86 満月の夜露と玉ねぎの皮
レクスさんは金色の杭に刻まれていた内容を全て解読し、エルノーブル国の言葉に書き直して魔法協会に提出した。
あの杭には三つの呪文が刻まれていた。
第一は、魔力を多く持つ者から少ない魔力量の者へ魔力が移動する呪文。
第二は、土地と家を包み込むようにかけられた魔法が勝手に解除されないための防御魔法の呪文。
第三は、かけた魔法に終わりがない、という指定。つまり高魔力保持者である両親の命が尽きても作用し続けるという指定だ。
スパイクさんは「危険ではあるが貴重な魔法なので魔法協会で保管します。使い方によっては有用な魔法です」と言っていた。きっとスパイクさんなら習得できるだろう。
少しの羨ましさと大きな憧れを胸の中に押し込んで、私はフレッド君に玉ねぎの皮の人形の動かし方を教えている。
「まず心の中でお姫様をイメージして、玉ねぎの皮を人形の形にするの」
「オレ、おひめさまよりゆうしゃがいい」
「いいわよ。じゃあ、フレッド君は勇者を……」
言っている途中で玉ねぎの皮が魔法でクシャクシャと折りたたまれ、逆三角形の上半身を持つ人間の形になった。この子は造形のセンスがあるわ。
台所に積んである新聞紙をビリリと破いてそっとテーブルの上に置いた。「これを剣にするといいわ」と言うと、フレッド君は右手で玉ねぎ人形を自立させたまま左手の魔法で新聞紙の剣を作った。(おお、両手同時の操作が最初からできるんだ?)と感心してしまう。
玉ねぎ勇者が新聞紙の剣を拾う。小さな勇者は右に左にと剣を振り抜く。玉ねぎ勇者の動きが滑らかで完璧だ。すごいなあ。
「フレッド君、あなたはきっと素晴らしい魔法使いになるわ。繊細な魔法ができるって、すごいことなの」
「ふうん。かあちゃんはオレのまほう、こわがってたぞ?」
「魔法だと知らなかったからよ。人間は知らないものを怖がるの。それは理屈じゃないのよ」
身を守るための本能だから仕方ない。私だって記憶を見る力は歓迎されているけど、あの羽を見せたらどんな反応をされることか。
「そうだ、満月の夜露を使ってみる? 魔法がもっとうまく使えるようになると思う」
「つかう!」
私の部屋から夜露が詰まっている瓶を持ってきて、フレッド君の両手に一滴ずつ垂らした。フレッド君が椅子に座って、ピアノを弾くみたいに両手を胸の前で持ち上げた。すると、玉ねぎの勇者は右手に剣を持ったまま、後ろに向かって二回続けて宙返りをした。
「わ! すげえ! おもったとおりにうごく!」
「あはは。本当にすごいわ」
興奮したフレッド君がテーブルの上に置いてあった塩入れの小さな壺へと玉ねぎ勇者を動かすと、勇者が壺の蓋の摘みに左手をかけて持ち上げた。
えっ? と驚いて見ていると小さな勇者は直径五センチほどの蓋を盾にして剣を使い、見えない敵と戦っている。
フレッド君は知らないだろうけれど、玉ねぎ勇者本体よりもずっと重い陶器の蓋を持ち上げさせて動かすのは、大変に繊細な魔力配分が必要になる。
私は魔力がないから経験もないけれど、こんな高度なことを無自覚に操作できるのはとんでもないことな気がする。私は愕然としながら玉ねぎ勇者の動きを眺めた。
しばらく玉ねぎ勇者で遊んでいたフレッド君がパタリと両手を下ろし、玉ねぎ勇者は盾を手放して仰向けに倒れた。
「つかれた」
「魔力を使いすぎたのね。横になって。お昼ご飯を食べるまでは、もう魔法は使わないほうがいいわ」
フレッド君を居間に連れていって長椅子に寝かせた。すぐに眠ってしまったのを確認して、レクスさんの部屋に向かう。
「私はそろそろ公園に行く時間なんですけど、フレッド君が疲れて眠っているの。できればそばに居てほしいです」
「わかった。僕のベッドに寝かそう。それとニナ、これ」
差し出された本を受け取った。タイトルは『僕が愛した魔女』だ。わざと羊皮紙に見えるように印刷した表紙で、中をパラパラとめくると白黒の挿絵が入っている。
満月が浮かぶ夜空を背景に、白っぽいローブを着た魔女が微笑みを浮かべながら夜露を集めている。
次の挿絵は精霊の力を借りて枯れ野原に手前から向こうへと花を咲かせている挿絵だ。
「ニナのことは書いていないよ。でも、現代にも魔法使いはいて、ひっそりと人々の役に立っているという話なんだ」
「今回は恋愛小説じゃないんですね」
「いや……恋愛小説でもある。少しだけ僕に似た人物が出てくる。でも安心して。僕たちのことだとバレるようなことは何も書いていないから。そのくらいの配慮はしているよ」
「レクスさんはともかく、私は無名なので気づかれません。売れるといいですね」
レクスさんが黙って机から今日の新聞を手に取り、文芸のコーナーを私に見せてくれた。そこには大きな文字で『人気恋愛小説家 ローズ・モンゴメリーの新作!』と見出しが書かれている。その下には『絶大な人気を誇るローズ・モンゴメリーの久々の新作。現代に生きる魔女と小説家の恋愛を主軸に、絶滅しかかっている魔法使いたちの活躍をリアルに描き……』
「記憶を見られる魔法には触れていないよ。魔法については僕の想像力で補った。枯れそうな草花を元気にして花を咲かせたり、手を使わずに魔法で物を動かしたりという古典的なイメージで書いた」
それ実際にある魔法だわ、とニヤニヤしてしまった。
「ウィリアムから電話が来てね。予約が相次いでいるそうなんだ」
「よかったですねえ」
「二巻も出ることが編集部で決まったそうだよ。一巻の発売前なのに編集部は勇気があるよ。それで、その……。これからも君がフレッドに魔法を教える場面を見学させてほしいんだけど、いいかな」
「ええ。魔法使いにいい印象を持ってもらえるように書いてくれると嬉しいです」
「もちろんそうするさ。どれ、フレッドを連れてくる」
レクスさんがフレッド君を自分のベッドまで運ぶのを見届けて、私は出かける準備を始めた。
最近、出勤すると五人以上のお客さんが待っている。噂を聞いてきた人や、お客さんの紹介で知ったという人が増えているのだ。公園で待たせるのは気が引けるから、私の名前と時刻を書いた紙を渡して「この頃にまた来てください」と伝えている。
この私が整理券を出すなんて不思議な感じ。コリンヌさんは「料金を二倍にして、どこかに部屋を借りたほうがいいよ。そうすれば雨の日も働けるじゃないの」と言う。しかも、子爵夫人が『キッドマン子爵家推薦』と宣伝していいとおっしゃったそうだ。
料金を値上げしようかな。狭い部屋でいいから借りて、待合室に椅子を用意すればいいか。
私の人生を本に例えるなら、モーダル村で修業して全敗していた頃が第一章、パロムシティに来てからの濃い日々は第二章。魔法協会の王室担当者になって場所を構えるところからは第三章って感じかな。
窓の外を見ると、ジェシカさんが糸杉の小道を歩いてくる。次のバスで私も出勤しよう。
私は大きなバッグに「占い・失せ物探し」の小さな看板を入れた。
完結っぽい文章で締めましたが、まだ続きます。