75 解除
全員で庭に出ると、フレッド君が「ニナ」と言って私の手を握った。
スパイクさんがフレッド君に穏やかな声で話しかけた。
「フレッド、この城には魔法がかけられていてね、私がこれからその魔法を解除する。しっかり見ていなさい」
「わかった」
「皆さんは少し後ろで見ていてください」
「クローディア、万が一私の魔力が足りなかったら、助力をお願いできますか?」
「いいわよ。報酬は半分貰うけど?」
「もちろんです。では始めます」
私たちは芝生の上に移動して、離れた場所から見学だ。
スパイクさんは芝生と家の間に立ち、胸の前で両手を構えた。見えないスイカを上下の手のひらで持っているみたいな格好だ。
やがて両手の間が白く光り始めた。
「すげっ!」
フレッド君が思わずという感じに声を漏らし、私も(うわっ)と思った。
レクスさんがそっと私の手を握った。
「僕にも見えるよ。白く光っている。すごいな」
「こんな派手な魔法、私は初めて見ます」
夕闇が濃くなっていく中、スパイクさんの両手の間で白い光がどんどん強くなっていく。
しばらくして、スパイクさんが構えていた両手をゆっくり体の両脇に下ろした。光の玉はふわりと上昇し、吸い寄せられるようにアシャール城に向かって移動する。
光の玉がお城の壁に近づくと、お城を包むドームが見えた。
ドームは、幅一メートルくらいの半透明の布みたいなもので編まれていて、鳥の巣を伏せたみたいだ。
光の玉が触れた部分から、ドームが溶け広がるように消えていく。
その穴は広がり続けるのかと思っていたら、途中で動きが止まった。
「ああっ!」
思わず叫んでしまったのは私だ。溶けるのが止まっただけではない。溶けて消えた部分がじわじわと再生し始めている。
「こりゃまた、ずいぶん念入りに重ね掛けしてあるね。スパイクの魔力で足りるだろうか」
「どうですかねえ。いったいどんな魔法使いがかけたやら」
師匠とクローディアさんの会話で、やはりうまくいっていないとわかった。
ベンジャミン君は興奮していて、前のめりの姿勢でハアハアしながら見ている。
スパイクさんが顔だけで振り返った。
「クローディア、頼みます!」
「はあい」
クローディアさんがスパイクさんの隣に立ち、二人で同じ手の構えをした。
二人の両手の間に光の玉が生まれている。ベンジャミン君が私を見上げた。
「ねえ! あの杭みたいのは抜かないでいいの?」
「杭?」
「アタシには見えないけどね」
「私も見えませんけど」
「よく見て! お城の東、南、西に杭が打ってあるでしょ? 多分北側にも打ってあるよ!」
フレッド君が突然叫んだ。
「オレ、みえる! ほそくてひかってるのがみっつ!」
「そう! あの細いやつ! 三本見えるよね?」
「みえる!」
「お前たち、行って引き抜いておいで!」
師匠の声でフレッド君とベンジャミン君が走っていく。レクスさんが私の耳に顔を近づけてささやいた。
「そんなものに触れて大丈夫なのかな?」
「師匠がああ言うならたぶん」
「あの魔法から害意は感じられない。大丈夫さ。見ていてごらん」
ベンジャミン君が玄関の方へ、フレッド君がスパイクさんたちの前方へ走る。
それまで何も見えなかったのに、二人が何かに手をかけて引っ張ったら見えた。地面からずるりと引き抜かれたのは、細い棒だ。
「フレッド君! 僕はお城の裏側に回るから、君はあっちの棒を頼む!」
「まかせろ!」
ベンジャミン君はお城の裏に向かい、フレッド君はお城の西側へと走る。
フレッド君がまた細いものを引き抜いた。
その合間にスパイクさんとクローディアさんが同時に光の弾を放った。
光の玉が触れたところから、再びドームが溶けて消えていく。溶ける動きは止まらない。
しばらくしてドームが全部消えたところで、スパイクさんが私たちを振り返った。
「解除完了です。あの棒はなんですかね。見てみましょう」
全員がフレッド君に駆け寄った。長さ六十センチほどの細い棒を手に「すっげえおもい。でもかんたんにぬけたぜ」と言って私にくれた。
小指より細い棒は六角柱の形。ズシリと重い。土で汚れているけれど月の光を反射して金色に光っている。まさか金? 目を近づけると、六つの面にびっしりと見たことのない記号のようなものが刻まれている。
金色の棒を師匠に渡すと、師匠がじっくり眺める。クローディアさんとスパイクさん、レクスさんも覗き込んだ。
「見たことのない文様だね」
「私も見たことないわ」
「それはアーケル族に伝わる象形文字だと思います」
全員がレクスさんを見た。
「リンダール国の山岳民族であるアーケル族だけが使っていた文字です。今は我が国の植民地政策のおかげで誰も使いませんが。これを言語学者が解読した論文を持っています」
「読めるのかい? なんて書いてある?」
「正確に読むには時間が必要ですが、大雑把になら」
「いや、正確に読み解いてほしい。レクセンティウスさん、解読を依頼できますか?」
「喜んでお引き受けします」
ベンジャミン君が持ってきた二本と合わせて四本の棒がレクスさんの手に渡された。
満月の光を受けて、棒は鈍く金色に光っている。
「お預かりして必ず読み解きます」
「それにしてもこの棒は、若者と子供には見えて我々には見えなかった。何か理由があるはずだ。レクセンティウスさん、解読をよろしくお願いいたします」
返事がないので(ん?)とレクスさんの顔を見て、思わず「ひっ」と声が漏れた。
レクスさんがとろけるような表情で棒を見ている。棒を撫でて「楽しみだなぁ」と心の声を口に出している。
学者のレクスさん、ちょっと怖い。
お城を包んでいたドームは完全に消えたから、師匠はアシャール城に泊まることになった。
ベンジャミン君はスパイクさんが乗せて、クローディアさんは赤い車で帰った。
レクスさんはずっと微笑んでいて「すまないけど、僕はこれに取り組むよ。夕飯はパンを食べるから僕の分は作らなくていいから」と言って階段を上がった。
「さて、私はすっかりおなかが空いたよ」
「オレも」
「ニナ、頼んでいいかい? 私はフレッドと話がしたい」
「どうぞどうぞ」
鶏肉のオーブン焼きを作るべく、私は台所に向かった。