92 「まほうはすげえんだ」
アナベル様のベッドの近くにフレッド君が座り、二人が楽し気におしゃべりしている。
大人たちは離れた場所に座って、黙って子供二人の会話を聞いているところだ。
「あら、このペンギンには触れないのね」
「うん。それがざんねんなんだ」
「あなたは何歳? 子供の魔法使いなの?」
「五さい。まだまほうつかいの……でし? オレのししょうはニナだ。ニナはおれのかあちゃんで、レクスがとうちゃん」
「ふうん」
「ほんとうのかあちゃんはいなくなっちゃったけどな」
「あ……ごめんなさい」
「きにすんなよ。オレもきにしてない」
そこからフレッド君がアシャール城の話、城にかけられていた魔法の話、スパイクさんとクローディアさんがかっこいい魔法使いであることなどを自慢げに話した。
「そう。魔法が使えるのは素敵なことなのかもね」
「かも、じゃねえ。ステキだ」
「ふふ。フレッドはどこも変わってないのね。スパイクさんもクローディアさんもニナさんも変わってない。おばあさまは嘘を言っていたのね」
「んー、めのいろがかわったひとはいるな。ニナだって……」
そこでフレッド君が口を閉じた。(うわわ)と思っている私を、レクスさんがチラリと目の端で見た。おそらく羽のことを師匠から聞いているであろうスパイクさんとクローディアさんは微動だにしない。
「ニナさんが? どうかしたの?」
「んー。なんでもない」
「私でしたら」
私は覚悟を決めて立ち上がった。
「私はおばあ様がおっしゃったように羽が生えました。アナベル様と同じ十三歳のときのことです。今も羽を生やそうと思えば生やせます。完全にコントロールできているので、羽のことはなんの問題もありませんよ、アナベル様」
侯爵ご夫妻とベンジャミン君が目を丸くして私を見ている。アナベル様がおずおずと質問した。
「本当、なの?」
「ええ。私の羽は半透明ですが、かなり大きな羽です」
「ここで見せてもらえる?」
「はい」
あの火事の時以来だけど、この少女が生きる気力のきっかけになるなら見せるよ。アナベル様に自信を持ってほしい。羽をコントロールできると知って安心してほしい。
私はアナベル様に背中が見えるように立ち、羽をイメージした。
「はっ」と声なき声をたてたのはアナベル様だけではなかった。侯爵ご夫妻もベンジャミン君も仰天している。それ以外の人は静かに私の羽を見ている。
「羽を動かして飛ぶこともできます。知らない人が見たら驚くでしょうから、人前では羽を出さないようにしています」
「アーネストビルディングの火事! あれ、ニナさんだったの? 集団の幻覚じゃなかったんだ!」
ベンジャミン君が驚きの声を上げた。
「ええ、あの日目撃されたのは私です。この羽のおかげで多くの命を救えたこと、私は誇りに思っています」
「お願い、私にその羽をもっとよく見せて」
「はい。お好きなだけ」
私の心臓はドックンドックンと暴れているけれど、ニコニコしながらアナベル様に近寄った。
「きれい……。触ってもいいの?」
「どうぞ」
アナベル様は結構長い時間私の羽を触ってから私を見た。
「羽を怖がらなくても、いいのね?」
「完全にコントロールできますから。怖がらなくても大丈夫です。不特定多数の人に見せて騒がれたくないので、夜でよろしければ空を飛ぶところもお見せします。アナベル様もきっと、コントロールできるようになりますよ。コントロールできれば、もう眠っている間に黒い子供を出すこともなくなるのではないかと思っています」
「あっ! ニナはオレをだっこでとんでくれるやくそくしてた!」
「そういえば約束をしたわね。今度の新月の夜に飛んでみる?」
「うん!」
「私も飛んでみたい」
侯爵様ご夫妻を見ると、困惑したお顔だ。大切なお嬢さんが空を飛ぶのは不安でしょうね。
「次の新月は九月十七日か十八日になるので、一週間後ですから……いつか機会があれば飛ぶところをお見せします」
「ニナ、それまで我が家に滞在してもらえるかい? アナベルの相談に乗ってほしいのだが」
侯爵様のお言葉に(公園の仕事が……)と思ってスパイクさんを見ると、スパイクさんは左右の手を胸の前で交互に重ねる動きをした。「報酬を上乗せするから引き受けなさい」という意味だね?
