53 王太后エレノア様の依頼
今夜もレクスさんと二人でワインを飲んでいる。
場所は芝生を眺める位置に置かれたベンチ。フレッド君が畑で過ごしている間にジェシカさんが座っていられるようにとレクスさんが購入した。
昼間はパラソルが立てられていて、レクスさんがそこで本を読むのにも使われている。
「王室と魔法協会が何百年も強く繋がっていた、か。現実は小説よりよほど面白いな。でも、部外者の僕にこんな話をしても大丈夫なの?」
「家族には話してもいいそうです」
返事がない。レクスさんの顔を見たら、ロウソクランプの灯りの中でレクスさんが照れている。
あっ、家族って言葉に照れているのね? それに気づいたら私まで(家族って表現でよかったのかしら)と慌てた。
「王室に挨拶に行くなら、ドレスは僕に用意させてくれる?」
ドレスなんて考えもしなかった。
年に一、二回のためにドレスが必要になるのか。ああ、面倒くさいよ。お金がかかるよ。
「さっそく明日ドレスを見に行こう。どの程度の服を着ればいいかは、僕がだいたいわかる。僕からの贈り物でいいよね?」
「念のためにスパイクさんにその必要があるかどうか確認してからでいいですか?」
レクスさんは「絶対にフォーマルなドレスが必要だ」と言うけれど、翌朝、フレッド君に知らせの鳥を頼んだ。
フレッド君は「いいぜ。まかせろ」と張り切ってペンギンを出し、スパイクさんのところへ送り出した。すぐにカワセミみたいな青と赤の色鮮やかな小鳥が私たちの頭上に現れた。
スパイクさんは室内を泳ぐペンギンに驚いたらしく、『これはまた意表を突く知らせの鳥だね』と笑顔を感じさせる声だ。
『ドレスは必要です。王室へ新任の挨拶に行くし、仕事の依頼を受けるときや報告に行く際に普段着ってわけにはいきません。用意しておいてください』
「やはり必要なんですね。わかりました」
『それにしても、フレッドは五歳でこれを出せるのか。将来が楽しみだね』
「ええ、そうなんです。うちのフレッド君は優秀なんですよ!」
そう答えたらスパイクさんとレクスさんが同時に笑った。なぜ笑う。
会話を終えて、当の本人は「オレ、やくにたったか?」と嬉しそうだ。
「もちろん役に立ったわよ。とっても役に立った!」
「えへへへ。またいつでもペンギンをだすぜ」
「うん、お願いします」
その日の午後に公園で待ち合わせをして、レクスさんとドレスを買いに出かけた。
家に来てもらうより仕事帰りに店に行ったほうが早いというレクスさんの提案だ。
お店の人が何着もドレスを出して、私が全部試着した。結果、「とりあえず今日は二着買おう」ということになった。二着もか。
薄い水色のドレスと若草色のドレス。どちらもすごく高価だ。散財させてしまうのに、レクスさんが嬉しそう。
「二着とも、とてもニナに似合っていた。アクセサリーと靴とバッグも合わせて買おう。好きな女性にドレスを贈るのが、こんなに楽しいことだとは知らなかった」
「靴とバッグは自分で買いますよ」
「いやいや、何を言っているの。僕の楽しみを奪わないでよ」
世間の恋人同士は皆、こんな甘い会話をしているのだろうか。
などとのんきなことを思っていた私は、数日後にレクスさんの配慮に深く感謝した。
スパイクさん経由で、王家から呼び出しを受けたのだ。なんと、第一王子のフレデリック殿下が直々に私たちと面会してくれるらしい。
私は淡い水色のドレスと同じ色の靴、白いバッグという装いでスパイクさんの馬車に乗った。
案内されたのは絵本でしか見たことがないような豪華な部屋だ。
カーテンが重厚。家具も豪華。だけど部屋の豪華さに圧倒されずに済んだのは、アシャール城でこの手の豪華さを見慣れているおかげだ。
部屋には大きな花瓶が何個も置かれ、大量の生花が飾られている。
お金持ちとはこういう使い捨てるところにお金を使う人なんだな、と庶民中の庶民である私は感心した。
待つこともなく、お供を何人も従えてフレデリック殿下が入ってきた。
殿下はたしか二十八歳。すらりとした立ち姿。柔らかそうな淡い茶色の髪と青い瞳。全身から漂い出る高貴なお育ちの雰囲気。
私は平民だから、普通にお辞儀をした。
「今日は足を運んでくれてありがとう。スパイク、久しぶりだね。魔法協会会長就任おめでとう。これからも王家と親しくしてくれることを期待するよ」
「ありがとうございます。末永いお付き合いをよろしくお願いいたします」
殿下が私を見た。
「今日はニナにお願いしたいことがあるんだ。祖母が君の記憶を見る力を借りたいらしい。お願いしていいだろうか」
「もちろんでございます」
「ではスパイクも一緒に来てくれ」
殿下に続いてお城の中を移動し、広いお部屋に通された。
