影の微笑み ― 壊れた少女と嗤う男 ―
夜の街で交わる、ふたりの視線。
偶然か、それとも――必然か。
美香の口から語られる「壊れた家族の真実」。
そして、須藤の胸に刻まれる“名前”。
静かな夜に落ちた一滴の言葉が、
物語を大きく揺らしていく。
“始まりの夜”――それは、
誰かの過去を暴き、誰かの心を壊す夜だった。
水族館の外。
人々が帰り始め、館内の灯が一つずつ落ちていく。
優と葵が去った後、人気のない通路に立ち尽くす美香。
彼女はガラス越しに残る水槽の青い光を見つめながら、
小さく呟く。
「あの笑い方……腹が立つ。どうしてあの子だけ、幸せな顔して笑っているの。」
背後から、少し低い声がかかる。
「……あの人の知り合い?」
驚いて振り返ると、須藤が立っていた。
スーツのネクタイをゆるめ、どこか疲れたような顔。
だが、その目は、まるで“葵”の姿を追っているかのようだった。
「あの人のこと、知ってるんですか?」
須藤は一瞬、言葉に詰まった。
「……えっと。同期だけど。」
どこか戸惑いを含んだ声。
(“あの人”って……やっぱり葵のことだよな?)
美香はその反応を観察するように見つめ、
薄く笑みを浮かべた。
「仲がいいんですか?……あの人と?」
「……え?」
須藤がわずかに眉を寄せる。
短い沈黙のあと、美香がゆっくりと口を開いた。
「今から、お茶でもどうですか?」
夜風が二人の間をすり抜けていく。
その風はどこか冷たく、
まるで“新しい夜の始まり”を告げているようだった。
駅前のカフェ。
閉店間際の店内は、静かで人影もまばらだった。
窓際の席に並んで座る二人。
カップの中で、琥珀色の液体がゆらゆらと揺れている。
須藤は何も言わず、向かいの美香を見た。
彼女はスプーンを回す手を止め、
ふと、遠くを見るような目で呟いた。
「……あの子の母親のせいで、うちの家族は壊れたの。」
須藤は反応できず、黙って耳を傾けた。
その声には、怒りとも悲しみともつかない、
深く濁った感情の色が混ざっていた。
ゆっくりと顔を上げた美香の瞳に、
消えない憎しみの影が宿っている。
「……壊したい、ってこと?」
須藤の声は、自分でも驚くほど低く、静かだった。
「ええ。あの子の“平和な顔”を見るたびに、吐き気がするの。」
カップの中のコーヒーが、わずかに波打った。
美香の言葉は、氷のように冷たく落ちていく。
「――相馬、優。」
その名が静かに告げられた瞬間、
須藤の呼吸が止まった。
(……今、なんて言った?)
「あ……いば……ゆう?」
声にならない声が、喉の奥でかすれた。
彼の頭の中で、いくつもの記憶が交錯する。
入社当時、誰よりも優しく、
静かに周りを支えていた同期。
穏やかな笑顔。
繊細な心。
そして――“男”だと信じて疑わなかった、その存在。
(……優が、女……?)
さっき、葵の隣で微笑んでいた――
あの髪の長い、どこか儚げな女性の姿が脳裏に浮かぶ。
(まさか……あの人が、相馬 優……?)
思考が一瞬で崩れ落ちていく。
心臓の鼓動だけが、耳の奥で不規則に響いていた。
美香はそんな須藤を静かに見つめ、
薄い唇で微笑んだ。
「また……会えるかしら?」
その言葉に含まれた“意図”を、須藤はまだ理解できなかった。
だが、何かが確かに始まってしまった――
そんな予感だけが、夜の空気の中に重く残った。
カップの縁に残る美香の口紅の跡が、
まるで血のように赤く滲んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
美香の口からこぼれた名前――
「相馬 優」
須藤の中で、信じていた“同期のすぐる”という存在が
音を立てて崩れ落ちていきます。
それは、ただの驚きではなく、
心の奥で静かに燃え始めた“想い”の予感。
そして、美香の微笑み。
「また……会えるかしら?」
その一言が、次の波乱の幕を開けていきます。
夜はまだ終わらない。
優、葵、そして須藤――
三人の想いが交差し、物語は新たな段階へ。
「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブクマ&評価で応援してもらえると嬉しいです。




