54 危険予知
王室の仕事をした翌日も、私は地道に働いている。
今日は恋占いを二件、失せ物探しを三件。どれもいい結果になって、満たされた気持ちでお城に帰った。
夕食の準備をしていたら、スパイクさんが来た。
「悪いね、こんな時間に。でも、日中だと仕事の邪魔をするだろう?」
「お気になさらず。よかったら一緒に夕食をいかがですか?」
「おや、ありがたい。ではお言葉に甘えさせていただこう」
スパイクさんが訪問した理由は、魔法協会と王家のつながりについての説明だった。
私が知らせの鳥を使えないために、手間をかけるわ。
話は六百年ほど前、この国が隣国と戦争になったところまで遡った。
真冬の戦争は一進一退が続いた。軍も国民も疲弊しているところに、胃腸にくる風邪が流行った。
戦地にも街にも野火のように広がる風邪に打つ手がないまま、たくさんの貴重な命が失われた。
見かねた王家は薬と治療を求めて魔法協会に頭を下げた。
魔法協会が出した条件は、『現王家が続く限り、魔法協会及び魔法使いを攻撃しないこと』のみ。
その要求があまりにシンプルだったために、重鎮たちは怪しみ疑ったそうだ。
だが当時の国王は「魔法使いに思惑があったとしても、我が国が隣国に吸収されて消えてしまっては元も子もない」と判断して魔法協会と手を組んだ。
魔法使いたちは大量に薬を作り、治癒魔法が使える者は力の限り病人を治し続けた。
結果、この国は敵国をうち破り、戦争を終わらせた。相手国を侵略するような余力はなかった。
それから六百年。このエルノーブル国は栄え続け、世界の覇者と呼ばれるまでになった。
「という経緯だ。この国は魔法使いと手を組んで栄え続けたが、魔法使いは減る一方で今に至る。その魔法使いは数を減らすだけでなく、魔法使いの持つ力も変わりつつある、というのが現在の状況だね」
「なるほど。わかりました」
「他人事みたいに聞いているけれど、ニナはかなり期待されているから」
「誰にですか?」
「魔法協会と王室にだよ。この前の王太后の件で、国王と王妃が君に強い興味を持っている。第一王子も興味津々だったよ。あ、そうそう、これ、この前の報酬だ」
スパイクさんがポケットから紙切れをテーブルに置いた。
私は紙切れに手を伸ばし、書かれている文字を読んだ。
それは初めて手にする小切手で、書かれている額は私が普段貰っている料金の五十倍くらいだった。
「魔法協会とニナの取り分は三対二の割合だ。そこは納得してもらうよ」
「この額で五分の二……。魔法協会はふっかけてますねえ」
「ふっかけていないよ。君の働きはそれだけの価値があった」
話はそこで終わってスパイクさんは帰った。
フレッド君をシャワーで洗い、使っていない部屋のひとつにモップをかけた。
それから今夜も庭のベンチでレクスさんはワインを、私は温めたミルクを飲んだ。
芝生は週に一度ずつヨーゼフさんが刈ってくれているおかげで、いつも美しい状態に保たれている。
夏の虫が鳴いている。冷たい風が気持ちがいい。
「僕ね、今夜スパイクさんの話を聞いているときに、ものすごく怖い自分を発見したよ」
「まさかスパイクさんと私の仲を疑ったんですか?」
「違う」
じゃあ、なに? と思いながらレクスさんの話の続きを待った。
「ニナが魔法使いとして活躍するのは嬉しいと思うのに、その……ニナが遠くに行ってしまいそうで不安になった」
「どこにも行きませんけど」
「たまに小説の中で好きな人を愛するあまり自由を奪う人っているでしょ? 今までは『なんだそれ。それは愛情じゃなくて所有欲とか独占欲だろ』と思いながら読んでいたんだけど……。その気持ちが少しだけわかる。あっ、こんなこと言ったら嫌われるだろうか」
「いいえ」
レクスさんは私の左側に座っていて、右手をベンチに置き、左手でグラスを持っている。
私はレクスさんの右手に、そっと自分の左手を重ねた。
「嫌いません。私も似たようなことがありましたし。師匠の家を出るとき、アン・シャーレイと道ですれ違いました。彼女が魔法使いの卵だと確信したあと、ほんの一瞬だけ『悔しい。師匠を取られた』と思ったんです。そんな嫌なことを考える自分にゾッとしました」
レクスさんが私の手を取ってつないだ。ただ手を握るだけでなく、指を組み合わせるようなつなぎ方でだ。