「お引き受けします。レクスさんとフレッド君は家族なので、彼らも一緒でもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
スパイクさんとクローディアさん、ベンジャミン君は帰ることになり、私たちは残った。
アナベル様は自分から羽を見せようとはしない。見せるのが怖いんだと思う。十三歳の私も怖かった。だからアナベル様の恐怖が解けるように、楽しい魔法の話題に終始した。
フレッド君はペンペンを出してアナベル様を笑わせ、玉ねぎ人形の勇者を動かして感嘆させ、植物成長魔法を披露して拍手を貰っていた。
私とレクスさんは二人を見守っている。私は要求に応えるだけにして、アナベル様を急かさない。
一週間後、新月の夜がきた。
侯爵ご夫妻、アナベル様、レクスさんが見守る前で私は羽を生やした。ランプの光を浴びて、私の羽は銀色に光って見える。
「すっげえきれいだぜ」
「ありがとう、フレッド君。ではアナベル様、フレッド君を抱いて飛びます。見ていてくださいね」
フレッド君を抱き上げ、私の首に抱きつかせた。
羽を広げて飛ぶイメージを思い浮かべる。羽がゆっくり羽ばたいて、私とフレッド君は三階のバルコニーからふわりと飛び上がった。
上へ上へ。上昇し続けると、周囲の空気がどんどん冷えてくる。
「寒くない?」
「さむくない! オレ、ゆめみてるみたい!」
「夢じゃないわ。これが私の能力よ」
「かっこいいぜ! すげえよ!」
「ありがとう」
螺旋を描きながらゆっくり夜空を下降し、元のバルコニーに下りた。アナベル様の目がキラキラしている。
「ニナさん、私も飛べるの?」
「飛べると思いますよ。怖かったら私が抱いて飛びましょうか?」
「お父様、お母様、私も羽をはやして飛びたいの。私に羽が生えても、私を嫌わないでくれますか?」
侯爵夫人が泣き顔でアナベル様を抱きしめた。
「我が子を嫌う親なんていないわ。アナベルの羽を、私にも見せてくれる?」
「お前は自慢の娘だ。嫌ったりするものか」
アナベル様の目からツッと涙がこぼれ落ちた。
「よかった……。私、嫌われて捨てられるんだとばかり思っていました」
アナベル様が指先で涙を拭った。深呼吸を一回すると、アナベル様の背中に黒いアゲハチョウそっくりの大きな羽が生えた。
「かっこいいはねだ!」
「かっこいいわね」
「きれいな羽よ、アナベル」
「天使みたいだ」
アナベル様はまた涙を流した。レクスさんは少し離れた場所から全員を見ている。侯爵夫人にハンカチで涙を拭かれて、照れ臭そうに笑うアナベル様。
「ニナさん、どうすれば飛べるの?」
「空を飛んでいる自分を想像するだけです。念のために私と手をつないでいただけますか?」
「ええ。お父様、お母様、飛んでもいいですか?」
そう問われて侯爵様ご夫妻がゆっくりうなずいた。
手をつないでアナベル様が飛ぶのを待った。黒い羽が二度、三度開いたり閉じたりしたあとで、アナベル様が浮かび上がった。すかさず私も同調する。二人でバルコニーの手すりを超えて、新月の夜空に飛び出した。
アナベル様は飛びながら何度も「なんて気持ちがいいの」と繰り返している。
「気持ちいいですよね。怖くないでしょう?」
「ええ! こんなに楽しいことなのに怖がって飛ばなかったなんて。もったいないことをしたわ」
「これからいくらでも飛べますよ」
アナベル様は笑って、「そうよね。生きていれば好きなだけ飛べるわね」と言う。私たちは侯爵家の広い敷地の上を高く低く飛び回った。
私が「そろそろ戻りましょう。ご両親が心配します」と言うと、アナベル様は手をつないだまま私と一緒にお屋敷を目指した。
バルコニーにふわりと音もなく着地して、アナベル様がフレッド君に笑いかけた。
「すっごく楽しかった! 魔法って素晴らしいわね!」
「だろ? まほうはすげえんだよ」
フレッド君が自慢げな顔で答えて、アナベル様が楽しそうに笑う。
二人のやり取りを見ていた大人たちは皆、泣き笑いになった。





