『罪と罰と赦しと』
「何も殺せない、魔法使いか」
そう繰り返すと、越喜来はその場で考え始めた。
「別に、悪いことじゃない。『魔法で殺せる』なんてのよりも、もっと自慢できることのはずだ」
アイリスから目を逸らし、しゃがみ込んで崩れた床の瓦礫を弄びながら、言った。
「でも、それが冒険者のチームに所属していたら、話は変わってくる」
「――っ!」
越喜来のその言葉に、アイリスは下を向いて黙り込む。その手はきつく握り締められ、何かを耐えているようにも見えた。
「この世界には、当然倒さなきゃいけないやつがゴロゴロいる。それは悪党だったり盗賊だったり、魔物だったりね」
越喜来は床から瓦礫を拾い上げると、それを眺めながら続けた。
「当然、君は仲間と共にそいつらに攻撃をする。でも、それは模擬戦じゃなくて殺し合いなんだ。痛めつけただけじゃ、勝てない。相手は『参った』なんて言ってくれないし、殺さなきゃ逆に自分たちが殺されるんだよ」
その声を聞きながら、アイリスは帽子を深くかぶり直した。目を隠し、歯を食いしばる。
「おそらく、君の存在がチームにとって邪魔になったんだ。だから、君は置いていかれて――」
「違う! 違います!」
越喜来がそこまで言いかけた時、アイリスが叫んでそれを遮った。その目に涙が浮かばせ、きつい目つきで彼を睨みつける。
「アドルは、アドルはそんな風に私を置いていったんじゃない。そう、私は必要とされてたの! あなたには、わからないんですよ!」
アイリスはそう言うと、残り僅かな魔力を振り絞って魔法を放った。その火球は、真っ直ぐ越喜来へと飛んていく。
「違うね、僕にはわかる」
越喜来は手に持っていた瓦礫を投げると、アイリスに向けてそう言った。
その時、感情を剥き出しにしたアイリスの心に反応して、越喜来の目が赤く変色した。そして彼の心の中に、アイリスの心が流れ込み始める。
「僕にはもう、"君の全てが見えている"」
その声が響くと同時に、越喜来の投げた瓦礫が火球を打ち消した。
そして、越喜来の目の前にある映像が広がり始めた。アイリスの記憶が、心が、彼の全てと繋がっていく――
✱
私は、アドルのことが大好きでした。小さい頃に魔法の才能に目覚めてから、ずっと避けられてきた私を、暖かく受け入れてくれたアドルが大好きでした。
アドルと出会ったのは、小さな村の酒場。こんな自分でも変われるのかと、冒険者として仲間を募集していた時でした。
誰も、私を必要としてくれませんでした。何の実績もあげていない。全く名前も売れていない。そのうえ、こんな変な格好をしている人のことを、雇う人がいないのは当然でした。
その時、アドルが声をかけてくれたんです。アドルは、私の格好を『変な服』と笑いましたが、決して侮辱はしませんでした。
私はその後に雇われたもう一人の人と一緒に、アドルと冒険を始めることにしたんです。
私は、愕然としていました。
私の放つ魔法では、何故か魔物にとどめをさせないのです。いくら痛めつけても、魔物は苦しがりはせよ、死ぬことはありませんでした。
ある時、私が仕留め損なった魔物が原因で、もう一人の仲間が怪我をしました。私は謝りましたが、返事は返ってきませんでした。
そしてこの街に来たとき、私はその仲間がアドルに何かを話しているのを聞きました。
『あいつは、この街に置いていこう。足手まといだ』
……
翌日、アドルはこの街を救うためにここに残ってくれと言いました。
そうです。アドルは私を必要としてくれたのです。必要としたから、置いていくのです。
そうに、決まってます。
私は、この街を救います。
だって、アドルは私を必要として、頼ってくれたのだから。
『後で迎えに来るから』って、言ってくれたから。
私は、要らない子ではないのだから。
✱
「な、何ですか? 今のは」
自分の心が覗かれたことを感じ取って、アイリスは慌てて周囲を見回した。
「……なるほどね。そういうことだったのか」
越喜来はそんなアイリスを無視して、一人納得したような顔をしている。
