朝起きたら家のロボット掃除機が女の子になっていたんだが
今から数ヶ月ほど前のことである。
日々残業を余儀なくされている限界サラリーマンの俺は、限りある休日をせめて有意義に過ごそうと、巷で流行りの〝ロボット掃除機〟なる家電製品を購入するに至った。
ロボット掃除機とは、いわゆるアレだ。
マンホールより二回りほど小型の円盤状で、進むごとに床のゴミやら埃やらを勝手に回収してくれるという実に近未来的でスマートな家電のことである。
しかも、購入したのは壁際に設置したステーションなるゴミ集約所に自ら戻ってくれる機能付きのニクいヤツ。
そうさ、コレ一台さえあればッ!
ただでさえ煩わしい掃除の手間を一挙に大幅に急激に減らすことができる、とッ!
もはや食い付かない理由はないだろう。
ただし、テレビCMでよく目にする有名メーカーの高性能最新機器などという高級品に手を出せるほど、薄給サラリーマンの俺に余裕などはなかった。
ゆえに堅焼きの煎餅のように平たい財布の中身で買えたのは、せいぜい11月のブラックフライデーで叩き売りされていた程度のシロモノだ。
どこぞのメーカーの何トカとかいう、いまだに製品名も型番さえも覚えられていない、いわゆるサードパーティ製のパチモンもどきなのである。
大手の高性能機に比べればちょーっと道に迷って右往左往して充電切れになったり、ほんの少しの段差を乗り越えようとしてタイヤが浮いて立ち往生していたり、これまた床に伸びたケーブルに絡まって身動きが取れなくなってしまったり、と。
遠目から見守っていないと何かと手を焼かせる困ったヤツなのだが、時が経った今ではソレも愛嬌の一つとして受け入れられている。
難は多くとも掃除はキチンとしてくれているからな。
健気に家の中を走り回っている姿を見ると、自然と心が和んでしまうのも仕方がないのだ。
今では俺の毎週末の癒し要素にもなっている。
さて、余談はこれくらいでいいだろう。
遅ればせながら本題に移らせていただこうか。
今朝、目が覚めたら。
家のロボット掃除機が女の子になっていた。
「…………は?」
何を言っているのか分からないと思うが、俺自身、この状況を正しく理解できているわけがなかろうて。
「ご主人、お仕事の依頼はまだですか?」
「イヤどういうことなのよ、コレ」
休みの日特有の気怠さに襲われながら、おもむろに寝室からリビングへと移動したときだった。
ふと、部屋の隅に設置したステーションの前に、黒髪ショートの小学生低学年くらいの女子が膝を抱えて座っているのが見えてしまったのである。
はじめは錯覚かと己の目を疑ったね。
それはもう目玉がポロッと取れるのではなかろうかというくらい入念に擦ってやったとも。
……残念ながら、本当にそこにいるらしい。
ジトーっとした目でこちらを見上げてきているのだ。
微かに唇を尖らせているあたり、どうやらかなりご機嫌斜めなご様子にも見えるのだが。
「えーっと、あの、キミはどこから入ってきたのかな? 迷子かそれとも新手の泥棒か」
「……何をおバカなことを」
まだ寝惚けているのかと頬をつねってみた。
すべからく痛い。
間違いなく幻覚でもないのだろう。
昨晩に玄関の鍵を閉め忘れたのかと己の記憶を疑ったが、さすがに日々の無意識ルーティーンをしくじるほど俺はうっかり屋さんではない。
もちろん窓もベランダも開け放つ習慣はないし、酒に酔って他人の子を連れ込むほど俺に度胸があるわけもない。
それこそふと沸いて現れ出てきた、という他に。
説明なんてできるわけがないよなァッ!?
「こっほん。いいですか」
「あ、はい」
「昨日も一昨日も、ルンはずっとここで待機をしていました。ご主人もご存知のはずです。〝週末はヨロシクな〟と気さくに話しかけてくれたではありませんか」
ルンと名乗る少女は不服そうに続けてくれた。
今なお頬をぷくーっと膨らませて拗ねていらっしゃる。
ああ、なんと奇遇なことだろうか。
俺はロボット掃除機に名前を付けている。
せめて気分だけでも高級な感じを出せないかと、最王手の機種名から拝借して、恐れ多くもルンと呼ばせていただいていたのである。
「え……あ、まさか。その、嘘だろ?」
「ご主人が何を動揺なさっているのかは知りませんが、ルンはお腹が空いているのです。早くお仕事をさせてくれないとエラーを吐き散らかします」
言うや否や、顔を赤くさせてブェーブェーと文句を垂れ始めたのである。
完全にいつも見ているロボット掃除機のエラー挙動のソレだった。
アイツは自分の思い通りにならないとすぐに赤いランプを点滅させやがるんだ。同時にやたら不快なビープ音を周囲に響かせることも特徴の一つと言えよう。
となると、まさか本当にこの子はロボット掃除機のルンなのか……!?
