57 借眼、借耳魔法
クローディアは活動的な服装をしていて、とても魔法使いには見えない。
黒い細身のスカートにふんわりした薄紫のサマーセーター。靴も黒。
耳に大きな銀のイヤリングをつけ、キリリと濃い化粧をしている。
黒髪は豊かなセミロング。毛先を内巻にしている。
しばらく目を閉じていたクローディアが「あっ!」と小さく声を出し、続いて王子の前だというのにチッと舌打ちをした。
すかさずレクスが「どうかしましたか?」と心配そうに尋ねた。
「屋根の上に出てすぐ、ヤモリが鳥に襲われました。申し訳ございませんが、もう一度ニナさんの部屋を見つけるところからやり直します」
「庭の虫ではだめなのか? 虫ならたくさんいるが」
「借眼と借耳の魔法は、一時的に支配している動物が見聞きしているものを私が共有するのですが、昆虫が見ている世界は私には読み取れないのです」
「そうか。残念だ」
クローディアは右手を上げ、広げた手の指で空中をなぞるように動かしている。ヤモリの代わりを探しているらしい。
それまで部屋の隅で静かにしていたフレッドが、「シャクガン?」とつぶやくと、空中を探っていたクローディアが手を止めて、「そのうちニナが教えてくれるよ」と微笑んだ。
やがてクローディアは「よし、今度はこのネズミで……」と言って焦点が合わないような目つきで天井を見ている。
「ネズミを魔力で捕えました。これを使います」
そこからまたクローディアは楽団を指揮するように手を動かしている。
皆がジリジリしてニナの発見を待った。
ネズミを使い始めてから一時間になろうかという頃、クローディアがフレデリック殿下を見た。
「うめき声を聞きつけました」
「よし、場所を特定してくれ」
クローディアは無言でうなずき、両手を動かしている。やがて……。
「今、近くの窓から外を見させます」
そう言ってまた焦点の合わない目つきでぼんやりと壁の上の方を見ている。
「わかりました。説明するより早いので直接向かいます。ニナは生きていますのでご安心を」
そう言ってすぐに歩きだした。
クローディアを先頭に、レクス、フレッド、フレデリック、それから六名の護衛が続いた。
階段を上り、角を曲がり、使用人が使う区域に入った。最後に質素なドアの前に立ったクローディアがフレデリック殿下を振り返った。
「ここです」
レクスが飛びつくようにしてドアノブを回したが、動かない。
「ニナ! ここにいるのか?」
「ううううっ!」
ドアに耳をつけていたレクスにだけ、くぐもったうめき声が聞こえた。
「ニナの声です!」
「ドアを開けろ」
「はっ!」
護衛の男たちがまずは剣の柄頭でノブを叩き壊してから体当たりを繰り返す。どこかへ走って行った護衛が、斧を持って戻った。斧を振り上げ、錠の部分に三度、四度と振り下ろした。
それを待って一番大柄な護衛がドアに体当たりする。
ドアはメキメキと音を立てて内側へ開き、レクスたちが部屋に飛び込んだ。
埃っぽい床には両手両足を縛られたニナが座っていた。手首と足首、頬に血が滲んでいる。
レクスとクローディアが縄をほどき、口に噛まされていた布も取り外した。
「よかった。助けに来てくれて、ありがとうございます」
ニナがレクスに支えられて医務室に向かう間、フレッドはグスグスと泣いていた。その様子を見たクローディアが「今、一番泣きたいのはニナだよ?」と話しかけると、フレッドは「うん」と返事をして拳で涙を拭った。
医務室に向かいながら、ニナが見た男女三人の記憶を説明した。
「ふむ。その情報だけでおおよその見当はつく。私は離脱してその者たちを追う方に回る」
フレデリック殿下はニナたちに護衛を一人残して、大股で去った。
医務室に着き、医師が消毒薬を塗って終わりにすると、クローディアがニナに近づいた。
「ニナ、初めまして。私はクローディア。スパイクから連絡を受けて、一番近くにいた私が駆け付けたの。ヤモリとネズミを使役して、あなたを見つけたのよ」
