のばら、転生す
「君との婚約は今をもって破棄する」
私の目の前にいるのは、とっても見目麗しい王子様風ホスト。きっと、そんな店なんだろう。一体いつの間に私は歓楽街に来てしまったのだろう。見た感じの店の作りなんて豪華すぎて目がチカチカするじゃないか。そんなにお金持ってないぞ、……どうする? 私。
しかし、このホストはいったい何を言っているのだろう?
「君がシンシアに行った非道の数々、身に覚えがないとは言わせない」
シンシアって、こっちのお姫様風キャバ嬢よね……。こんなに長いピンクの髪を縦巻ロールにして、紫のカラコンを入れるなんて、絶対に一般職ではないわ。おひさまを浴びない職業よ、きっと。
いや、ふたりともコスプレーヤーっていう可能性もあるかもしれないわね。あ、じゃあ、ここはイベント会場とかになるのかしら? 『間違って迷い込んだ』は確かだから、どうか、どうか、そっちで。
これから娘の授業料とか大変なのよ、こっちは。
あなたたちはそれが似合っているし、大丈夫、ふたりとも可愛いわよ。若いっていいわねぇ。だから、私を巻き込まないでちょうだいね。
「リック殿下、メルティローゼ様の目が怖いです」
この王子様、リックって言うんだ……。そう思いながら彼に答えた。
「あぁ、すみません、もともと近眼で最近老眼とかも進み始めてて……あ、眼鏡を忘れたようで、決してその、好奇な目を向けていた訳ではなく……」
あれっ、反射的にメルティローゼに反応してしまったけど……私はメルティローゼじゃなくて……あれっ? 誰だっけ? 今喋ったの、私……だよね。声、うん? ヘリウムガスでも飲んだ? ワントーン高い気がするんだけど。いや、視界めっちゃクリアじゃん。
そう思ったその瞬間、雷に打たれたかのような、衝撃が脳裏に走った。多分、ぼんやりしていた記憶が、明白になったというか……。キレイに、私がメルティローゼであるということを認識し、状況がはっきりと分かった。
えっ、相当やばいわ。そう、私、このシンシアって子いじめてた。うん、めっちゃ、いじめてた。だって、殿下に色目を使うんだもの。そう、婚約者のリック殿下。だけど、確かに無視したり、足を引っかけたり、わぁ、髪を切ったり? わぁ、極めつけはドレスざく切り事件……こいつはやばい。いじめっ子確定。いや、もはや犯罪者じゃね?
ドレスざく切りなんて、器物損壊だもの……。
じとぉと見つめてくるシンシアはといえば、色目は使っていたが、それ以上はなかった。ローゼの勝手な嫉妬。殿下だって、メルティローゼを不当に扱っていない。
いや、不当といえば、不当か。この子にとっては、浮気でしかない……と思ったのだろうから。
うーん……いや、殿下は有罪ではある。この子の感覚しか分からないから、この世界の倫理観がどうなっているのかは知らないけれど、一女として、許せないわ。
その目に釣られて優しくしていたわけだしさ。あげく、側妃にするとか言い出したわけだしさ。
あのさぁ、こういうのって。大人頼っていい案件じゃないの? 仮にも婚約者だったらしいし。直接的に罰するからこうなるわけで。
あんた達未成年でしょう?
だけど、憧れの色目しか使っていない子をそんな目に遭わせていれば、そりゃ、怒る。だって、何度も彼に注意されてるもん。なんで分からんかなぁ……この体の持ち主。
ファンクラブ会長みたいなもんじゃない。
身分が下の者を無碍にいじめるなって。それじゃあ、王妃の器じゃないって。もっと威厳を持てって。気付けよ馬鹿。本当に、だから、今私が……。えっ。
「ちょっと、待ってっ。えっと、えっと。私がその、メルティローゼってこと?」
彼女の悪行の限りを冷静に納得した後に、大きく叫んでしまった。おばちゃん、そんなん付いていけないよぅ。ということは、本物の王子様とどこぞの良いとこのお嬢さんを相手にしてるってことよね。
「違うのっ。私、超庶民なの。分かる? ド平民。あんた達なんかよりもずっと底辺の」
勢いで叫んだまま口を開けて言葉をなくしていると、リック殿下の憐れみの瞳が落ちてきた。涼やかな水色も、こう冷たく光ると氷のようだ。
「あっ、リック殿下……ですよね……」
彼らの得体の知れないものを見るような視線が痛いし、怖い。
「あぁ、確かにリックだが」
最初にあった言葉の意味が分かった。
「それほど庶民になりたかったのか?」
私は頭をぶんぶん縦に振っていた。もちろん。そんな面倒くさい家になんていたくない!