いやそれよりも掃除は食事という認識でいいのだろうか。
俺から抜け落ちた髪やら部屋の隅に溜まった埃やらを自ら進んで頬張っているのだと考えると……あー、コンプラ的にダメだなその絵面。
いかんいかん。
ついつい眉間にシワが寄ってしまう。
クセになると簡単には戻らなくなるのだ。
歳をとるというのも考えものである。
「とにかくですご主人。今日は真ん中ぐるぐるモードにしますか? それとも隅から隅へモードにしますか?」
「待ってくれ。まだ頭の理解が追いつ――」
「どちらにッ! するんですかッ!?」
おうふ。なるほど圧が強い。
どんな隙間にも果敢に攻めていくあの威勢の良さを、目の前の彼女から感じてしまったのである。
そうしてヤツは意気揚々と進んでいくわりに、ちょっとした隙間にビタハマりして、やがてはエラーを吐いて助けを求めるまでがワンセットなのだ。
その情けない姿を思い出して、内心ほっこりしてしまったのは今だけのナイショである。
「さぁご主人! 決めてください!」
「す、隅から隅へモードでお願いします」
「よろしい。承知しました。ピピピッ」
それは口で言うのかよ。
今のはきっとリモコン操作時の受信応答音なのだろう。ロボット掃除機は遠隔から操作することも可能だ。
ベッドの上からでも掃除の指示ができるからな。
俺もリモコンには大変お世話になっている。
彼女は満足げに立ち上がると、どこからともなく箒とチリトリを取り出した。おまけに謎にカッコいいポーズまでキメていらっしゃる。
シャキーンという効果音が空耳的に聞こえてきた気もするが、地味に反応に困るからそのドヤ顔はやめてほしい。
彼女はスタタと滑るように部屋の端へと移動すると、至極ご機嫌そうな顔で掃除を始めた。
その小さな手をわしゃわしゃと動かしては、丁寧かつ大胆にチリトリの中に埃を集めていく。
……ほう。思ったよりも手際がいいな。
集めたゴミを落とさないのが地味にテクい。
感心しながらも見守っていると、ちらりとこちらを振り返った彼女と目が合った。やはり変わらぬドヤ顔をしている。
「ふふふ。ルンはですね。お仕事の最中にご主人のお顔を眺めるのが何よりの楽しみなのですよ。ご主人がルンの仕事振りを見ているとき、ルンもまた、ご主人のお顔を見ているのです」
なんだそれ、深淵か。
フリードリヒ・ニーチェの翻訳文か。
俺は己の心の奥底に眠る欲望や恐れや悪を、週末にロボット掃除機を通して見つめ直しているということなのか。
確かに円盤状の機械が忙しなく働いている姿を見ていると、俺も社会の歯車の一つでしかないんだなぁと妙に甲斐甲斐しく感じてしまうことはあるのだが。
せめて心の闇より癒しを感じさせてくれよ。
ウチの物件、ペット不可なんだからさ。
……ロボット掃除機を飼うくらいイイだろ。
うおっほん。さてさて、どうやらリビングの入り口付近を掃除し終えたらしい彼女は、お次に最難関ポイントであるテレビ前へと移動しなさった。
ここは元来の狭さの他に、スマホの充電ケーブルやらヘアドライヤーの電源配線やら、多種多様なケーブル類が密集するジャングル地帯と化している高難易度エリアになっている。
普段のルンであれば備え付けの三方向ブラシにコレでもかというくらいにケーブルを巻き付けては自滅して、情けなく赤ランプで助けを訴えかけてくるのが常なのだが。
今日のヒトの身体を手に入れた彼女なら。
そうだ、もしかしたら……ッ!
