59 マイヨールの正体
室内の全員が注目している中、憂鬱な真実を告げなければならない。
その前に確認だ。
「殿下、大変恐縮ですが、殿下の記憶を読ませていただけますか? 今回の事件の謎を解くには、私が殿下の記憶を読む必要があります。読んだ記憶は墓場まで持っていきます。誰にも話しません」
「いいだろう。ニナを信用するよ」
差し出された手を両手で挟んで素早くここ数年の記憶を読んだ。そして確信した。
すぐに手を離して「わかりました。ありがとうございます」と頭を下げた。
ひとつ深呼吸をして、私はフレデリック殿下に真実を告げた。
「この人たちは全員、美術品鑑定の仕事で職場を訪れるマイヨールに、『占いは趣味だから、お金はいらない』と言われて占ってもらっています。マイヨールの占いは恐ろしいほどによく当たり、彼らの間でどんどん信用されて『先生』と呼ばれています」
「ほう? 占いの先生から美術品のすり替えまではどうやったんだ?」
フレデリック殿下が話の先を急かしてくる。段階を踏んで話したいから、待って。
「マイヨールはその占いをしている最中に……殿下を極悪非道の人間と思い込むよう、嘘の記憶を埋め込んでいます」
「待て。私が極悪非道?」
「ええ。とんでもない嘘を、本当にあった記憶として職員たちの記憶に埋め込んでいます。殿下の悪行に関してだけ、全員の記憶の背景が曖昧です。本当の記憶は、本人が周囲の景色を忘れているつもりでも、私が見れば明瞭に見えるのです」
すると若い女性が叫んだ。
「嘘なんかじゃありませんっ! 殿下は何もしていない私に、暴力を振るったではありませんかっ!」
叫ぶ女性の目はギラギラと輝き、顔はフレデリック殿下への憎しみで歪んでいる。
「暴力? 私は君に指一本触れたことがない。そもそも二人きりになったこともないだろう!」
「嘘です! 私を呼び出して、誰もいない部屋で暴力をっ! 私だけじゃありません。他の職員にも酷いことをしているじゃありませんか! どうせ死刑になるのなら、全部明らかにしてから死んでやるっ!」
フレデリック殿下は薄く口を開け、ポカンとした顔でその女性を見ていたが、こめかみを押さえながら「はああ」とため息をついた。
「私の暴力も嘘だが、死刑とはいつの時代の話だ。王家の所蔵品とはいえ、窃盗で死刑になるものか。何十回窃盗を繰り返したところで、懲役刑止まりだ」
「殿下、彼女は死刑になる話も一緒に記憶を埋め込まれているのです。嘘の記憶の内容は暴力だけではありません。例えば……」
そこから美術館の職員たちに差しこまれた殿下の悪行を説明した。
館長は老眼で書類仕事にミスを連発していると罵られ、「いつまで館長の座に居座るつもりだ?」と馬鹿にされた。
中年の女性も年齢のことで侮辱され、「美術館にとって目障りな古い置物」と言われている。
私が次々と殿下に説明すると、聞いていた職員たちは「嘘の記憶を植え付けるなんてこと、できるわけがない! 全部その魔法使いのでたらめだ!」と騒いだ。
フレデリック殿下は『これはいったい、どういうことだ?』という顔で職員と私を交互に見る。
クローディアさんは険しい表情で腕組みをして職員たちを見ていて、フレッド君は目を丸くして職員と私のやり取りを聞いている。
そしてレクスさんは、心配そうな顔で私だけを見ている。
私は立ち上がり、縛られている職員たちに近づいた。全員が私に不審の目を向けてくる。
自分が苦しんだ経験を「それ、実際にはなかったんですよ。嘘の記憶です」と言い切る私に不信感をもつのは仕方ない。
「できるんですよ。皆さんだってついさっき、私に自分の記憶を読まれて驚いたでしょう? 私にできるということは、他にできる人がいてもおかしくはないんです」
