56 ヤモリ
袋を被せられたまま箱に詰められて運ばれたけれど、たいした距離は動いていない。
だからここはお城の敷地内だと思う。
私の能力は記憶を見ることと空を飛ぶこと。羽を衆人の目に晒すのは最後の手段にしたいから、記憶を読むことで対処するしかない。
飲み食いさせないってことはないだろうから、そのうち私に触れる人の記憶を片っ端から見てやろう。肌に触れないと細かくは読めないけど、なんとかして読んでやる。
すでに、私に袋を被せて馬用の鎮静剤を打つぞと脅した人の記憶は断片的に見た。
男は貴族だ。ドレスを着ている娘がいる。娘は十代前半だった。
「トイレに行きたいんですけど」
「我慢できないのか!」
「できません。はやくトイレに行かせてくれないと漏らしそうです」
バケツを持ってこられたら終わりだわと思っていたけど、被せられていた袋を外された。
でも、「振り向いたら鎮静剤を打つ」と言われて前を向いていると包帯みたいなもので目隠しをされた。そのまま今度は若そうな女性が私と腕を組み、「声を出したらその場で注射するわ」と言う。
注射注射と繰り返しているところを見ると、この男女は暴力に不慣れらしい。不幸中の幸いだ。
もちろん若い女性の記憶も見た。
彼女の名はオリー。こちらも貴族の出身だ。四十男とオリー、それから五十歳くらいの女性の三人は美術館の関係者。三人で深刻な顔をしてお金の話をしているところまでは記憶を読んだ。
トイレを使い、また腕を組んで元の場所に戻された。外の音が聞こえず、空気が埃っぽい。
レクスさんはもう、私がいないことに気づいたかな。フレッド君はスパイクさんに連絡してくれたかな。
王家にこのことを訴えてくれたら、捜索を始めてくれるよね?
「喉が渇きました」
部屋に戻ってから口に布をきつく噛ませられているけど、声を出してみた。「うあうあ」としか聞こえないだろうけれど、そう言っても部屋の中は静まり返っている。
誰もいないのか? 誰もいないなら、後ろ手に縛られている手と目隠しをどうにかしたい。足首も縛られているけど、お尻と踵を使って後ろへと床を移動した。背中が何かにぶつかるまで下がったら、棚らしきものに行き当たった。
目隠しをずらすために何度も何度も棚に顔をこすりつけた。頬が痛いけど、擦り傷ぐらいどうでもいい。
そのうち、目隠しがずれてきた。この調子だ。誘拐犯が戻る前に、なんとかしなくては。馬用の鎮静剤を打たれるなんてごめんだ。
やっと目隠しがずれた。だけど、部屋の中は酷く暗い。窓はあるけど、板戸で塞がれている。板戸の周囲からごくわずかな光が漏れているだけ。それでもずっと目隠しされていた私の目が暗さに順応してきた。
この部屋はやはり物置だった。それも、ほとんど人が入らないような物置。床にも棚にも埃が積もっていて、私たちの足跡がくっきり残っている。
その時、小さな何かが視界の端で動いた。何? と暗い中で目を凝らすと、小さなヤモリだった。
ヤモリは壁と天井の境部分にいる。
キュッキュッと甲高い声でヤモリが鳴いた。ヤモリが私を見ているような気がした。
「あなたが口をきけたら、私の居場所をレクスさんに伝えてもらうのにね」
「キュッキュッ」
鳴き声のタイミングがよすぎて、ヤモリが返事をしたみたいだった。
でもヤモリはすぐに荷物の陰に入り込み、見えなくなった。
喉が渇いたなあ。
フレッド君と離れたのは失敗だった。こういう時に備えて「一緒にいろ」と言われたのに。
二人はきっと心配しているだろう。巻き込んで申し訳ない。
いや、違うわ。王様の命令で動いていてこうなったのだから、王様に責任があるわ。
なんてことを言っていても始まらない。私は手首足首を動かし続けた。
きつく縛られているから力を入れ続けている部分が縄とこすれ合って痛い。皮膚が傷ついているだろうし、皮下出血もしてそう。
それでも私は手首と足首を動かし続けている。
◇
その頃、レクスとフレッドはフレデリック第一王子と黒髪の女性の四人で話し合っていた。
四十代の黒髪の女性は目を閉じていたが、しばらくしてから目を開けて告げた。
「見つけました。ニナさんは手足を縛られて物置きのような部屋に閉じ込められています」
「クローディア、その場所がわかるか?」
「もう少々お待ちください、殿下。今、ヤモリを外に誘導して、どんな景色が見えるか確かめますので」
クローディアはもう一度目を閉じた。