82 エドの記憶
エドの手から彼の記憶が流れ込んでくる。メイリーンの出奔は二十年以上前のことだから、新しい記憶は飛ばして、十代の少女を目印にして探した。
見つけた。メイリーンはふんわりしたこげ茶の髪を下ろしていて、丸顔の愛らしい顔立ちだ。
二人で手をつないで歩き通していて、彼女が嫌々行動している様子はない。
農家の納屋で寝起きして、藁の寝床で笑っている。
エドとメイリーンは農家の手伝いをして手間賃を稼ぎ、収穫した野菜の一部を貰って外の竈で煮炊きをして食事をしている。極貧と言えるような暮らしだけれど、メイリーンは楽しそうだ。
「私のせいでお屋敷の仕事を捨てさせちゃったわね」
「俺は今の暮らしの方が楽しいよ」
そんな会話が何度も繰り返される。楽し気なメイリーンの表情が曇るのは、師匠の緑色の小鳥が現れる時だけだ。
『メイリーン! 聞こえているんだろう? 返事をしておくれ!』
知らせの鳥が現れると、メイリーンとエドは声を出さず動かない。知らせの鳥は距離がありすぎると目を使えず、明るいか暗いかくらいしかわからないからだ。
どうしてメイリーンは無事なことだけでも伝えなかったのか。師匠がどれほど心配するかがわかる年齢なのに。記憶を見ながら理解できなかった。エドがメイリーンに話しかけている。
「メイリーン、師匠に返事をしなくていいのか?」
「いい。私はどうしても魔法使いになりたかったわけじゃない。お父さんから逃げられればそれでよかった。今はエドと暮らせればいいの」
魔力を持っていて魔法が使えるのに、メイリーンは魔法使いへの道を手放すことにためらいがない。あっさりと私の夢だった道を捨てている。私はあんなに頑張っても手に入れられなかったことなのに……。
同じような貧しい暮らしの場面が繰り返された先に、メイリーンが寝込んでいる記憶があった。
メイリーンは熱で潤んだ目をエドに向けている。唇が紫色だ。エドが「師匠に助けてもらおう」と言うが、メイリーンは首を振る。
「私、今が幸せ。エドと暮らせて、お父さんにも殴られない。また魔法薬を作って飲むから心配しないで」
「師匠は優しかったんだろう?」
「うん。でも、師匠のところに戻ったらエドと暮らせないもの。一日だってエドと離れたくない」
そう答えているメイリーンは、まさか自分が死ぬとは思っていないのだろう。質の悪い風邪を乗り越えられると思っているのだ。そしてそれは年若いエドも同じだったと思われる。でも、体が弱っている時に魔法薬を作ったところで、その質は著しく落ちるのだ。
メイリーンはその会話のあとで意識を失い、あっという間に息を引き取ってしまった。
人は肺炎になると急激に弱る。十五歳で師匠の家を飛び出したメイリーンに、その知識があったかどうか。
その先はエドの言った通りだった。夜中に墓地の端に自分で穴を掘って、エドがメイリーンを埋めている。墓守にお金を渡している場面もある。そこまで見て、私はエドの手を放した。
「エドさんは嘘をついていません。メイリーンさんは父親から逃げるために自分の意思で修業先を飛び出し、このランドールで病死しています」
「ふむ。少女の父親のことを調べなければ。父親が死亡していれば殺人だ。殺人に時効はないからな。エド、一緒に来てもらおう」
エドは連行され、私はマクシミリアン様にお礼を言われた。
「ニナ、ありがとう。エドは真面目な従業員だったんだよ。正直ショックだが、真相がわかってよかった。それにしてもレクス……」
「ニナの能力のことを隠していたのは悪かったと思っています。でも兄さんは魔法も魔法使いも信じていなかったから」
「そうだね。まさか現代に魔法使いが残っているとは思わなかった」
私はフレッド君が気になっていたので立ち上がった。メイリーンのことを一刻も早く師匠に報告したい。