一瞬、職員たちの間に動揺が走った。
「殿下、マイヨールは他人に嘘の記憶を埋め込むことができる、私と似たタイプの『記憶に干渉できる魔法使い』だと思います」
「記憶に干渉……」
「ええ、そうです。ところでクローディアさん」
「なあに?」
「マイヨールは魔法協会に所属していますか?」
「所属していないわ。記憶に干渉できる魔法使いは、今のところニナだけよ」
ですよね。おそらくそれがマイヨールにこんなことをさせた根っこだ。
「殿下、マイヨールが魔法協会に所属していないなら、彼が記憶操作の他にどんな魔法を使えるのか、誰も知らないということです。追っ手には『彼に近寄り過ぎず、手に触れられないように』と、注意すべきです。でないと、マイヨールに記憶を操作されてしまいます」
マイヨールは占いと称して相手の記憶を読んだり捏造した記憶を埋め込んだりするとき、相手の手のひらと自分の手のひらを合わせていた。私と同じように、肌に触れることで魔法を使うタイプだ。
「わかった。ニナ、この先のことは別室で話し合おう」
殿下の執務室へと案内され、私たちはこれからのことについて話し合った。進行役は私だ。まず、注意点を挙げた。
マイヨールを見つけたら、彼の手に触れられないように気をつけること。
できれば意識を失わせる方法が望ましいこと。
職員たちに影響を残さず嘘の記憶を消せるかどうかわからない今、マイヨールは絶対に死なせないこと。
「わかった。すぐに伝えよう」
殿下が指示を出して、侍従さんが部屋から走り出た。
クローディアさんがスパイクさんに知らせの鳥を送り、スパイクさんも話し合いに加わった。
スパイクさんも、マイヨールは協会に所属していないと断言した。
「申請したこともありませんか?」
「マイヨールが五十代なら、三、四十年まえに申請していた可能性が高い。申請したときの会長はおそらく前会長だ。もしマイヨールが基本魔法を使えなかった場合、申請しても却下されただろうね」
そう、私みたいにね。
マイヨールには師匠がいただろうか。師匠もおらず、魔法協会にも拒否されたとしたら、マイヨールは己の力をどう受け止め、どう使おうとしただろうか。いろいろな怒りを溜め込んで、こんなことをしたのかも。
「マイヨールは捏造した記憶を埋め込める以上、私と同じように記憶が読めたと思われます。相手が一番気にしていることを読み取り、そこに殿下の悪行を絡ませる。そんなことができるなら、どうにでも相手を操れます。相手は本当の記憶だと思っているのですから、心の底から殿下を憎み、自分の感情と判断で動くわけです」
「恐ろしいな……」
殿下の首と腕に鳥肌が立っている。この人は彼らが信じ込んでいるような悪人ではない。さっき記憶を見たが、この方は誰かに暴力を振るったり暴言を吐いたりしていない。記憶は私に嘘をつけない。
「彼らの嘘の記憶は消せそうか?」
「やってみないと何とも言えません。相手が私に強い拒否感を持っている状態で記憶を消したことがないんです」
「私を極悪非道な人間だと思い込んでいるなど、想像しただけで耐えがたい。王家のイメージも地に落ちてしまう」
そう。マイヨールは殿下が美術館の担当になった辺りから嘘の記憶を埋め込んでいる。
各人の王家への印象は、国王陛下が美術館に関わっている間はとてもいい。ところがフレデリック殿下が担当になったところから、王家を憎み始めている。
何かきっかけがあったんだと思う。それはマイヨールの記憶を読まないとわからない。
「マイヨールは、殿下を悪人に仕立て上げることで、展示品の宝石を偽物へと置き換える罪悪感を相殺させていたのです。『あんな酷いことをする人の宝物だ。価値を下げてやれ、これは自分が受けた苦痛への報復だ』と思うように導いたのです」