王太后エレノア様が長椅子にもたれて座っていた。ほぼ白髪になっている金色の髪を美しく結い上げ、ゆったりしたドレスを着ている。お年は七十歳くらい。
「ごきげんよう、スパイク。あなたがニナね。初めまして。会えて嬉しいわ。今日はあなたに力を貸してもらいたいことがあるの」
緊張してお話をうかがった。王太后様の依頼は、「病没した娘リオラの、最期の言葉を思い出させてほしい」ということだった。
リオラ様が八歳で亡くなった当時、エレノア様も流行り病に感染して病床に就いていたらしい。
リオラ様がいよいよ危ない状態となり、侍女たちに支えられて面会に行ったけれど、ご自身も高熱を出してフラフラの状態だったそうだ。
「母親なのに、私は娘の最期の言葉を覚えていないのです。とても小さな声だったから、他の誰も聞いていなくて。最近になって、あの子の言葉が気になって仕方がないの。どうしても思い出したいのだけれど、そんな望みも叶うのかしら」
「はい」
「そう……。どうかよろしくお願いします。これが亡くなる少し前のリオラよ」
写真がなかった時代だから、額に入ったスケッチブックほどの大きさの絵を侍女さんが渡してくれた。
私はリオラ様のお顔を頭に叩き込んだ。
エレノア様に向かって「お手に触れることをお許しください」と申し出ると、フレデリック殿下が私に注意した。
「祖母の記憶について、他言はしないでほしいのだが」
「もちろんでございます。絶対に口外いたしませんのでご安心ください。では失礼します」
エレノア様の向かい側に座り、シミひとつない白く滑らかな手を私の手で挟んだ。
七十歳の記憶は膨大な量だ。その記憶の大河の中に沈んでいるであろう、少女の記憶を探し続けた。
四十年以上前に亡くなった少女は、金髪に青い瞳。丸顔。それを目印に記憶の川を遡る。
前国王陛下とお二人で過ごしている場面などは極力見ないようにしながら探した。
ずいぶん時間がかかってしまい、(どうしよう、一回じゃ見つからないかも)と冷や汗をかき始めた頃に、ベッドに横たわる少女を見つけた。
周囲の侍女たちが沈痛な面持ちで控えている。少女が何かつぶやいて、王太后様は顔を少女に近づけ、「なあに? なんて言ったの?」と尋ねた。
『つめたいブドウのジュースが飲みたいの』
王太后様はすぐにジュースを運ばせ、少女を抱きかかえて飲ませた。少女は口の中を湿らす程度のジュースをコクリと飲んだ。
王太后様もゼイゼイと苦しそうな呼吸をしている。前国王陛下のお姿がないのは、感染を避けるためだろうか。
少女が苦しそうな呼吸の合間に、細い声でささやいた。
『おかあさま、私のお墓には、ブドウのジュースを供えてね』
それが最期の言葉だった。号泣している若き日の王太后様の記憶を見てから、私は手を離した。
「最期のお言葉を見つけました。『おかあさま、私のお墓にはブドウのジュースを供えてね』です」
返事はなく、王太后様が両手で口を押え、目を潤ませていた。
「あの子が息を引き取る直前に、ブドウのジュースを飲ませた覚えがあるわ。そう……あの子はジュースをお墓に供えてほしいと言ったのね。ニナ、ありがとう。心から感謝します。何十年も待たせたけれど、今すぐジュースを持って行かなくては」
それから私とスパイクさんは、王太后様、フレデリック殿下と一緒にお城の敷地の一角にあるエドモンド寺院の墓地まで移動した。
王太后様は両脇を侍女さんに支えられながら墓石に歩み寄り、グラスに注がれたブドウのジュースをそっとお墓に供えた。
「リオラ、長いこと待たせてごめんなさい。ブドウのジュースを持ってきたわ。好きなだけ飲みなさい。私もそのうちあなたのそばに行くから、もう少し待っていてね」
王太后様が芝生に埋め込まれた墓石をそっと撫でながら語りかけている。
そのお姿が切なくて、私はジワジワ泣けた。
スパイクさんに「我々はこれで引き揚げるよ」と耳打ちされて、私たちはお城を後にした。
目を赤くして帰宅したものだから、レクスさんに心配された。「お城で悲しい場面を見てしまった」とだけ説明すると、レクスさんはそれ以上詮索しなかった。
「お疲れ様だったね」と言って手をつないで隣に座っているだけ。つないだ手は乾いて温かく、心を落ち着かせてくれる。
フレッド君は「よしよし、よしよし。げんきだせよ」と言って私の頭を撫でてくれた。
「フレッド君、レクスさん、手洗いとうがいはしっかり行ってください」
唐突にそんなことを言う私に、二人は「わかった」「気をつけるよ」と優しい返事をくれた。
これが、王室から依頼された私の最初の仕事だった。
王妃につける敬称を殿下とするか陛下とするかは意見が分かれます。たくさんの解説を読み、私は支配者・統治者の妻には殿下を使っています。