74 今日は満月ですし
私たちは危険物を持っていないか調べられ、面会室に通された。
連れてこられたマイヨールはどんよりした表情で、(こいつら、何をしに来た?)という顔で私たちを見ている。
スパイクさんが穏やかな表情で挨拶をして、マイヨールに話しかけている。スパイクさんの右隣にクローディアさん、左隣に師匠。私は師匠の隣だ。
スパイクさんが「王家の希望は……」と話している最中に、クローディアさんが小さな声で何かをつぶやいた。するとマイヨールが石像のように動かなくなり、クローディアさんは続けてまた何かをつぶやいた。石像のように動かなくなったマイヨールがスッと目を閉じた。
師匠が膝の上で両手の指先を合わせて呪文を唱え始めた。
私には聞こえるが、マイヨールには聞こえないほどの小さな声。
スパイクさんは「殿下は今回の窃盗に関して……」と淀みなく話し続けている。
私は目だけを動かして隣の師匠を見た。師匠は穏やかな表情でマイヨールを見て、ときどきうなずいているが唇は動き続けている。
やがて師匠の額や首に汗が滲み始め、汗の玉になり、流れ落ちていく。マイヨールに見た目の変化はなく、彼の能力がどうされているのか、私にはわからない。
監視している職員はたまにこちらを見る。スパイクさんの話を聞いているのは明らかだ。
(早く、早く終わって)
そう願っていると、師匠がスッと両手を膝の上に置いた。前髪から汗がポタッと落ちて、紺色のドレスに染みを作っている。
「終わったよ」
師匠の声を聞いたクローディアさんが何かをつぶやき、マイヨールは目を開けた。
マイヨールが険しい表情で私たちを睨んだ。
「貴様ら、私に何をした」
「何もしていません。王家の希望をあなたに伝えただけです。我々からは以上です。面会してくれてありがとうございました」
そう言ってスパイクさんは立ち上がり、監視の男性に「終わりました」と声をかけた。
私たちは全員立ち上がり、背を向けたところでマイヨールが「私に何をした!」と叫んだ。恐怖をはらんだ声だった。
「王家のお考えをお伝えしましたよね? 王家はあなたが裁判を受けて罪を償うことをお望みです。さあ、我々は帰りましょう」
私たちは会釈をして面会室を出た。
ドアを閉めると師匠がふらついた。
「師匠!」
「大丈夫だよ。普通なら時間をかけるべき魔法を一気に使ったから、ちょっとね」
「うちで休んでください……ああ、ダメだった。うちには呼べないんだった」
入口手前ホールにあるベンチに師匠を座らせると師匠が私の手首をつかんだ。
「私を呼べないって、理由はなんだい?」
「アシャール城には魔法がかけられていて、高い魔力の持ち主から低い魔力の持ち主へと魔力が移動するらしいんです。うちにはフレッド君がいるから」
「私は城の持ち主のレクセンティウス様から依頼を受けていますので、マイヨールの件が片付きましたし、今日にもその魔法を解除する予定です。今日は満月ですし」
スパイクさんの説明を聞いて師匠が小首をかしげた。
「城の持ち主はニナだろう? ニナが気に入った男を住まわせているんじゃないのかい?」
「ああ、えっと、違います。詳しい説明をしていなくてすみません」
スパイクさんが「馬車の中で」と皆を誘導し、私が事情を説明した。
「なんとまあ。ベアトリス・アシャールは私にくれると言って、私は貰うと明言したのに。夫人がとっくに手続きを済ませたものと思っていたよ。そのおかげでニナは掃除を引き受けていたのか。ニナ、私の不手際だ。悪かった」
「いえ。掃除は得意ですし。掃除と引き換えに住めましたし、食費と光熱費もレクスさんが負担してくれています。今はお付き合いも始めましたし」
お付き合いを始めてる、で間違ってないわよね。
「師匠、私は以前からその手の法的手続きはきちんとすべきだって、注意していましたよね? 城の持ち主が善人だったからよかったものの、ニナは放り出されて宿なしになるところでしたよ?」
「すまなかった、ニナ。心から謝罪するよ」
「いいんですって。私は毎日快適に暮らしていますので」
「そろそろ馬車を出しますが、魔法協会でいいでしょうか?」
「いや、アシャール城に行っておくれ。魔法を確認したいし、解除にも立ち会いたい。城の持ち主にもお礼を言わなきゃならないよ。魔力が吸い取られるなら庭で立ち話でもいい。知らん顔のままはできない」
師匠がそう言うならと、スパイクさんが御者にアシャール城へ行くよう告げた。
馬車が糸杉の小道に入り、アシャール城が見えてきた。時刻は夕方。もう日が暮れつつある。今日はとんでもなく忙しかった。
フレッド君が日除けの麦わら帽子をかぶって畑の作物を眺めていて、ジェシカさんはパラソルの下でフレッド君を見守っている。
馬車に気づくとフレッド君が駆け寄って来て、ドアからはレクスさんが出てきた。
「ラングリナ、魔力を消耗した直後だから外のベンチにいったん座りましょう」
「スパイク、心配しすぎだよ。フレッドも外にいるんだ、まずは家主に挨拶をさせておくれ」
そう言って師匠はレクスさんとフレッド君に挨拶をした。
「フレッド、私たちはちょっと大人の話し合いをするよ。外で待てるかい?」とフレッド君に話しかけた。
「オレはまてる!」
「いい子だ」
居間に入ると、なぜかベンジャミン君がいた。師匠には「魔法使いの卵で、かけられた魔法や魔力が見える人」と紹介した。
「嬉しいねえ。最近は魔法使いになりたがらない若者が増えたのに」
「僕は評議会の話を聞きたくて訪問したんですけど、ええと、スパイクさん、この顔ぶれは?」
「我々はひと仕事終えたところなんだ。でも評議会の決定をどう執行したのかは、まだ君には言えないんだよ。悪いね」
「いえ。そうですよね。僕が協会員になったら教えてください。では僕はそろそろ帰ります。フレッド君も中に入らないと暑さ負けしそうだ」
気を悪くする様子もなく、ベンジャミン君が立ち上がった。
「これから私がこの城にかけられている魔法を解除するんだけど、見ていかないかい?」
「いいんですか? 是非見学させてください。すごく見たいです!」
「ではさっそく解除しよう。そうすれば全員が落ち着いて屋内で話ができる。レクセンティウスさん、今から始めても?」
「はい。よろしくお願いします」
お茶の一杯も飲まずに、私たちは再び外に出た。