7 消えた指輪と鶏のザクザク揚げ
驚いて手を引っ込めそうになった夫人に「動かないでください。今その指輪がどこにあるか、占っていますので」と告げた。
私は夫人の手を見てしゃべっているが、意識の九割以上は夫人の記憶を探っている。
最後にその指輪をどこで外したのか。その記憶をまず見つけなくては。
(あ。あった。たぶんこれだ)
夫人がお酒に酔っている。ふらふらと部屋の中を歩き、バルコニーに出て、月を眺めている。月は半月と満月の中間くらい。
夫人は指輪を外し、豪華なネックレスも外してバルコニーにあるガラスの丸テーブルに置いた。
そこで視線が月から室内へ。ひと目で子爵様とわかる男性がこちらを見ている。夫人も子爵様も正装だから、夜会から帰ったところみたいだ。
夫人はネックレスと指輪を手に持って部屋に入り、ネックレスだけを宝石箱の上に置いた。
(あれ? 指輪はどうした?)
そこから先は室内着に着替えた夫人が部屋中を探している。指輪がないことに気づいたらしい。夫人はネックレスと指輪の二つを置いたと思い込んでいて、とても慌てている。
使用人に探させていないところを見ると、夫人は最初から使用人を疑う性格ではないらしい。
私は夫人の手を放して立ち上がった。
「占いは終わったの?」
「はい。指輪を探します。バルコニーに出ますね」
バルコニーに通じるドアを開け、ガラス製の丸テーブルを見た。当然、上には何も置かれていない。部屋に入る前にバルコニーで指輪を落としたのなら、落ちて跳ねて……。バルコニーには観葉植物や花を寄せ植えした四角いプランターがたくさん置かれている。
出入口に一番近いプランターを調べたが、収穫なし。
でも二番目のプランターを覗いたら、重なり合った植物の葉の下に、半分埋まっているルビーの指輪があった。土が柔らかいところを見ると、この寄せ植えは最近作られたものだ。
バルコニーの出入り口で私を見ている夫人に向かって指輪を掲げ、「ありました」と声をかけた。
夫人が走り寄ってきて、私の手から土まみれの指輪を受け取った。
「こんなところに……。部屋の中を探しても見つからないはずね。でもどうしてこんな場所に。私は確かに宝石箱の上に置いたのよ。誰かが隠したのかしら」
「いいえ。メイドさんたちの名誉のために説明させてください。この指輪を外した時、夫人は酔っていらっしゃったような」
私は酔った夫人が指輪とネックレスを外し、子爵様に呼ばれて指輪とネックレスを手に持って部屋に入る前に指輪が落ちたことを説明した。夫人の顔がちょっと怯えているように見えるけど、まあいいや。無実のメイドさんたちが疑われたら気の毒だ。
「ここ最近、何度か夜に雨が降りましたよね。重さのある指輪は雨に打たれて土の中にめり込んだのでしょう。誰かが盗んで隠したわけではありません」
「あなたがそう言うのならきっとそうなのね」
手についた土を払って部屋に入った。夫人はハンカチで指輪の汚れを落として大切そうに眺め、それから私を見た。
「占いの料金はおいくらだったかしら」
「出張料込みで……」
私が告げた値段は、気さくな店のケーキとお茶のセット四回分くらい。半分が占いの料金、出張費が半分。
「わかったわ。コリンヌ?」
「はい奥様」
夫人がコリンヌさんに小声で何か指示を出し、コリンヌさんが封筒を渡してくれた。
ここで中を確かめるのははしたないことよね? まさか子爵夫人が支払いをごまかすことはないだろうから、封筒を受け取って「ありがとうございます」と礼を述べて立ち上がった。
「あなたの名前は?」
「ニナ・エンドと申します」
「ニナ、あなたのことを私の友人に話してもいいかしら?」
「はい、よろしくお願いします。では失礼いたします」
