58 マイヨール
翌朝、私たち三人は十時少し前にお城に着いた。
フレデリック殿下の侍従さんが待っていて、小ホールに案内された。
「美術館の従業員二十八名全員が集められています」と、侍従さんが教えてくれた。
「殿下は全員の記憶を見てほしいとおっしゃっています。昨日のあなたの証言で、あなたを拉致した二人は逮捕されています」
「早かったですね」
「二人とも家族を置いて逃げることも、家族を連れて逃げることもできなかったんですよ」
「なるほど。私に対しても、まあまあ丁寧な扱いでしたっけ」
丁寧な扱いと聞いてレクスさんが歩きながら目を剥いたけれど、その視線にはうなずくだけにした。
本当に酷い扱いというのは、腹を殴って息ができないようにしたり、顔を殴って抵抗する気力がなくなるようにしたりして、暴力的に屈服させることだ。事件解決のために呼ばれた私を、あっさり殺すという方法を取ってもおかしくなかった。
彼らがやったことは罰せられるべきだけど、それでも彼らは柔和な世界の人間だった。
小ホールに案内されて、庶民の私は(これで小なんだ)と思った。十分広いし、薄いピンクのバラの花がたくさん生けてある。
落ち着かない雰囲気の美術館職員が老若男女二十八名。全員が私をチラチラ見ている。私の能力は知らされていなくても、魔法使いが事件を解決に来たってことは伝わっているんだろうね。
職員さんたちは緊張のためか、みんな顔色が良くない。
部屋の入り口付近にクローディアさんがいて、私を見ると右手を軽く上げて挨拶してくれた。
同じく先に来ていたフレデリック殿下が椅子から立ち上がって、妙に大きな声で話しかけてきた。
「昨日は大変申し訳なかった。君を誘拐して閉じ込めた二人は今、牢にいる。犯人を素早く逮捕できたのは、魔法使いの君のおかげだ」
これ絶対に職員さんたちを脅すために声を張ってるわ。
「ではニナ、始めてくれ」
「かしこまりました。では皆さん、順番に私の前に座ってください」
私は用意されている小さい丸テーブルの席に着いた。椅子は二客。テーブルを挟んで向かい合わせに置いてある。
まずは気の強そうな二十代の女性が座った。
「どうすればいいのでしょうか、魔法使い様」
「テーブルの上に片手を置いてください」
若い女性は言われたとおりに右手を出した。私がその手を挟むと、落ち着いているように見える彼女の手は、しっとりと汗をかいていた。
彼女の記憶をザッと見た。
「あなたは部屋の奥へ」
これから全員の記憶を見てチョーカーすり替え事件の関係者と無関係な人に分け、関係者は部屋の奥へ移動させる予定だ。
次々と職員たちの記憶を見て、場所を移動させた。
時間をかけて全員の記憶を読み終えたところでフレデリック殿下が片方の眉を上げ、「ニナ? これはどういうことだい?」と尋ねた。
美術館の職員二十八名全員が、部屋の奥に移動させられたからだ。
「殿下、美術館に貸し出した王家の宝飾品を、信用の置ける宝石鑑定士に調べ直させてください。この者たちは王家から貸し出された全ての宝飾品から、ひとつか二つ、目立たない形で宝石を偽物と入れ替えています。これまで美術品の鑑定を任されてきたヒゲの五十代の男性も、職員たちの仲間です」
二十八人の職員たちは私を恐怖の目で見た。見慣れた種類の視線だ。
一方、フレデリック殿下は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、「今すぐマイヨールを捕えろ!」と護衛の男性に命令した。
全員の記憶に出てきたあの男性は、マイヨールという名前なのか。
私が見た記憶では、全員が「先生」と呼んでいたっけ。
宝飾品の鑑定士らしい男を、なぜ職員たちが先生と呼ぶのか不思議だったけれど、記憶を読み続けるうちにその理由がわかった。
マイヨールの驚くべき正体が、この事件の根っこにある。
フレデリック殿下は私の言葉を聞いても、あれこれ質問しようとしなかった。
次々と護衛たちに指示を出し、美術館の職員全員を縛り上げさせ、全ての窓と出入り口を兵士で固めた。
慌ただしくフレデリック殿下のところに人が出入りし、その都度殿下が細かく指示を与えている。
この人、おっとりした王子様かと思ったけど違ったわ。頭がいい。何を優先すべきか、瞬時に判断している。
やがて駆け込んできた軍服の男性が強張った顔で報告した。
「マイヨールは既に逃走していました。現在、王室直属の兵が王都中を捜索しております! 公にはまだ情報を伏せております」
「逃げられたか。全ての国境検問所に電話をしろ。電報も送れ。絶対に国外に出すな。これは王家の問題だ。世間にはできる限り真相を伏せろ」
「はっ」
軍人は出て行き、殿下はドアが閉まるのを待って、職員たちの方へ視線を向けた。
その顔からは初めて会ったときの温厚さや柔和さが消えて、冷え冷えとした支配者の顔になっていた。
「全員が揃わないなどという言い訳を鵜吞みにせず、昨日のうちにニナに調べさせるべきだった。ハーバート、お前があんなに上手に嘘をつけるなんて知らなかったよ」
名前を呼ばれて、五十代の男性がうつむいた。殿下の声には強い怒りがこもっている。
王族の怒りって怖い。思わず首をすくめたくなる迫力がある。
「お前はマイヨールを逃がすための時間稼ぎに、明日なら全員が揃うなどと嘘をついたのだろう?」
「申し訳ございませんっ!」
「安い謝罪ならいらないよ。お前たちを信じて、私は王家が代々引き継いできた貴重な品を預けたんだがなあ。まさかお前たちが王家の信頼を利用して私腹を肥やすとはね。残念だ。私は想像もしなかったよ」
ハーバートはうつむき、目を閉じている。
その彼を見ながら、フレデリック殿下が私に質問した。
「ニナ、マイヨールはどうやって美術館の職員全員を操ったんだい? この者たち全員が金に困っているとは思えない。どんな手を使ったのか、ニナには見えているんだろう?」
「はい」
全員が私を見ている。
私は憂鬱な真実を告げなければならない。
スパイクさん、こんな任務なら、五十倍の報酬も納得です。