「庶民で!」
要するに、これって悪役令嬢に転生したってことでいいのよね? 娘がよく読んでいた奴。時々勧められてたけど、忙しいから話半分で聞いてたけど……。あ、私は中二の娘がいる母親で、言っておくけどあなたたちよりもずっと人生経験はあって。
だけど、王族なんて、関わったことないよ? 日本だよ? 皇族はいるけど、テレビの中の人と言っても良いくらいだし、華族だって今は存在しない。というか、大社長クラスの人と関わりなんてないでしょ、普通は。
でも、この状態ってことは、バッドエンド突入……直前、というものなのかしら……。
あぁ、この先どうなるのか、もっとちゃんと聞いておけばよかった。大概同じ道筋って言ってた気がするんだけど……。とにかく、追放されるらしい。
追放……国外追放か娼館へ……修道院も?だったかしら……。とりあえず、国外追放辺りで勘弁していただきたい。この年で男におべっか使って生きていくなんて、まっぴらごめん。中身は、中学生の娘を持つ母親だよ?
修道院で信仰もしていない、見たことも聞いたこともない神様に祈り捧げる倹約の日々も、絶対ムリムリ。
そんなんで、寄付金募るんでしょう?
他の人は信じてるからまだいいけど、信心すらない私の救いのお言葉なんて完全に詐欺じゃん。
休日はテレビの前でおせんべいとチョコのコラボがいいもん。煩悩まっしぐらで生きていきたいもん。パートのお給料散財して、煩悩万歳人生でいいよ、もう。
この世界にテレビもチョコも、せんべいもあるか知らないけれど……。
「あ、あの、少しお時間いただいても……その、記憶を確かめたくて、……。シンシア様への仕打ちをちゃんと思い出したく思います」
急におろおろしはじめた私に、不審というか、憐れんでいるらしい殿下は「まぁ、少しなら……」と時間をくれる。
この人、めっちゃ話分かる人。なんで、逃したかなぁ……。もったいない。というよりも、現在の立ち位置は分かった。
どうも、手堅く言えば、浮気だ。分かるよ、腹が立つの。でも、この人王子様なんでしょう? 殿様って側室持ったりするもんじゃないの?
そこは、割り切って左団扇な生活……まぁ、出来ないか。この子若いし、この王子様のこと好きだったみたいだし。さっき、私自身この子の記憶に引きずられて、こいつは有罪だとも思ったわけだし……。
それよりも、覚えている間に、本来の自分をちゃんと思い出さなくちゃ。
唯一の私の武器になるかもしれないんだから。
おそらく彼らに上回っていることは人生年数だけ。全てにおいて、年の嵩だけは負けてないぞ。どんなふうに生きてきたのか、さらっておかなくちゃ、忘れそう。
まず、何が起きたかを整理しなくては。
町歩きをしていた。うん、繁華街。久し振りに会う友達と買い物に行こうって言う話だったはず。お互いにおばちゃんになったねぇって認識し合うような、そんな仲ではあったけど、まぁ、楽しみにしていたわけだ。買い物も終わって、カフェに入ってケーキも食べて、それから、バスに乗ろうとして……。バス停の名前は『流行野』
で、ここから思い出しの拒絶が始まる。記憶のホワイトアウトだ。
何があった? 私。
駄目だ、無理。謝ろう。世の中、謝れば少しは変わることもある。殿下は良い人みたいだし。深々と頭を下げて、しっかり謝ろう。こういうところ、社会人経験は役に立つ。これでも娘が生まれるまでは10年ほど正社員していたんだから。今の場合、譲れないものは、自身の命くらい。
とにかく平に平に謝っておくべき。
「申し訳ありませんでした。シンシア様に対する非道の数々、思い出しましたわ。許していただけることではありませんね。だけど、どうか彼女に真摯に謝らせていただく機会を。どうか、いただけませんでしょうか」
やはり得体の知れないものを見るような目つきで、シンシアも私を眺めてくる。そんなの知らない。とにかく、深々と頭を下げて、「申し訳ありませんでした。その視界に入らないよう努めますので、屋敷の方で沙汰を心して待つことにします」
ここにいても良いことはない。
とりあえず、追放なんだから、これでいいんだよね、娘よ。
そう思いながら、その広間を立ち去ろうとすると、リック殿下の焦るような声がかかった。
「待て、ローゼ。馬車は用意させる」
逃げると思われたのかしら?
殿下、逃げませんわ。
だって、ここがどこかも地理すらも全然分かりませんもの。あ、そういう意味ではありがたいかも。帰る家のイメージはあるけど、方向、分かってないもの、この子。
歩けば勝手に家に着くって思ってるもの、この子。
だって、この子、世界の中心は『私』みたいよ?
「感謝申し上げます」
自分の愛称まで分かったことも含めて、感謝しなくちゃ。
だけど、深々と頭を下げた私には、その宇宙人でも見るようなリック殿下の表情が見えることもなく、ショックで頭がおかしくなったと思われていることにも、もちろん気付かなかった。