76 師匠とおしゃべり
「城の件は本当に申し訳なかった。ニナ、ごめんよ」
「もういいんですってば。万事うまく回っていますから」
「それはニナの誠実な人柄のおかげだね。よかったねえ、よさそうな男じゃないか」
「レクスはぶきようだけどいいおとこだぜ」
「お前もいい男だよ、フレッド」
「へへへ」
師匠とフレッド君は台所に座って話をしている。
師匠はおそらく、私が一人で料理を作っているのに気を使っているのだ。大雑把でいて、そういう思いやりを忘れない人だからね。
「フレッドは魔法使いになりたいんだろう?」
「なりたい! スパイクみたいになりたい。スパイクはかっこいいぜ!」
「そうだね。スパイクは凄腕の魔法使いだよ。だけど威張らない。すごい魔法使いでも、ダメな人間はいるんだ。そこを間違えないように気を付けな」
「んー、よくわかんないけどがんばる」
「ニナは基本の魔法を全部知っている。これから少しずつ教わるといい」
「うん!」
師匠はフレッド君の前で小さな魔法を次々に披露している。庭で摘んできた小さな野の花の色を白から青に変えて驚かせ、天井を見上げて「あのヤモリを見ていてごらん」と言って魔法をかけ、自分の手のひらに乗るよう命じてフレッド君に「すっげえ! オレのてにも!」と叫ばせている。
ヤモリはフレッド君の手のひらに移動し、黒いつぶらな瞳でフレッド君を見上げている。
「こわくないぞ。オレはいいまほうつかいだからな」
そう話しかけている横顔が真剣で、しみじみこの子は可愛いなあと胸打たれてしまう。
フレッド君はたぶん、すごくかっこいい若者に成長する。貴族に見える顔立ちで凄腕の魔法使いになったら、女性が群がるんだろうなあ。玉ねぎの皮をむきながら、ちょっと胸がキリッとする。
母親じゃない私が(気立てのいい娘さんと仲良くね。性格が悪い女の人に騙されないでね)などと思ってしまうのだから、おなかで育てて命がけで産んだ母親なら、その心配はこんなものではないだろう。
息子のお嫁さんとギスギスする気持ちに賛同はしないけど、その心情は少しわかる気がした。
以前は占いという形で嫁姑のもめごとを相談されると、嫁の立場で考えがちだった。だけど今はお姑さんの気持ちが小指の先くらいはわかる。
何事も経験したりその立場に立って初めてわかることって、ある。
フレッド君の歓声がひときわ大きくなったから振り返ると、師匠は玉ねぎの皮で身長五センチくらいの人形を作って動かしていた。人形は薄い茶色のドレスを着て、テーブルの上でクルクルと回ったり手足を伸ばしてポーズを取ったりしている。目鼻がなくともその繊細な動きは人間のようだ。
そういえば私も子供の頃、この魔法が大好きだったなと思い出した。
「その魔法、懐かしいです」
「ニナは泣かない子供だった。リリアやマールに『そういう子供こそ愛情が必要だ』と言われてね。この魔法を見せると楽しそうに笑うから、毎日毎日この魔法でニナを笑わせたものだよ」
リリアさんとマールさんは、私にとって母親だった。師匠は父親寄りの母親だった。
師匠は子供の世話など苦手だったろうに、三才の私をよく育ててくれたと思う。師匠が作って動かしてくれた玉ねぎの皮の人形、小枝で作った小さな犬や猫は、今でも幸せな記憶として心に刻まれている。
「明日、マイヨールの娘のところに行こうか。それに立ち会ってからモーダル村に帰るよ」
「もう帰っちゃうんですか……」
「帰るよ。レクスと仲良く暮らしてるようだし、安心した。あの男は裏表がなさそうだ」
「裏表はないですね。伯爵家の御令息なのに、私やフレッド君にもとても優しくて」
「本当にお前には申し訳ないことをしたよ」
「お城の名義のことでしたら、もういいですって。それより私が心配なのは、壺にぎっしり溜まっているお金のことです。不用心ですよ。銀行に預ければいいのに」
師匠は返事をしない。師匠は貰ったお金を壺に放り込んで床下に隠しているが、その存在を知っていた私はいつも心配だった。
「そんな心配をするくらいなら、こっちに出てくるときにニナが受け取ればよかっただろう? 当面の生活に困らないように渡すって言ったのに『自分で稼いだお金以外はいらない』なんて意地を張ってさ」
「それは私なりのけじめです」
「レクスにそれはやめときな? あれは惚れた女に甘えられて喜ぶタイプだ」
「ああ……そうかもしれませんね」
「私はお前に、幸せになってほしいんだよ」
つぶやくように投げかけられた言葉を聞いたら、目の中で涙が盛り上がってこぼれ落ちた。
玉ねぎが目に染みたふりをして、私は返事をしなかった。
三人でオーブン焼きの肉と野菜のミルクシチューを食べ、師匠と私は同じベッドで眠った。
「なんだい、ずいぶん甘えるじゃないか。フレッドが一人で寝てるのに」
「今日だけ」
「暑苦しいだろうが」
そう言いつつ、師匠は私の頭を撫でてくれた。