67 ベンジャミン・ジャクソン
マイヨールの前に座り、差し出された手を取った。
さすがに彼の手枷は外されて、私たちは両手で握手する形になった。
マイヨールがつないだ手を凝視している。たぶん今、私は記憶を探られている。だけど何も感じない。
首を触っているときに嘘の記憶を差し込まれたときもそうだったけど、何も、全く何も感じない。
これなら占いだと言って記憶に干渉されても気づかない。
私が誰かの記憶を見ている時もこんな感じなのだろう。
「見終わった。全部見たよ」
そう言ってマイヨールが手を離した。
「あの女……フランチェスカがどうなったか知っておきながら、よくも働き続けられたものだ。許しがたい!」
怒りのあまり、マイヨールは涙を滲ませている。殿下が「彼女は裁判にかけられる。お前も等しくだ」と言った。マイヨールは「わかっています」とだけ答えた。
マイヨールはこれからフランチェスカさんに会いに行く。フランチェスカさんの体調に配慮して、部外者は遠慮することになった。
どうかマイヨールの言葉がフランチェスカさんの心に届きますように。
私たちは解散となったから帰るのかと思ったら、レクスさんが「聞きたいことがある」と言ってスパイクさんを引き留めた。
スパイクさんの提案で、私たちは魔法協会を訪れた。
魔法協会は古くて由緒ありそうな集合住宅にあった。その建物がやたら豪華だ。アーチ型の門や、玄関の屋根を支える柱にも繊細な装飾が施されている。
感心して見上げている私を、レクスさんが優しい視線で見ている。
「こんな建物があったなんて知りませんでした。周囲は閑静な住宅街なのに」
「ここは元海軍提督の屋敷だよ。提督は侯爵家の人で、大変な資産家だったんだ。提督亡き後に売却されて、今は賃貸の集合住宅になっている」
「すげえりっぱだな」
フレッド君は豪華な建物にはあまり興味がないらしい。五歳だものね。
スパイクさんはほんの少しだけ楽しそうな顔で私たちの会話を聞いている。スパイクさんは表情が控えめだ。エレベーターの前に来て、表示を見た。魔法協会は五階。最上階だ。
「スパイクさん、私、エレベーターに乗るのは初めてです」
「これは後付けされたんだ。エレベーターが設置される前は、魔法協会は別の場所にあった。魔法協会はご老人が多かったからね」
「水圧式のエレベーターだね。これは最新の技術なんだ。民間の建物でこれを使っているのを、僕は初めて見る」
「レクセンティウスさんは博識だ」
スパイクさんの指摘にレクスさんが赤くなって、私とフレッド君が同時に下を向いて笑うのを我慢した。貧乏騎士のパンの由来を説明してもらったときのことを思い出したのだ。
私が「レクスさんは優秀な学者さんで人気の小説家ですから。博識なの」と言ったらレクスさんが照れて赤くなったことを三人とも思い出したのだ。
エレベーターはゆっくり上昇して、最上階に着いた。エレベーターが開くと、もうそこには複雑な柄の絨毯が敷いてある。魔法協会はフロアを貸し切りなのか! お金持ちだね!
