第1話 引き抜かれた聖剣
その剣は、天高く掲げられた。
民衆の注目はその一人に向けられ、ありとあらゆる喝采を浴びる。
柄の宝玉は陽の光を浴びて、周囲に眩い光をミラーボールのように反射する。
誰もが彼女を賞賛し、祝福の紙吹雪がどこからか舞う。
剣の持ち主は、くすみ一つ無い長髪を揺らして微笑みを返す。
花のような笑顔と、それを引き立てるために作られたような鎧が美しい。
この世界に来てから、一番の衝撃だった。
異世界からわざわざ来たというのに。
……俺、勇者じゃなかった。
***
安さが売りの小汚い長屋に戻り、叩けば破れる戸を開ける。
馬小屋よりはマシなベッドに腰掛け、ため息とともに寝転ぶ。
剣を引き抜いた彼女は、まもなく勇者として名を挙げるのだろう。
特別な才能を持たない剣技ではあるが、異世界から来た俺ならばという気持ちはあった。
しかし、今俺の手元にあるのは刃こぼれしたなまくらの剣が一本。
どうやら今生でも、名も無き一般人として生きることになるらしい。
薄い布団を被ると、この世界に来た時のことを思い出す。
別に前世で過労死したとか、重い病で……なんてことを経験した訳じゃない。
普通に生まれ、平均的に学び、凡庸な会社員であった。
将来なりたいものもなく、恋人や親友と呼べる人もなく。
我ながら、面白さの欠片も無い人生を送ったものだ。
つまらない日々は、段々と自分自身を俯瞰して見ていくようになった。
ついには、目の前に気の狂った老人が操る車が見えても『治療費は誰持ちになるんだろう』などと思ってしまったのだから、どうしようもない。
……気がつくと、真っ白い部屋で目が覚めた。
所謂知らない天井だ、というヤツだ。
てっきり病院かと思ったのだが、シミどころか物一つ無い壁と天井に違和感を覚えた。
薬品臭で満たされた部屋で、看護士の嫌に冷たい手で触診を行っていた己の記憶との違いに首をひねっていると、脳に響く声が聞こえた。
「……もう五回目ですよ、貴方」
「……?」
「呆けてないで、返事をしてみては?」
「誰なんだ?」
「神様ですよ」
いつの間にか、目の前に光り輝く塊が存在していた。
何も見えないのに、目が離せないような圧迫感を感じる。
「貴方が無気力に生きて死ぬのは、これで五回目なんです」
「と言われても……記憶が無いんですけど」
「そりゃあ、また無気力になられても困りますし。別に毎日笑顔でとは言わずとも、目的くらいあっても良かったでしょう?」
「やりたい事ありませんでしたからね」
「これ以上同じ生活を繰り返されても見ていて不快なので、少しだけ手を貸してあげます」
どうやら神様は人間を眺めて遊ぶのが楽しいらしく、見ていてワクワクするような事を所望のようだ。
一つだけ願いを聞いてやるから次こそは楽しませて見せろ、というのが神様の主張だった。
「じゃあ……特別な魔法が使える魔法使いになりたいです」
「そんな事? いいよ。他とは違う魔法が使えれば良いんだよね?」
適当に言ったつもりが、呆気なく許されてしまい、逆に返事に困ってしまった。
「それじゃあ、来世では素晴らしい活躍と色んなものに興味を持ってくれることを、陰ながら祈っているよ」
そう告げると、電源が落ちたように目の前が暗くなった。
程なくして、意識を失った。
…………我ながら、無計画な頼みをしてしまったものだ。
実は、今の生活に魔法は一切使っていない。
というのも、魔法と呼ぶものは特殊な製法で作られた杖と、誰かの指導があって初めて使えるようになるらしい。
マトモな指南書は法外な値段で取引されており、とてもこんな生活を送る人間が入手出来るものでは無い。
かといって教えてくれそうな魔法使いの伝手もなく、かじった程度の剣一本でその日暮らしを続けている。
「異世界人なんだから、剣くらい抜かせてくれてもいいよな……」
もしも今、改めて神様に会えるのならば、お金が湧き出る財布を貰っているところだ。
この部屋に金目の物と言えば、買ったときは綺麗な光沢のあった剣と、見えないように隠した金貨が数枚。
