夜の事件、理性の臨界点
社員旅行の夜。
酔いと秘密が交差するその瞬間、
優の“小悪魔スイッチ”が――入った。
宴会のあと、優を部屋へ連れてきた俺。
ベッドに座った優は、顔を赤くして――。
「ねっ♡ 寝よっか、葵くん」
「……は?」
目の前、距離ゼロ。
濡れた睫毛、火照った頬、甘い息。
「お前、冗談だよな」
「冗談じゃないけど?」
布団の端から覗く、完全小悪魔“ゆう”モードの笑顔。
(やめろ、その顔は反則だろ)
「ほら」
優が、俺の手首をそっと引いた。
その指先は熱を帯びていて、
まるで触れた瞬間に体温が流れ込んでくるみたいだった。
アルコールのせいか、優の瞳は少し潤んで揺れている。
その表情に、一瞬で呼吸が止まった。
「……葵くん、あったかいね」
掠れた声。
吐息が触れる距離。
体の奥が静かに反応する。
(やばい……これは、いつもの優じゃない)
熱を帯びた指が離れない。
それだけで、心臓の鼓動が早くなっていく。
酔っているはずなのに、どこか理性的で、でも無防備。
優の体から伝わる火照りに、感情が滲んでいる気がした。
寂しさなのか、甘えなのか――それがわからないまま、
俺はその温もりを拒めなかった。
(……やめろ。そんな顔、見せるな)
心の中でそう叫びながら、どこか嬉しく感じる俺がいた。
自分にだけ見せてくれる優の表情。
それがたまらなく、男として――嬉しかった。
「……離せ。冷やして寝ろ」
そう言って濡れタオルを取りに立ち上がろうとしたとき、
背中にふわりと軽い重みを感じた。
振り向けば、優が俺の背中にそっと顔を埋めていた。
その仕草が、まるで――心の鍵が外れたみたいで。
「背中に……葵の声が響いて、なんか……落ち着く」
その声は、酔っているせいだけじゃない。
いつもの強がりも、男装の仮面も、全部どこかへ消えていた。
安心しきったような息遣いが、背中越しに伝わってくる。
俺の中の理性が、静かに崩れていく音がした。
「抱き枕、いいでしょ?」
小悪魔みたいな声が、耳元で囁く。
「よくねぇ!」
即座に言い返したものの――
(よくねぇけど……振りほどけないのが問題だ)
心臓の鼓動が、優の呼吸と重なっていく。
その距離、ゼロ。空気が熱い。
――そのとき。
「優くんの部屋、こっちって聞いた!」
「写真はダメでも、挨拶だけ……!」
廊下の向こうから、みゆ&もえの声が響く。
近い。……まずい。
「電気、消すぞ。静かにしてろ」
部屋の灯りを落とす。
真っ暗。息遣いだけがやけに大きい。
ドアの前で足音が止まる。
小さなノック。
数秒の沈黙のあと、
「……あれ? いないみたいだね。残念」
「また明日、朝ごはんの時に話しかけよっか」
「うん、明日の朝が楽しみー」
そして、足音が遠ざかっていった。
(……助かった)
安堵した瞬間、優がふにゃっと俺の肩に頭を落とした。
髪が頬に触れ、甘い香りが鼻をくすぐる。
「……おい。寝るなら、向こう側で寝ろ」
返事はない。代わりに、規則正しい寝息。
腕に乗った体温が、じんわり重い。
(完全に俺の腕、枕じゃねぇか)
動かせない。動かしたくもない。
情けないほど、胸が鳴る。
(……寝れるかよ、こんなん)
天井の見えない暗闇で、時間だけが長く伸びていく。
まぶたを閉じても、優の横顔が焼き付いて消えない。
(理性、もたせろ。頼むから――)
朝。
カーテンの隙間から、薄い光。
俺の腕に顔を埋めたまま、優がぼそっと呟く。
「……おはよ、葵くん♡」
「……おはよ」
「昨日の夜、ちゃんと寝れた?」
「寝れるかよ、あんな状態で!」
優はクスッと笑いながら、長い髪を指でまとめた。
「ふふ、顔真っ赤〜」
「お前……絶対、わざとだろ」
「さあ、どうだろ?」
朝の支度をしながら、心臓はまだ落ち着かない。
このまま朝食会へ――そう考えるだけで、胃がキュッとした。
(……頼むから、今日は何も起きるな)
だがこのあと、俺は知ることになる。
“何も起きない朝”なんて、存在しないってことを。
お読みいただき、ありがとうございます。
6話ラスト直後の“部屋シーン”から、
理性ギリギリの夜→寝不足の朝までを描きました。
次回は朝食会。
みゆ&もえの暴走に加え、小嶋くんが初登場。
そして――“触れてはいけない手”が、優の心を震わせます。
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