スパイクさんが私たちを広い部屋に招き入れてくれた。
「レクセンティウスさんの質問を伺いましょうか」
「マイヨールはどうやって宝石をすり替えたのでしょうか」
「職員たちの自白によると、展示品の入れ替えをする際にマイヨールが傷の有無などをチェックをしていました。その際に美術館職員の目の前で、『これは第一王子への報復だ』と言いながら模造品と交換していたそうです。模造品もマイヨールが作らせていたらしい」
「ふうむ」
レクスさんはまだ聞きたいことがあるような顔だ。
「宝石が模造品だと気づいたのは誰ですか?」
「見学者が気づいたそうです。『チョーカーに組み込まれているルビーは、よくできたガラスじゃないだろうか』と王宮に手紙が届いた。そこから王家が調査に乗り出しました」
「宝石が偽物と気づいた人は、宝石に詳しい人ですよね?」
スパイクさんが書類を見て、「いや、殿下から頂いた情報では、王立学院の学生ですね。私はその人に会っていません」と言う。それを聞いたレクスさんが身を乗り出した。
「その人に会えますか?」
「連絡してみます。でもなぜ?」
「ニナの関係者としての興味と、小説家としての興味です」
スパイクさんが電報を打つよう使用人に命じて、私たちは王立学院に向かうことになった。
レクスさんはなぜ、そんなことを知りたいのだろう。
「ワクワクするね」
「いえ、私は別に。レクスさんの意図がわからないです」
「オレははらがへった」
「学院の食堂で話を聞くことにしようか。フレッドは好きなものを注文して食べていいよ」
「やった」
私たちを大学の門のところで待っていたのは、ベンジャミン・ジャクソンという男子学生だった。
ベンジャミン君はクルクルした巻き毛の黒髪、黒い目の細い体つきの男の子だった。
全員で大学の食堂に移動して、私たちはコーヒーを飲みながら彼から話を聞いている。フレッド君は「朝食セット」を頼み、卵とソーセージとパンを食べている。
レクスさんが質問をして、私は聞き役だ。
ベンジャミン君は王家に手紙を書いた事情を説明してくれた。最初は美術館の職員全員が「呪い」をかけられていることに気づいたそうだ。
「呪い?」
「あんまり言いたくないし信じてもらえないだろうけど、僕は相手が呪われているかどうか、見えちゃうんです。美術館の職員は、全員呪いをかけられていたんだ」
「呪いじゃなくて魔法では?」
「まあ、何と呼んでも、アレの本質は変わりません。それを見えてしまう僕も、呪われてると言えば呪われているんだけど」
そこまで言って、ベンジャミン君は私とソーセージを食べているフレッド君を見た。
「レクセンティウスさんは知っているのかな。その女性も子供も、ええと、その、特別な力を持っていますよね?」
「見えるの?」
思わず私が口を出した。ベンジャミン君は私を驚いたような顔で見た。
「ああ、あなたは自分の力に気づいているんだね。へええ」
そこからベンジャミン君が宝石すり替えに気づいた流れを詳しく教えてくれた。
ベンジャミンには、呪われて(魔法をかけられて)いる人が薄い膜のようなものに包まれて見えること。
その力は子供の頃からあったが、両親に「人には言うな。普通に暮らせ」と言われて育ったこと。
「もしかしたらお前は魔法使いなのかもしれないが、魔法使いになる必要はない」とも言われていること。
ベンジャミン君自身もこの能力で暮らしていける気がしなかったので、勉学に力を入れたこと。
現在は経営学を専攻していること。
「たださ、美術館の職員が全員呪われていたら、犯罪の匂いがするでしょ? 王立学院の学生としては、知らん顔をするのは良心が痛んだ。だから父に頼んで同行してもらったんだ。父は『ジャクソン宝飾店』のオーナーだから、宝石が本物かどうか、見分けられる」
ジャクソン宝飾店は大通りの有名店だ。そりゃ魔法使いになるより宝飾店を継げと言うわ。
「父は関わるなと言ったけど、告発することは許してくれた。でも、僕の能力のことは言うなと言うから、僕のことは秘密にしてくれる?」
「秘密は守るけど、告発の手紙に名前を書いたのはなぜ?」
するとベンジャミン君は複雑な笑みを浮かべた。
「呪いが関係していたから。名前を書いたら、もしかして特別な力を持った人が会いに来てくれるかな、と思ったんだよね。特別な力って、僕にとっては喜びより孤独感をもたらすものだったからさ」
ベンジャミン君が電報を取り出して私たちに見せ、微笑んだ。
「予想通り。魔法協会から電報がきて、特別な能力を持っている人が現れた。僕は今、名前を書いてよかったなと思ってる」