『覚醒』
言葉が突き刺さった体から、力が抜けていく。男はガクリと片膝をつくと、俯いたまま黙り込んでしまった。
(これで終わりだ。あいつの心は、完全に折った)
越喜来は、自身の勝利を確信した。この反応から、再起不能なまでに男の心は折れていると判断したのだ。
しかし、その考えは間違っていた。
「うるさい!」
力強い声が、男のいた方向から発せられる。越喜来が驚いて顔を向けると、男は既に体勢を立て直していた。
剣の柄を握り、歯を食いしばりながら越喜来を睨む。
「お前に、お前に俺の何がわかるんだ!」
男は感情を爆発させると、目にも止まらない速さで剣を抜き、越喜来に斬りかかった。
常人には見切ることさえできない高速の刃が、越喜来に迫る――
✱
(何故、まだこいつの心は折れていないんだろう。もしかして、僕は心を読み損なったのか?)
男が体勢を立て直した瞬間、越喜来はそんなことを考えていた。
今までにも、彼は心を読み間違えたことがある。それは、人の心という複雑なものを、表情から推理しようとする以上仕方のないことだった。
その直後に越喜来は、男の手が剣にかかったことを認識した。
(あ、やばい。これマジで殺される)
表情と動きからして、男が越喜来を斬るつもりなのは明らかだった。
もう少しじっくり顔を確認すれば、男がどう剣を振るか予測することもできただろう。しかし、気づいたのがあまりにも遅かった。
避けることも防ぐこともできず、彼の死は確定したも同然だった。
(……まあ、いいか。今回だって僕なりに頑張った方なんだ。ここで死んでも、誰も責めやしないさ)
なす術なしとはまさにこのことだった。
自らの死を確信した越喜来は、諦めて静かに目を閉じた。
(でも、少しだけ悔しいな。こんなやつの心を読み損なったせいで死ぬなんて、死因としては最低だぞ……!?)
そんなことを考えて、チラと男の方を見た。
その時だった。
《畜生! 殺してやる、必ず殺してやる!》
越喜来の頭の中に、突然何者かの声が流れ込んできた。
(な、なんだ!? 何が起きてる?)
それに慌てた越喜来が状況を把握しようとした時、再度同じような声が頭に響いた。
《俺の事情も知らず侮辱しやがって! これでもくらいやがれ!》
見ると、ちょうど男は剣を握る手に力を込め、斬りかかろうと準備しているところだった。
(まさか、これ、"あいつの心の声なのか"?)
越喜来がそう考えた直後、男が斬りかかってきた――
✱
剣が風を切る音に、床に穴があく音が続く。
男が縦に振りおろした剣は、何を斬ることもなくその勢いを止めたのだ。
「"何が"って聞いた?」
立ち込める埃の中から、声がする。
「なっ!?」
その声に戦慄した男は、剣を床から抜くのも忘れて声の主を確かめようとする。
そしてしばらくして埃がおさまると、男は目を見開いた。
「"何でも"って言ったら、どうする?」
そこには、越喜来が平然と立っていた。
体を僅かに動かして、剣の軌跡にギリギリ触れない位置へ移動していたのだ。
「ば、馬鹿な! 俺の剣を素人が躱すなど……ありえん!」
そう叫ぶのと同時に、男は今度は剣を横に大きく薙ぎ払う。しかし、越喜来は体を逸らすことでいとも簡単に避けてしまった。
「何故だ? 何故剣が当たらねぇ!」
それでも男はめげずに何度も剣を振り回し、越喜来を切り裂こうとする。
だが、どれも無駄だった。
縦、横、斜め。どの方向からの斬撃も、予知されているように全て躱されてしまう。
そしめどんなフェイントをかけようとも、越喜来は決して騙されなかった。
「何故って、さっき言ったじゃん。僕はお前のことが"何でも"わかるって」
言いながら笑ったその目は、赤く発光していた。
越喜来は直後に横から迫ってきた刃を、後ろに下がることで躱す。
そう、今の越喜来には、男が何を考えているかが手に取るようにわかるのだ。何故かは知らないが、男の表情を見なくとも、情報が勝手に頭に流れ込んでくる。
男が次どのタイミングで、どの位置に剣を振るのかも、筒抜けだった。それさえわかっていれば、もはやこの剣は何の驚異でもない。
✱
(な、なんなのよ。いきなり戦い出して焦ったけど、あいつ結構動けるんじゃない!)
二人から離れた位置でそれを見ていたリリーは、予想外の越喜来の動きに驚愕していた。
しかし、彼女が今本当に気にしているのはそこではない。
(それにしても、あの目はやっぱり魔法よね?)
目、であった。先程は青く、そして今は赤く光っている越喜来の目は、彼が魔法を使っているという決定的な証拠だった。
(確かに魔法に強力な素質を持つ人なら、特に訓練積まずとも使えることはあるけど……)
見ると、越喜来の体からは奇妙なオーラが漂っていた。
(誰に習うでもなく無意識に、しかも二種類の魔法を使いこなせる素質。それに、このバカみたいな魔力量って。あいつ、"何者なの"!?)
リリーは越喜来の異常性に改めて気づくと、大人しく二人の戦いを見守ることにした。
✱
攻撃を避けた勢いのまま、越喜来は大きく後ろに移動すると、男から距離をとって静止した。
「はぁ、はぁ、クソ! てめぇ、ただの客だってあれは嘘だろ!」
怒りに任せて剣を振るっていた男は、大きく体力を消耗したのか膝に手をつくと、越喜来を睨みつけた。
「凡人が、俺の剣を見切れるわけねぇんだ。マジでお前、何者だよ!」
荒々しく剣を床に突き刺して、男が怒鳴る。
「僕? 僕なんて対した人間じゃあない。ただの腐った外道だよ。それ以上でも、それ以下でもない」
一方越喜来は息ひとつ乱さず、冷静にそう答えた。これはリリーによる肉体強化の賜物でもあったが、最小限の動きで攻撃を躱す越喜来のスタイルによる影響が大きかった。
「というか、もう終わり? なら、こっちからいくよ」
越喜来は両手をダラリとぶら下げると、力なく男を見つめつつそう発言した。
「はぁ? こっちからいくも何も、お前丸腰じゃねぇか。人をナメるのもいい加減にしろよ!」
息を整えた男はそう答えると、剣を引き抜きしっかりと構え直す。その姿勢にブレはない。
対して越喜来には構え自体がない。ただつっ立ったまま、不気味な笑みを浮かべる。
「いや、僕はこのままでいいのさ。だって、僕には言葉がある……!」
鎧を着込んだ剣士を相手に、あくまでも精神攻撃だけで戦うことを宣言する。
この異世界において、未だかつてない規模の諍いが、始まろうとしていた。