来いよ。もしかして、怖いの?」
越喜来のその言葉に、リーダーの男はキレた。
「うるせえんだよ、黙ってろ!」
そう怒鳴ると、ノコギリのようなものを構えながら、彼へと突進し始めた。
「これで、終わりだ!」
男はノコギリを上段に構えると、越喜来目がけて力強く振りおろした。しかし当然というべきか、越喜来はそれを横に動くことで躱した。
それもそのはず、彼の身体能力は、リリーによって大幅に引き上げられているのだ。
対アイリス戦でも、最初"目視してから"魔法を盾で防げていたほどの瞬発力である。そんな越喜来に対しては、この程度の攻撃では遅すぎた。
加えて彼は敵の心が読めている。『超遠くから、ゆっくり自転車が迫ってきている』様子を想像してもらいたい。彼は、それをよけているだけなのだ。
「そろそろかな? アイリス、どうせ見てるんでしょ? トドメ、頼むよ」
攻撃を躱した越喜来は男と距離を取ると、上を向いてそんなことを言い出した。
「ああ? お前何言ってんだ? ……あ」
男がつられて上を向くと、自分の頭上に魔力が集中しているのが見えた。
そしてそれに反応して男が動くよりも先に、特大の雷が男へと降り注ぐ。
「まったく、何で私が越喜来さんの命令を聞かなきゃいけないんですか」
黒焦げになった男の上に、アイリスがホウキに乗っておりてくる。
「というか、本来もっと早めに助けるべきじゃないの? これは僕の予測だけど、僕が囲まれた時点で君ここにいたでしょ?」
そんなアイリスに、越喜来は呆れたようにため息をついた。
と、そんな二人のやりとりを、ジニアはキラキラとした目で見つめていた。
「す、凄い! こんなに大勢を、倒しちゃうなんて!」
ジニアは大きな声で二人にそう言うと、あこがれの目を向けた。
「そ、そう? まあ、私の魔法にかかればこんなもの――」
アイリスはそれを聞いて、満更でもなさそうな顔をしてそう言いかけた。
しかし、ジニアの目はアイリスではなく、越喜来の方に向いていたのだ。
「師匠!」
「え? 僕?」
「はい! 師匠と呼ばせてください!」
ジニアは困惑する越喜来と、誇らしげなポーズのまま動かなくなってしまったアイリスを無視して、そんなことを言い出したのだった。




