最初の分岐、そして違和感
旅立ちの朝。
俺たちは、村の東門に集まっていた。
勇者とその仲間たち、そして俺。
見送りに来た村人たちは、まるで舞台の観客のように笑みを浮かべていた。
「お気をつけて、勇者さま」
「世界の平和を、どうか……!」
同じセリフが、まったく同じ抑揚で繰り返される。
顔も、仕草も、息遣いすら、昨日見たままの映像のようだった。
風が吹く。草が揺れる。空は青い。
だが、それすらも“書かれていた”ように思えてならなかった。
何もかもが完璧すぎる。違和感がじわじわと胸を浸食していく。
旅の初日は、森を抜けるルートだった。
勇者は剣を携え、先頭を進む。俺はその後ろ。
仲間たち――僧侶、弓使い、魔法使い。全員が揃っている。典型的なパーティ構成だ。
そして、最初の戦闘が始まった。
「敵、接近!」
魔法使いが叫ぶ。前方の茂みから、狼型の魔物が現れた。
だが、俺は知っていた。
それがどこから出てくるのか、何体なのか、どの順で動くのか――
なぜなら“それは決まっていること”だからだ。
俺は剣を抜く。勝手に身体が動く。
敵の動きも、自分の攻撃も、“成功するように”できている。
「はっ!」
一閃。斬撃。狼が倒れる。
手応えは、ある。だが実感がない。
血が噴き出しても、俺の心は何も動かなかった。
それでも勇者は笑顔だった。
「やるな。さすが、選ばれし案内人」
俺は、その言葉にただうなずいた。
……演じさせられている。
台本通りのセリフ。台本通りの勝利。
ここには“苦悩”も“迷い”も存在しない。
俺の思考は、ますます透明になっていく。
その夜、森の中で野営をした。
仲間たちは笑いながら焚き火を囲む。俺は少し離れた場所で、ひとり横になった。
月が、濁った光を落としている。
……そのとき、気配があった。
夢と現の狭間。声が聞こえた。
「ねぇ、君……空っぽになってきてるよ」
振り向くと、そこにリセがいた。
あの少女。
村の片隅で、唯一“流れに抗っていた”存在。
「どうして……お前がここに」
「どうしてって、君が呼んだんだよ」
彼女は少し微笑む。優しさとも、皮肉ともつかない表情だった。
「思い出して。君は最初、疑ってた。何かがおかしいって」
リセの声が、耳ではなく、心の奥に染み込んでくる。
「でも、今は? ただの駒になりかけてる。忘れてしまったの? “あの言葉”を」
「……あの言葉?」
脳の奥が、きしむ。思い出そうとしても、記憶が空白になっている。
なぜだ。何を、俺は、忘れて――
「思い出したら、きっとまた、君は“自分の選択”を取り戻せる」
そう言って、リセはゆっくりと後ろに下がっていく。
「次に出会うとき、少しはマシな君でいてね」
その言葉と共に、彼女の姿は霧の中に消えた。
翌朝、目を覚ました俺は、周囲の静けさに気づく。
みんなはまだ寝ていた。だが、俺の思考だけは騒がしかった。
昨日の戦闘。俺は剣を抜くより先に、“どこに敵がいるか”を正確に知っていた。
なぜそんなことが可能なのか。
……いや、そうじゃない。
俺は“知っていた”のではない。
“既に体験していた”。
これは、一度通った道筋。
俺の中に、“ルートの情報”が焼きついている。
繰り返し。演算。再演。
だとすれば。
どこかに“違うルート”があるのではないか?
「……なら、少しだけ逸れてみようか」
そのとき、わずかに風の流れが変わった気がした。
空の青さが、少しだけ揺らいだように見えた。
俺は静かに立ち上がる。
“物語の駒”としての旅路。
だが、この物語に、微かな“ずれ”を生じさせてみよう。
それが破滅か、それとも自由かは、まだ分からない。
けれど、俺は今――ようやく、“選びたい”と思った。