「あの時、君が動揺せずに自分を正当化できたのは、そもそもの倫理観が壊れているからだったんだ。君はアドルに依存するあまり、"まともな倫理観を失っている"」
そう言って睨む越喜来を、アイリスは虚ろな目で見つめ返す。
「何を言っているんですか? アドルのためにしてることなんだから、良いことに決まってるじゃないですか。それを邪魔するんだから、倒すのは当然じゃないですか」
アイリスは、足元がおぼつかない様子でそう言うと、首をかしげて笑い出した。
「残念だけど、君は"アドルに見捨てられたんだよ"。アドルのためになにかしても、それは無駄なんだ」
一発。その越喜来の言葉に合わせて、銃声は響く。言葉の槍は、容赦なくアイリスを内側から破壊していく。
「そんなわけ、ないじゃないですか」
アイリスは焦点の合わない目で越喜来のいる方向をボーッと見たまま、消え入りそうな声で呟いた。
「君は彼らの役に立っていなかった。それどころか、"彼らの邪魔をしてしまったんだ"」
二発。アイリスの心が、少しずつ欠けていく。
「だから、ちがうって」
それを否定しようとするが、言葉が出てこない。思い出したくもない記憶、自分を誤魔化して、隠していた記憶が蘇っていく。
「そして、君の仲間はアドルに君を"置いていくことを提案した"んだ」
三発。心のどこかに、ヒビが入る音がした。
「ちがうって、いってるじゃないですか!」
アイリスは振り払うようにそう叫ぶと、自分の周囲に雷を落とした。
しかし越喜来はそれを気にせずに、アイリスに近づいていく。
「そして、アドルはそれに賛成した。この街を救うという、体の良い理由で、君を置いていった」
四発。アイリスは立っていられなくなり、床に手をついた。
「違う! 違います! アドルは迎えに来てくれるって、そう言ったんです! だから!」
アイリスは自分に言い聞かせるように叫びながら、大粒の涙をこぼした。今の彼女は、少し触れただけで壊れてしまうほど、脆くなっていた。
だからといって、それで越喜来が何かを遠慮することはない。
「じゃあ、それから一度でもアドルはこの街を訪れたの?」
その言葉に、アイリスは返事をしない。唇をかんで、俯いてしまう。
それ自体が、既に答えだった。
「君は結局、終始"誰にも必要とされていなかったんだ"」
五発。
その言葉が突き刺さると同時に、アイリスはその場に倒れ込んだ。そしてそのまま、何かを小声で呟き始めてしまう。
「……ごめん、なさい。私は誰かから必要とされたい、から。でも、そんな悪気はなくて……」
しかし、その言葉を越喜来は耳に入れない。
「君はアドルのためなら、何をしてもいいと思っていた。でもそれは違う。君はただの悪人だよ」
そして越喜来は、彼女にとどめをさそうと言葉を続けた。顔には、満面の笑みを浮かべている。
「君は自分の心の弱さを、アドルに依存することで誤魔化した。そして、『誰も殺せない』という欠点すら、『殺さずに痛めつける』ことに強かに利用した」
言葉を発しながら、一歩ずつ近づいていく。
「そんな君は、まさに最低――」
「越喜来!」
そして越喜来が心を砕こうと口を開いた時、それを誰かの声が遮った。
「……リリー。もう、動いて大丈夫なの?」
その声の主は、リリーだった。彼女は薬の影響で未だしびれる体を引きずると、アイリスのもとへと向かった。
「私は大丈夫。それより越喜来、あなた少しやりすぎよ」
リリーは、膝を抱えて震えているアイリスを見てそう言った。
「やりすぎ? 何を言ってるんだよリリー。この子は僕らを含め、多くの人を襲撃した。それを裁くのは当然じゃないか」
越喜来は意味がわからないといった顔で、リリーを見つめた。
「アイリスはもう十分反省してる。あなたの今の言葉で、自分の罪を自覚したの!」
リリーはアイリスを抱きしめると、越喜来を困惑した表情で見つめた。
「あの隊長の時もそうだった。何であなたは、人を必要以上に傷つけるの?」