「あれはクローディアさんの使役ヤモリだったのですか。ありがとうございました。静かにしないと馬の鎮静剤を打つと脅されて、ハラハラしていました」
「馬用の鎮静剤か。下手したら命を落とすね。さて、お城の薬もいいけど、魔法使いには魔法薬を使いたいのだけど?」
「お願いします」
クローディアがスカートのポケットから中指ほどのガラス瓶を出した。
瓶の蓋を開けてニナの頬に一滴、手首足首に一滴ずつ魔法薬を落とした。ニナは慣れた感じにそれを手のひらで押さえている。
「これで傷は化膿せず、跡を残さず治るよ」
「ありがとうございます」
「いいのよ。私が出動した以上、王家からの支払いは私とニナで半分ずつになるの。悪いわね」
「いえ、当然のことです。駆け付けて下さって、感謝しています」
「ふうん……。ニナ、私あなたを気に入ったわ」
クローディアがそう言って、ニナの傷ついていない左の頬にそっと手を置いた。
医務室にフレデリック殿下の侍従が駆け付けて、「殿下からでございます」と言って走り書きを差し出した。
『本日は警備不行き届き、誠に申し訳なかった。関係者を全員集めておくので、明日午前十時、再び登城してほしい フレデリック』
「承知しました。明日また参ります。失礼します」
「ニナ、私も明日来るよ。ニナのお手並を拝見させてもらうわ」
「はい、クローディアさん。ではまた明日」
ニナたちはクローディアと別れてアシャール城に帰り、居間で「はああ」と三人同時にため息をついた。
レクスは心配そうに何度もニナの頬を覗き込んでいる。心なしかしょんぼりしていて、ニナが心配した。
「どうかしましたか? レクスさん、元気がありませんね」
「いや、そんなことはないよ」
そう言って微笑むが、明らかに元気がない。レクスは内心忸怩たる思いを抱えていた。
(何もしてやれなかった。連れ去られるのを見逃し、ドアは警備の人が開け、ニナの傷は医者とクローディアさんが手当した)
思わずため息をつきかけて、ニナに気づかれないようにそっと息を吐いた。
ニナは手首に包帯を巻こうとしたが、レクスがそれに気づいて包帯を受け取った。丁寧に手首足首に包帯を巻いていると、ニナが意外なことを言う。
「私ね、レクスさんとフレッド君が必ず助けてくれると思っていました。フレッド君がスパイクさんに連絡してくれたんでしょう?」
「そうだよ。君がいなくなってることに気づいて、すぐに」
「フレッド君が知らせの鳥を素早く送れたのは、レクスさんがいてくれたからだわ」
「ああ、うん。僕なら大丈夫だから。慰めなくていい。僕は今日、全くの役立たずだった。申し訳ない」
いつも背筋を伸ばして美しく座っているレクスが、背中を丸めていて元気がない。
ニナはレクスの隣に腰を下ろしてもたれかかり、肩口にポスッと顔を埋めた。
「全然わかってない。一人ぼっちでお城に行ってあんな目に遭っていたら、何百倍も怖かったはずです。でも、必ずレクスさんが私のために動いてくれるとわかっていたから、私は冷静に対処できたのに」
「うん……」
「明日も一緒にお城に行ってくれますか?」
「僕でいいなら」
「レクスさんがいいんです。お願いします」
「うん。もちろん同行するよ」
そこまで会話して、二人は長椅子で眠っているフレッドを見た。フレッドは口を開けて熟睡していた。
「疲れたんですね」
「そのようだね。君がいなくなったとわかってから、僕はずっとフレッドと手をつないでいたんだけど、彼は震えていたよ。異常事態なことを、五歳なりに理解していた」
「可哀そうな思いをさせました」
「フレッドはね、『オレ、まほうつかいになる。ぜったいになる』と何度も繰り返していた。クローディアが魔法を使う様子を、食い入るように見ていた」
「そうでしたか」
ニナはその時のフレッドの胸の内を思う。
(私がいきなり消えてしまって、どれだけ不安でどれほど怖かったか)
眠っているフレッドの寝顔を眺めながら、自分の目に滲んだ涙を指で拭った。
レクスは元気が出ないものの、(明日は絶対にニナから目を離さない)と心で誓っていた。