この困難も簡単に乗り越えるのではなか――
「……ぶぇー。ぶぇー。助けてください。身動きができません。完全に絡まってしまいました」
――否、全然乗り越えられてなどいなかったッ。
ほんの少しの間目を離していた隙に、手足にも胴体にもぐるぐるにケーブルが巻き付いてしまっていたのである。
むしろどうやったらそんな姿になれるんだ。
捕えられた大泥棒でもここまでの簀巻きにされることはないだろうよ。
さてはこの場で砂漠のタンブルウィードごっこでもしていたか、あるいはワニが獲物に噛み付いたときに行うデスロールか。
……まったく手の掛かるヤツめ。
ルンらしいと言えば実にルンらしいのだが。
はぁ、仕方ない。
溜め息を吐きつつもいつものように介抱してやろうと近寄って手を伸ば――いや、俺よ、ちょっと待て。そしてキチンと未来を見据えて考えろ。
もし仮に彼女が本当にロボット掃除機のルンだったとして、だ。
今は小学生くらいの女児の姿をしているわけで。
水をそのまま跳ね返しそうなツルツルボディな柔肌に、この手で直に触れるというのは。
やはりコンプラ的にマズいのではないだろうか……?
簀巻き状態の彼女を横に、次にグルグルと腕にお縄に巻き付けられてしまうのは俺ではないのか……ッ!?
あぁ? なんだって?
手錠が唯一の着飾りアクセサリーになるだって?
うるせぇバカ野郎。チリと共に吸われてしまえ。
身を粉にして働くリーマンにお洒落なんぞあるか。
「ブェーブェー。早く助けてください。ブェー」
「わーった、分かったよ! 今助けてやるから」
何故俺がジト目で睨まれ続けているのかは皆目検討も付かないのだが、壁の薄いアパートの一室で女児に騒がれ続けても困る。
ほら、下手に近隣住民に通報でもされてみろ。
……どのみち結局は簀巻きになる選択肢しか残っていないじゃないか、畜生め。
そうこうしている間にも俺はついに腹を括って、彼女に絡まるケーブルを一本一本摘み上げてはなるべく優しく外してやることにした。
ああ、可哀想に。ただでさえ細い腕が熟成中のハムみたいに締め付けられてしまっている。
しかしながら何をどうやったらこんなにも複雑に身体中に絡めることができるのであろうか。
もはや新手の緊縛プレイか何かを楽しんでい――
「……んぁ……! ご主人。ルンの電源ボタンに触れないでください……っ」
「電源ボタンッ!? 逆にそれは今どこにッ!?」
そんな突起物全然見当たらなかったけどもッ!?
こ、この胸に誓わせてもらおう。
別に変なところを触ったつもりはない。
偶然どこかに触れてしまったとしても、しーらないっ。
……嘘だ、ただちに謝らせていただきたい。
何故こうもポンコツ機械もどき相手に気を遣わねばならないのか、小一時間ほど問い詰めたいところではあるのだが。
サラリーマンとして生きるか前科持ちの十字架を背負って生きるかの二択を迫られてしまっては、これはもう真摯に振る舞うしかなかろうて。
そもそもロボット掃除機がヒトの姿を得ておまけに自我まで持って、更には持ち主に対してグイグイと圧をかけてくること自体がおかしな話であるのだが……と、いや待てよ?
猪突猛進の化身と呼ぶべき存在が普段のルンなわけであるからして。
それこそ喧嘩上等のヤンキーよろしく、その小さな身体で果敢に何度もお掃除タックルをしかけてくる姿を思い返せば、やはりこの無駄なグイグイさも充分にあり得るのではないだろうか。
基本、ルンはぶつかるまで直進するからな。
そのために前面に緩衝用のバンパーも付いてるし。
ああそうか、なるほど。
今の彼女のバンパーは、その薄い身体で唯一微かな膨らみを主張する胸の双丘なのか――
「ご主人。掃除の邪魔です。どいてください」
「あっ。ごめんなさい」
そしてどうか足を蹴らないでください。
別にアナタのイジワルをしてるわけじゃないんです。
むしろテレビの配線ジャングルに再び首を突っ込まないよう、体を張って防衛線を築いてやってるんだわ。逆に感謝してもらいたいくらいだわ。
その他にもタオルの山やら書類の棚やら、トラブルが起こりそうなところへの動線はことごとく塞ぎつつ防ぎつつ遮りつつ。
同じところを四回も通ったり、ことあるごとに段差に蹴躓いたり、見ているだけで危なっかしい動作を幾度となく繰り返しながらも、ようやく我が家を一周できるかと安堵しかけた――そのときであった。
「…………ふわぁぁ。ご主人。ルンは疲れました。そろそろ充電が切れそうです。ステーションまで戻れそうにもありません。いつものように運んでください。抱っこで」
「ははは。もはや何を言われようと動揺せんよ」
抱っこくらいなんだ、はははは。
週末のお父さんならみんなやっているじゃないか。