(ちょっと緊張する)と思ったけど、嫌ではなかったから手を預けたままにした。
「そう言えば、黒髪は優秀な魔法使いの証って、以前言ってなかった?」
「言いました。でも、アン・シャーレイは黒髪だけど、魔力は少なかったようですね。スパイクさんも銀髪だけど、今や協会長だし」
レクスさんが「ふうむ」と言ってワインを飲んだ。
貴族が社会的地位をニューマネーに奪われつつあるように、魔法使いも本質が変化しているのだろうか。スパイクさんはそう考えているようだった。
「フレッドには次に何を教える予定なの?」
「身近な人の危険予知でしょうか。わりと初歩の魔法です。魔力が増えるにつれて無関係な人の危険予知、少し進んで明日の天気の予測、さらに進めば天候の長期予報もできるようになるんです」
「うおっ。面白そうだ。身近な人の危険を察知する魔法、いいなあ」
「私も習ったとき、すごく興味深かったです」
そう。どの魔法も興味深かった。そしてどれも習得できなかった。
少女時代の悲しい記憶をうっかり思い出してしまい、胸が痛んだ。自分への情けなさ、師匠への申し訳なさで、どれほど苦しんだことか。
あの頃の自分に教えてやりたい。
「あなたは記憶を見る力でちゃんと独り立ちできるよ」と。
「ニナ? 昔のことを思い出してる?」
「はい。いつも思いますけど、レクスさんは鋭いですね」
「恋愛以外のことならね」
レクスさんはいまもリンダさんに誤解させたことを後悔しているらしい。
「完璧な人なんていませんよ」
「さすがにもう、同じ失敗はしないよ。気をつける」
元気を出して、の意味で手をギュッと握ってから立ち上がった。
「私はそろそろ寝ます。明日、フレッド君に危険の予知を教えます」
「それも見学させてくれる?」
「ええ、どうぞ」
翌日の朝食のときにフレッド君に「危険予知の魔法」について説明した。
木を削って、直径三センチくらいの木の玉を作り、それに自分の魔力を込める。それを身近な相手の手のひらに置いて呪文を唱えるのだ。玉を持っている人に危険があれば玉が回る。
回る速度でいつごろ危険になるのかわかる。速く回るほど、危険は近い。
レクスさんが片手を挙げて質問した。
「何の木でもいいの?」
「種類は好きなもので。師匠は樫の木を使っていましたけど、重要なのは樹齢です。古ければ古いほど当たるんです」
「あぶないよって、わかるのか? かっこいいな」
「よし、フレッド、今日は僕と材木店に行こう」
「うんっ!」
そのうち私の出勤時間になり、ジェシカさんがアシャール城に来た。
私たちはレクスさんの車に乗り、街へ向かった。ジェシカさんは残って掃除をするという。
今日もしっかり働いてお昼を公園で食べていると、レクスさんとフレッド君が来た。フレッド君が紙袋を持っていてニッコニコだ。
「ニナ! 木のたまだよ! これでいいのか?」
「どれどれ。わ、こんなに作ってもらったんですか?」
「木を削る電動の機械だとあっという間だったよ」
紙袋の中には二十個ほどの木の玉が入っていて、爽やかな香りがした。
「オレ、ここでやりたい!」
「ちょうど周りに人がいないから、一回だけなら」
フレッド君を隣に座らせ、木の玉を両手で包ませた。魔力を浸透させるようなイメージを「パンにシロップを染み込ませるような感じで」と言ったけれど、フレッド君にちゃんと伝わったかな。
家に帰ってからもう一度落ち着いて練習してもらえばいいか。
「できたぜ」
「そう? じゃあ、私の手のひらに置くから、私が唱える呪文を繰り返して。呪文を唱えてから、『ニナが危なかったら回れ』と心の中でこの玉に命令してみてね。もし私に危険が迫って……あれ?」
私の手のひらの上で、真新しい木の玉が回り始めた。回転はそれほど速くはない。でも、ずっと先と言えるほど遅くもない。
レクスさんが私の手のひらに顔を近づけて玉を凝視している。
「ニナ、玉が回っているんだけど?」
「回ってますね。ええと、このくらいの速さだと、三日以内って感じですけど」
「ですけど、じゃないよ! 急いで家に帰ろう」
「でも、これが初回だし。本当にフレッド君の魔法が成功しているかどうかは、はっきりしないような……」
「いや、帰るよ。帰って、君の師匠に判断を仰ごう」
まだ午後の仕事をしようと思っていたけど、私はアシャール城に連れ戻された。