「リリーさんのお部屋はどちらでしょうか。フレッド君を迎えに行きます」
「私が案内しよう」
マクシミリアン様に導かれて着いたのは、ホテルから少し離れた松林の中の二階建ての家だ。その家の背後に並んでいる二階建ての集合住宅は従業員用だろう。
大人しくしていたかなと心配しながら居間に入ると、居間が大盛り上がりだった。
あらぁ。室内でペンペンがクルクルと回りながら飛んでいる。
「あっ、ニナ! レクス、おかえり」
「フレッド、ペンペンはもうだいぶ飛んだのかな?」
「うん」
「じゃあ、もうペンペンをしまいなさい。長く飛ばしていると体によくないよ」
「わかった」
初めて知らせの鳥を見たであろうマクシミリアン様が絶句している。しかもペンギンだから驚くよね。リリーさんが慌てて私たちに謝罪した。
「フレッド君に魔法を使わせることが負担になるとは知らなくて。私の責任です。レクスさん、ニナさん、ごめんなさい」
「オレがみせたかったんだ……です」
「具合が良さそうだから、今回は大丈夫よね。フレッド君、部屋に帰ろうか」
「うん」
部屋を出ようとしたところでエミリーちゃんが駆け寄ってきた。
「フレッド君、嘘って言ってごめんなさい」
「いいぜ、きにすんな。じゃあな」
ドアを閉めてからレクスさんが「ふふっ」と笑った。つられて私も笑った。メイリーンのことで沈んでいた気持ちが少し明るくなった。部屋に戻ってからフレッド君に聞いてみた。
「まだペンペンを出せるかな。師匠に連絡したいことがあるの。つらかったら明日にするけど」
そう尋ねると、フレッド君は返事の代わりにペンペンを出して師匠のところに送り、代わりに緑の小鳥が現れた。
『どうだった?』
「エドの記憶を見ました。メイリーンの失踪は連れ去りではありません。自らエドと家を出ています。ですが……メイリーンは師匠の家を出て三年後に病死していました。お墓もこの近くにあります。メイリーンとエドは想い合っていました」
『そうか。想い合っていたのか。気づかなかった私が……。今さら後悔したところで、か』
「いえ、メイリーンはエドと暮らしてから気持ちが動いたような気がします。師匠にはなんの責任もありません。今度詳しく事情を書いた手紙を書きます」
『そこはラグダールのホテルと言ったね? いつまでいるんだい?』
レクスさんが私に代わって返事をした。
「あと三日ほどはここに滞在しています」
『わかったよ。旅行を楽しんでおいで。報告をありがとう』
師匠の鳥は消えて、フレッド君は眠そうだ。
私が驚いたのは翌日だ。クローディアさんが運転する車に乗って、師匠が登場した。クローディアさんは「妹弟子の墓参りを私もしたかったのよ。夜通し車を走らせて来ちゃった」と微笑んでいる。
「メイリーンに魔法使いの葬送をしてやりたいんだ。墓まで案内してくれるかい?」
お墓の場所をレクスさんが聞きに走り、マクシミリアン様一家を連れて戻ってきた。リリーさんも支配人の妻としてお墓参りに同行すると言う。
全員で向かった墓地で、私は胸が痛んだ。本来の墓地の奥に、丸い石、四角い岩がいくつも並んでいる。この下にはきっと、埋葬料も出せない貧しい人たちが眠っているのだろう。どれにも名前を示すものはなく、途方に暮れていたら声をかけられた。
「誰の墓をお探しですか」
草むしりをしていたらしい老人が抜いた草をいれカゴを片手に話しかけてきて、師匠が丁寧な口調で応えた。
「メイリーンという娘のお墓なんですが、わかりますか?」
「それなら奥から四番目の、丸い石がそうだよ。その人の旦那が今もしょっちゅう墓参りに来ている」
老人が立ち去るのを待って師匠とクローディアさんが片膝をつき、右手で土に触れた。私たちはその二人を囲むように立った。