今更女児に触れることに何のためらいがあろう。
「……であれば早く。はいブェーブェー」
「息をするようにエラー吐くなよ駄々っ子め」
溜め息を吐きたいのはこっちだ畜生め。
……ふっ。それにしても。
いつものように運んでくれ、か。
確かにウチのルンにはセルフ撤収機能がある。
けれども正しく機能したところは見たことがない。
残念ながら安物のパチモンだからな。
張り切って仕事をこなしているうちに家の中で迷子になって、やがては途中で力尽きて止まっていることが少なくないのである。
まして普段のルート上にないソファの下に突然入り込んでは、ここがホームだと言わんばかりに全く出てこなくなったりもするからな。
赤外線センサーの有無を疑いたくなるほどにルンは帰り下手と言えよう。
……それもまた愛嬌の一つとも言えるのだが。
途中で力尽きてしまう哀れさを、残業続きの自分自身と重ね合わせては、自ずと奇妙な連帯感も芽生えてきてしまうわけで。
俺は頑張るヤツは嫌いじゃないのさ。
いつかは報われるって信じさせてくれよ。
「ふわぁぁ……ぁふ……今日もイイ仕事をしたのです。ほら見てくださいな。お部屋の中がピッカピカになりましたよ……」
「ああ、そうだな。よいしょっと」
両腕で抱え上げた彼女は、思いのほか軽かった。
せいぜい2リットルのペットボトル2本分か。
はたまた9ポンドのボウリングのボールか。
確か小型のスイカも4kgほどだったはずだ。
彼女は俺の腕の中でもう一度大きなあくびを浮かべると、安心したように静かに目を閉じて身を委ねてくれた。
確かにどんなポンコツ具合であっても、掃除だけはキチンとやってくれるのがルンなのだ。
だからこそ俺は毎週末に必ず起動するようにしているし、その仕事ぶりを最後まで見届けてやりたいとも思っている。
……そう、だな。認めよう。
やはりこの子はあのルンなのだろう。
神様のほんの気まぐれで、独り身の俺に一雫の温もりを与えてくれたのかもしれないな。
そう思えばより一層愛らしく思えてくるものさ。
元いたステーションの前までルンを運んでやると、彼女はそれを背もたれにしながらまた膝を抱えるように座って、朝見た姿と全く同じ姿勢になった。
唯一今朝と異なっているのは、今はとても疲れた顔をしていて、それでいて達成感に満ち溢れたような表情になっていることだろうか。
しばらくは小さくブェーブェーとエラー音を吐いていたが、そのうちに大人しくなった。今はもうこっくりこっくりと首を揺らして船を漕いでいらっしゃる。
機械の身体であれば天面のランプをオレンジ色に光らせて充電モードに切り替わっている頃合いだろう。
ふと、薄目を開けたルンが俺を見上げては、ふにゃりと柔らかく笑った。
「…………おやすみなさい、ご主人」
「ああ。ご苦労様。今日も助かったよ」
「ふふふ。ルンは仕事……熱心……なのれすから」
もはや完全に舌が回っていない。
そのうちに、完全に目を閉じて。
ゆっくりとステーションに背を預けて動かなくなる。
おそらくスリープモードに移行したのであろう。
スピースピーという可愛らしい寝息が聞こえてきたからすぐに分かったぜ。
そんな疲労困憊な彼女を見ているうちに、俺も日頃の疲れが出てきてしまったのだろうか。
急にまた眠気が襲ってきてしまったのである。
だが、幸いにも今日は土曜日だ。
二度寝したところで小言を言われる相手もいない。
すやすやと眠り呆けている彼女を邪魔するのも気が引けるからな。
なるべく物音を立てないようにして寝室へと戻る。
ルンのおかげでピカピカになった部屋を見渡すだけで、気分もすーっと晴れていくような気がする。
ふっ。今日は気持ちよく二度寝ができそうだ。
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――――
――
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次に俺が目を覚ましたとき。
リビングのルンはいつもの機械の姿に戻っていた。
……きっと長い夢でも見ていたのだろう。
しかしながら心なしか昨晩よりも部屋がキレイな気がしたのは、俺の記憶違いか、はたまた勘違いか。
もしかしたら寝ている間に、誰かがひっそりと仕事をしてくれていたのかもしれないな。
部屋の隅っこで静かに待機しているロボット掃除機をもう一度目に映して、すぐそばにまで近寄ってみる。
チョンと足で小突いてやると、赤外線センサーが検知したのか、ルンはピロリと音で反応してくれた。
〝ご主人、お仕事の依頼はまだですか?〟
夢の中で見た彼女がそんなふうに尋ねてきているような気がして、くすりと微笑みをこぼしてしまったのはココだけのナイショだ。