そう言いながら、リリーはあの村での出来事を思い出していた。
自分の罪を自覚し、許しを請う人間の心を砕いた時の、越喜来の楽しそうな表情を、思い出していた。
「もし人を壊したいという欲望だけで動いているなら、あなたのそれは、正義じゃない。そんなの、ただの、ただの悪よ!」
リリーは、越喜来の目を見つめた。視線の先では、越喜来が何の感情もない目でそれを見つめ返している。
「……だから、最初から言ってるじゃないか。僕はただの外道だって」
『そんな僕に、何を期待しているんだ』
その言葉を飲み込んで、越喜来は体ごと後ろを向いた。その顔には、一瞬だけ後ろめたさを感じさせる表情が浮かんでいた。
「わかったよ。その子は許す。もう襲撃はできないだろうしね」
越喜来はそう言って、二人をおいて歩き出した。
(自分を襲ってきた相手を、許す? 一体、何を考えてるんだ)
その心の中ではまだモヤモヤとした感情が渦巻いている。
「でもリリー、僕が心を折った人間は、そう簡単には立ち直れない。ここで許しても、意味はないと思うけどね」
少し歩いたあと越喜来は振り返ると、思い出したようにそう言った。
しかし彼が目にしたのは、予想外の光景だった。
「大丈夫、大丈夫よ」
リリーが、アイリスの手を握り締めて繰り返している。越喜来はそれを見ると、驚いて体を二人の方へ向けた。
「は、励まそうとしてるの? 無駄だよリリー。僕は心を折ったんだ」
越喜来のその言葉をリリーは無視する。
「大丈夫。あなたは要らない子じゃないわ」
リリーの言葉に、アイリスは顔をあげた。
「ダメですよ。私は、誰にも必要とされないんです。それなら、いっそ!」
そう叫ぶと、アイリスは魔力を帯びた手を自分に向けた。自分に向けて、魔法を放つつもりなのだ。
直後、目が眩む程の閃光が走り、爆音があたりを包んだ。
「ど、どうなったんだ……!?」
光が止むと、越喜来は目を覆っていた腕をどけて辺りを見回した。すると、その目に信じられないものが飛び込んできた。
アイリスが、倒れている。
そして、その上に覆いかぶさるように、リリーが倒れていた。
「り、リリー。君まさか、巻き添えをくらったの?」
そう言いかけた越喜来だったが、すぐにそれは間違いだと気づいた。
二人の後ろの壁に、魔法が衝突した跡がある。
(リリーがアイリスを押して、魔法を逸らしたのか?)
越喜来が考えていると、二人が起き上がり始めた。
「リリーさん、なんで止めたんですか」
アイリスは、泣きそうな顔でそう言うと、リリーを見た。
リリーは、それを聞くとただ無言でアイリスを抱きしめた。
「大丈夫だから。あなたを必要とする人は、どこにでもいる。だから、死ぬ必要はないの」
言い聞かせるようにそう言うと、静かに目を閉じた。
「リリーさんは、どうなんですか?」
「ええ。私も必要としてる。少なくとも、あなたが死んだら、私は悲しく感じると思う」
その問いかけにリリーがそう返すと、アイリスは目から涙をこぼした。
その目から光は、既に消えている。
その後、しばらくアイリスは泣き続けた。
泣いている間、リリーはずっとアイリスを抱きしめていた。
しかしそれを見ながら、越喜来は困惑した顔をしている。
(僕が心を折った人間を、立ち直らせた? そんなこと、できるはずないのに……)
今までの経験から、越喜来は心を折られた人間が立ち直ることはないと思い込んでいた。
だからこそ、この状況は彼の目にとても奇妙なものとして映るのだ。
(武器屋の男を傷つけた時も、リリーが立ち直らせた。これは、いったいどういうことだ?)
越喜来は心から悩んでいるが、これは別に難しい問題ではないのだ。
人に対する思いやりのない人間に、人を励ますことはできない。
逆に、思いやりのあふれる人間の言葉は、人を元気づける。
たったそれだけの話なのだが、彼がこれに気づくのは随分と後のことだった。
今の彼には、リリーとアイリスが抱き合っている姿を、戸惑いながら眺めることしかできなかった。