公園まで送ると言ってくれたコリンヌさんを断り、一人で公園に戻った。それから手提げの中で封筒の中を確認すると、占い十回分のお金が入っていた。さすがは貴族様。一日に五人占ったら目標達成としているから、二日分の稼ぎだ。
今日は天気がいいから、その先も働いた。恋占いを三人、失せ物探しを一人。
私はいつもより多く食材を買い、ずっしり重くなった手提げ袋を抱えてバスに乗った。今夜は少し贅沢な夕食にしよう。
夕方にアシャール城に帰った。
レクスさんの車はあったが、仕事をしているかもしれないので声はかけなかった。私はバスを利用しているから、派手な音を立てない限り帰ってきたかどうかレクスさんは気づかない。いつもタイプライターを打つ音がしている。論文を書いているのかな。
鶏肉に下味をつけ、味が染み込むのを待つ間にサツマイモの皮をむいた。皮を剥いたサツマイモは蒸し器に入れた。
しばらくして漬けこんでいた鶏肉を拭いてコーンスターチをまぶした。油の霧で台所が汚れないよう窓を開けて、風を入れながら揚げた。
鶏肉を揚げている間にソースを作る。リンゴジュースに赤ワインを少し。煮詰めたところにお酢と塩コショウ、すりおろしたニンニクとショウガを加えて混ぜたら出来上がりだ。
鶏肉は油から引き揚げてもまだジュウジュウと音を立てている。包丁で切るとザクッといい音がした。
鶏肉にたっぷりとソースをかけて、刻んだネギを散らし、パセリの葉っぱを添えた。
サツマイモのスープにはミルクをたっぷり。私は甘くて優しいこのスープが大好きだ。
ダイニングルームに運んで「では、いただきます」とスプーンを持ったところでレクスさんが入ってきた。チラリと私の料理を見て、困ったような顔をしている。
「お先にいただいています。二人分作りましたが、よかったら一緒にいいかがですか?」
「窓を開けていたらやたらいい匂いがして誘惑されてしまった。前にあんなこと言ったけど、僕にも食べさせてくれる?」
「もちろん! 大歓迎です」
「僕の夕飯もよかったら一緒に食べてくれるかな」
「はい、いただきます」
(一緒に食べたいけど、まだ食事は怖いかな)と思いながら作った甲斐があった。
レクスさんが持ってきた夕食は、カニのテリーヌの缶詰とキャビアの瓶詰とパンだった。
台所でそれらをお皿に盛りつけながら、富裕層の偏食さんの体を本気で心配した。
でもまあ、カニのテリーヌは甘いパンの食事よりはずっといい。レクスさんは今朝、甘いパンだけだったからね!
「お待たせしました。カニのテリーヌの缶詰もキャビアも初めて見ました」
「どちらもわりと美味しいよ。ニナは料理が上手なんだね。この揚げ物、すごく美味しい」
「美味しいものを食べたかったら自分でどうにかしなきゃならなかったので。これは近所の奥さんに教わりました。師匠は栄養を取れればいいという主義だったので、あんまり料理が美味しくなかったんです。んんっ! テリーヌはカニとクリームチーズですね。なんて美味しい。なんて贅沢。キャビアも美味しいです」
レクスさんが私を見てニコッと笑った。いい笑顔。
「君は二回食べようと思って料理を作ったんだろう? 悪かったね」
「とんでもない! 今日はかなり稼いだので少し贅沢しようと思ったんですけど、レクスさんのおかげで贅沢なご馳走を食べられました」
そこから二人で「美味しい」を繰り返して食事を楽しんでいたのだが、レクスさんが少し改まった様子で私に聞いてきた。
「僕も君も、ちゃんとした自己紹介をせずに暮らしているよね。今更だけど、互いに自己紹介をしないか?」
「はい」
「その前にとても知りたいことがあるんだけど、君の師匠というのは占いと失せ物探しの師匠ってことでいいのかな」
「いえ……。少し違います」
さて、いよいよ本当のことを言うべき時が来たみたい。