街の冒険者たちが豪遊しているのを最初は不思議に思っていたのだが、金があると盗まれるリスクがあるから使ってしまおう、ということらしい。
全員がそうすることで『この長家に金持ちはいない』という共通認識が生まれ、鍵のかからない扉でも窃盗が起こらないということなのだ。
金を使うことで金を盗ませない、悲しき犯罪対策……。
仮にも現代人の側からすると不安でしか無いのだが、冒険者として半人前の今、そもそも貯金する程金が貰えることも無い。
明日は朝から依頼を受けるために、漂う眠気を捕まえて眠る。
粗末な布団の寝心地も、もう慣れたものだ。
***
翌日、冒険者ギルドは勇者のことで持ちきりだった。
お陰で、何もしなくても勝手に情報が耳に入る。
曰わく、剣と魔法どちらの才能も持っている女性である。
彼女はかなり上位の貴族で、国王にも面識がある。
そんな彼女は、名を『アイ』と言うらしい。
他にも真偽の分からない噂話が飛び交うので、話半分に聞き流して依頼の書かれた掲示板へと向かう。
「ま、縁は無さそうだな……」
聖剣のことは一晩眠ったら意外と落ち着き、俺に立派な剣だけ持たせても宝の持ち腐れだろう……と思えるようになった。
神様から教わった魔法の使い方を覚えて、自由に生きられればそれで良い。
もっとも、今の俺は魔法の使い方一つ知らないわけだが。
『薬草採取』の依頼をカウンターに渡すと、慣れた手つきでサインを書いて返される。
「薬草は北の森に多く生えておりますが、最近はゴブリンが多くおりますので気をつけてください」
「どうも」
北の森はこれまでも何度か潜っているが、これまでゴブリンは見なかった気がする。
引っ越しでもしてるのだろうか?
北門を出て、街道を外れるとすぐに森に着く。
始めてこの世界に着いた時も、この森にいた。
持ち物も何も無く王都に入ろうとしたら、盗賊に襲われたと誤解した門番に、ずいぶんと優しくしてもらった。
――身ぐるみ全部とは、盗賊も容赦ねぇなぁ。
――何も言わなくて良い。出入りに必要な書類はこっちでやるから、冒険者になれ。
――そうすりゃ最低限は生きていけるし、装備があれば盗賊も躊躇うだろう。
少し恥ずかしい記憶だが、同時に良い思い出でもある。いつか会ったらお礼がしたいところだ。
周囲はまばらに木が生え、僅かに薄暗い。
街道では感じられなかった新緑の香りが安らぎを与えてくれる。
地面の至るところから生えている野草の中から、葉の付け根が黒っぽい物を選んで抜き取る。
薬草はそのまま傷口に塗りこんでも、煎じて薬にしても使えることから需要が高く、比較的高価格で取り引きされている。
小麦や野菜のように気軽に畑で育たない事も、値段が下がらない理由になっているらしい。
「ま、ちゃっちゃと進めますかね」
根っこの土を落としてまとめていると、前方から枝葉の擦れる音がした。
音は小さいが、明らかに風とは異なる。
薬草を採取していた手をそのまま剣へと伸ばし、息を潜める。
影から飛び出してきたのは、額から角の生えた赤っぽいウサギだった。
『角ウサギ』と呼ばれるすばしっこいウサギだ。
角に刺されるとそれなりに怪我をするが、比較的見切りやすい動きから初心者向けのモンスターであると見られている。
鞘から抜刀した剣を構え、正面を見据える。
互いに距離を測りあい、隙を伺う。
半歩前に出ると、角ウサギは一気に飛びかかってきた。
助走をつけて跳ねるその瞬間をしっかりと見定め、攻撃を回避する。
避けられた後の角ウサギは大きな隙が出来る。
言ってしまえば、着地のヘタなやつなのだ。
足が痺れてふらついている所を一撃で仕留める。
ギルドの説明で受けたそのもの、ある意味お手本のような倒し方だ。
依頼は受けていないが、角をギルドに提出するとちょっとしたお小遣いが貰えるので角を切り取り、薬草と一緒に袋に入れる。
……冒険者って、意外と地味なもんだよな。
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